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半径1kmの取材旅行 #かくつなぐめぐる

「書くこと」を通じて出会った仲間たちがエッセイでバトンをつなぐマガジン『かく、つなぐ、めぐる。』。8月のキーワードは「Tシャツ」と「台風」です。最初と最後の段落にそれぞれの言葉を入れ、11人の"走者"たちが順次記事を公開します。

 7月23日。夏のど真ん中にふさわしい猛暑日。コンビニでコーラの支払いをしつつ、「折角なら、Tシャツを着れば良かった」とふと思う。

 「Tシャツ」と「台風」を含んだエッセイを書く。
 その締切まで、あと2日。
 まだ一文字たりとも、書けていない。

*    * *

 そもそも、エッセイに強烈な苦手意識がある。
 意見を表明するコラムめいた文章は書ける。インタビュー記事も、ライター学校で学んだおかげで一本書くことが出来た。
 だが、エッセイとなると、全く書ける気がしない。

 ライター学校の師匠に当たる古賀史健さんは、著書の中でエッセイは「観察」が重要だ、と語っている。

「感覚的な文章の根底には、徹底した「観察」がある
 (略)
 感受性にすぐれた、観察者――つまり取材者――として日常を過ごしているからこそ、彼ら・彼女らはなにかを見つける。とても事件とは呼べない出来事に、ほかの人が見過ごしてしまうような日常の些事に、心を動かされる。そしてほんの数秒、あるいは一瞬かもしれないこころの揺らぎを逃すことなく、そこに的確な言葉を与えていく」

『取材・執筆・推敲』 著:古賀史健

 この観察が、苦手だ。
 日常の中から意味のある「何か」を掬い上げられない。
 様々な物事を、ぼんやりと通り過ぎてしまう。

 だから、珍しくエッセイを書くと決まっても、締切2日前になっても書くネタが決まらない。
 考えて、没にして、考えて、ふて寝して。
 そして、私は考えるのを辞めた。

 うん、とりあえず、外に出よう。

* * *

 汗のように水滴を纏ったコーラを右手に持ち、ぶらり、と地元の街を歩く。
 マンションから交差点を渡ると、花壇が目につく。ぽつりぽつりと、黄、橙、赤のちいさな花が咲き始めていた。坂を下ると、カーシェアの看板の横で猫じゃらしが揺れる。

 自分でも驚くほど、草花に目が留まる。
 これは植物ブームが起こっている3歳の息子の影響だ。道端に咲く花を指さしては大声を上げ、拾った梅の実を保育園の先生にプレゼントし、帰り路に花の多い道を歩くよう指示してくる。ついに、私はベランダ菜園までを始めるようになった――。

 お? これは、、、書けるか? ハートウォーミングなええ感じのエッセイになるかも!?
 立ち止まって携帯を取り出し、メモ帳にエッセイの構成を書き始める。
 が、これ以上の続きがさっぱり浮かばない。
 蝉の声が、やけにうるさい。

 「観察」が浅いのかな、と思う。
 息子の変化は、当然よく見ている。自分の子だから、かわいい。でも、それ以上の「何か」――例えば、新鮮な発見とか、興味深いディティールとか――が見つけられない。
 例えば、尊敬するライターの先輩である田中裕子さんが書いた『わたしと娘は、おそろしいほどに違うものを見ている』という子供にまつわるエッセイがある。公園で子供を観察する、という所までは私と大きく差はない。でも、娘さんの行動を通じて、田中さんは「子どもは、家族であるのと同時に、他者なのだ」という発見をする。そこに共感と驚きの両方ある。
 そういう、「何か」に辿り着つくと、日常はエッセイに昇華されるのだと思う。そして、思い返しても、自分の「観察」から、そうした「何か」は見つけられない気がする。

 携帯を右ポケットに戻し、再び夏の街を歩き出す。
 目に付くものは、色々ある。

 例えば、保育園の向かいのビルに雀の巣がある。以前、5匹ほどの雛たちが狭い巣に身を寄せ合い、母鳥が餌を運んでくるのを待っていた。すべての雛に公平に餌を与えてはいなかった。5匹全員が生きられるのか、と思った。
 その巣が、今日行ったときには、空になっていた。全員、無事に巣立ったのか。それとも。

 また、昔バイトしていたTSUTAYAのテナントがまだ埋まっていなかった。大学4年間働き、色々な思い出がある場所だ。初日の緊張感、バイト同士の恋愛のあれこれ、「いらっしゃいませー」の発音が機械みたいだと笑われた記憶。
 広告すら取りはずされた窓に、向かいのマンションの姿がきれいに反射している。もう、あの空間は存在しない。

 しかし、どの「観察」も、そこからエッセイが生まれる気はしなかった。
 ぼんやりとした記憶と感情の断片が生まれ、消えて行っただけだった。

 エッセイって、なんだろう。

 コーラはすっかり空になった。

* * *

 「ま、いっか」と呟く。

 目指したようなエッセイの種は見つけられなかった。
 でも、街の風景に紐づいた様々な記憶を掘り起こせた。
 それは、立ち止まって深呼吸をするような、良い時間だった。

 ここ2か月は、次々に現れる子育て・仕事の難問に襲われていた。台風中継をするテレビレポーターのように、ただ風に耐え、その場に踏みとどまるしかなかった。
 でも、この散歩は違った。「観察」を意識したからだろう。周りをよく見て、心に浮かんだものを見つめる。それは、過ぎていく毎日の欠片を一つ一つ捕まえて、改めて丁寧に点検するような作業だった。
 近所の散歩も「取材旅行」になるのかもしれない。「観察」を意識さえすれば。


バトンズの学校1期生メンバーによるマガジン『かく、つなぐ、めぐる。』。今回の走者は竹林秋人でした。次回の走者は飯田あゆみさん、更新日は8月22日(月)です。お楽しみに!


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