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感情労働はむしろAIに代替されやすい

「人間にしか感情がないから心を込めた接客や作業は、人間ができる価値発揮だ。」
これは一見正しそうに見えますが、個人的な見解としては、むしろここもAI領域の得意分野だと考えています。

出典:人間にしかできないこと

上記は、人材業界で働かれているnosyuさんが書かれた、以下の記事からの引用なのだが、実感と極めて一致する。

個人的体験

私は、共感を示す行為が下手な人間で、妻から「解決策はいらないから、もっと共感して!」とよく言われる。

特に子育て関連の議論をしている時によく言われる(ちなみに、「議論しているわけではない」ともよく言われる)。

そこでGPT-4がリリースされた日の夜、子育ての話をしていた際に、AIが出力した文章であることを事前に断った上で、「子育ての苦労を労うLINEメッセージ」を妻に送ってみた(GPTは日本語出力が微妙なので英語で送った。妻は英語が問題なく読める)。

妻は、文章を読み始める前は、「ふん、この私が、AI風情が書いた文章に心を動かされるわけがないでしょう」といった趣だったが、読み始めた10秒後には、涙が頬を伝っていた(誇張表現ではない)。

普通に心を打たれて、泣いてしまったとのこと。

なお、ここまでの反応は、妻がHSPだからと思われるが(私が原因?そんなことは断じてない)、私にとってこの出来事は、「AIは感情労働が下手」説を反駁するには十分だった。

少なくとも私よりは、感情表現が上手い。

ということは、私は代替される
(夫としては代替されないことを祈りたい)

しかしこれはn=1の話にすぎない。

では社会一般ではどうか?

社会一般に対する見解

一般に感情労働という語で真っ先に連想されるのは、ホテルのスタッフ、飲食のホール、小売の店員といった接客業である。私はこれにタクシーの運転手も加えた上で、一旦、議論の範囲を接客業に限定する。

もし、これらの仕事に従事している大多数の人間が、「GPT-4よりは、この人に接客してもらいたい」と顧客に思ってもらえる人間なのであれば、少なくとも現時点では、代替される可能性は低い

しかし私は、GPT-4がリリースされてから1ヶ月半で、「え、何この人、すいません、GPT-4に代わってもらって良いですか?」と思ったことが、何回もある。

しかも私は、友人や家族に言わせると、接客業に求めるサービルレベルが社会平均よりは高いらしい。

個人タクシーには極力乗らないし、レストランは味よりも接客水準を重視するし、ホテルや小売は一度でも接客で不快な思いをしたら他の要素どれほど素晴らしくても二度と行かないし何年経っても家族や友人にその事業者のネガキャンをし続けるくらいには、接客水準が気になる人間である。
(自分は感情労働適性が低いのに、なぜ接客にそこまで高い水準を求めるのかは、自分でも分からない)。

何が言いたいのかというと、悪い接客を避けるためにそれなりの注意を払って尚、「え、GPT-4のほうが良いな」と思うケースが20%くらいある

なので、私の実感としては、感情労働従事者のざっくり60%くらいは、少なくとも接客面において、潜在的にGPT-4で代替可能である。

一方で、これら60%が、直ちに職を失うとも思っていない

「接客スタッフ」は基本的に接客以外もやっているからだ。

接客業務における代替可能性

タクシー運転手は車を運転しているし、小売の店舗スタッフは棚だしやレジ等のストアオペレーションをしているし、レストランのホールスタッフは配膳をしている。

よって、接客をAIで代替するには、AI接客インターフェースと上記のような業務をシームレスに繋ぐ仕組みを作り、それが、人間に接客をやらせるよりも、利益を生む必要がある

それが可能かどうかは、個別ケース次第だが、例えばタクシーなどは、もう接客はGPT-4+Whisper+カーナビで良いのではないかと感じている。

タクシーは、乗るたびに希望の道順を聞かれるのが嫌だし(「それを考えて最短の道順で行くのが運転手の仕事じゃないのか?」)、よく分からない世間話をされるのが嫌だし(先日つい個人タクシーに乗ってしまったら、コロナはビル・ゲイツが世界人口を削減するために仕掛けた罠であると延々語られてびっくりした)、行き先が近いと不機嫌になられるのが嫌だし(私は男だからか経験はないが、妻は、舌打ちされる事があるらしい)、コミュ障なのか知らないが返事をしない人間とやり取りをするのが嫌だ(運転手「、、、(ドア ガチャ)」私「こんにちは!○○までお願いします!」、運転手「、、、(ブォーン)」、みたいな)。

HSPの妻は、タクシーに乗るたびに緊張し、運転手に不快なことをされないよう、物凄い低姿勢で接している。

それなら、運転席と客席の間に仕切りを設け、運転手は一切喋らず、客がGPT-4+Whisper+カーナビとやり取りした結果の道順どおりに、車を快適かつ安全に運転することに専念してもらったほうが良いのではないか(これはこれで、今までどおり、乗客の命を預かる、極めて重要な仕事である)。

機械化によりサービス品質が均一化され、タクシーに乗るたびに運転手ガチャを回すストレスを感じずに済むのであれば、10~20%くらいの割増料金であれば喜んで払う(AI導入に伴うコストは十分カバーされると思われる)。

AIによる代替の議論で見落とされがちな本質

上記で、運転手ガチャの話をした。

AIによる人間の代替に関する議論で、この視点を論じたものをあまり見ないのだが、自分がGPT-4の登場で一番価値を感じているのは、「人間ガチャを回さないで済む」という点である。

生成AIは原理上、出力が安定しないので、「GPT-4は人間に比べアウトプットが予測し難い」という文脈で語られがちな気がするが、それは特定の人間とGPT-4を比較しているからである。

正直、人員採用をしている人間からすると、GPT-4のアウトプットの不安定性と、未知の人間を採用して出してもらうアウトプットの不安定性を比較すると、GPT-4のほうが圧倒的に安定していると感じる。

だって事前に測れるし(確率分布を推定可能)、ソフトウェアだからpluginで出力を完全にコントロールできる。

一方で未知の人間測れないし(ナイトの意味で不確実)、自由意志を持っているので出力を完全にコントロールするのは不可能である。

これはもう、定量的な話ではなく、質的に全く異なる次元のレベルで、GPT-4のほうが望ましいので、代替可能なのであれば、事業家は全力で代替しに行く。

なので、代替される。
(内戦レベルの政治闘争が起これば別だが)

自分の周りでは、会社の経営層と現場ではAIに対する直感的な温度感が物凄く違うのだが、多分、「代替する側/される側」という立場の差以上に、「未知の人間ガチャが事業に与えるブレ」を肌感覚で知っているか否か(及びそれで苦労している否か)、が、かなり影響している気がしている。

なので、「なんで社会はそんなに俺をAIで代替したがるんだ」と感じている人は、この視点で物事を考えたほうが良いと思う。

「君を代替したいんじゃなくて、人間ガチャを代替したいんだ」

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