小山田圭吾さんを応援します
2021/8/22追記
上はYoshi Tsushimaさん(@Yoshi_origami)の指摘。作品の良し悪し、才能の有無でなく、プロの音楽家として仕事への向き合い方の問題だと指摘しています。
前回の投稿では小山田さんの才能は評価されるべきだというであり、音楽を聞いたこともないのに人格否定とはけしからん!という論点で色々書いてしまっていましたが、今回の騒動での論点は平和と平等の祭典へのプロとしての向き合い方こそがポイントだったなと自分の捉え違いを反省しています。
TL; DR
小山田さんを応援します。こんな下品な騒動に振り回されず。これからも素晴らしい音楽作品を楽しみにしています。
ここからが本題
まあ今回の騒動には本当に呆れ果てた。。また同じことで騒いで外野が石投げてんのかと。。
やり方に注文つけるな。完成品を観ろ。
今回のオリンピックでの小山田圭吾さんの騒動についての経緯はもう聞き飽きたと思うのでここでは割愛するが、簡単に言えば彼の過去の悪い振る舞いだけを取り上げて、平和と平等の祭典であるオリンピックの音楽担当にふさわしくないとのことから騒動が起こっているらしい。
もちろん彼の過去のその行い自体は肯定できることではないのは事実だと僕も思う。いじめはここ数十年で本当にセンシティブな問題になったし、しっかり反省しないといけないことだと思う。だがそれは小山田圭吾さん本人の問題であって、彼の生み出した音楽作品とは何の関係もないのだ。楽曲たちによって展開される浮遊感を覚えるゆらぎの音楽と視覚表現を駆使したライブパフォーマンス、ライブハウスを総合芸術の場と変えてしまう表現は一度体験したことのある人なら間違いなく世界に誇るアートだと評価するほどの素晴らしい音楽なのだ。
なんでこうも、誰が作った、どうやって作った、といった作品と直接関係しないところにばかりみんな注目して、何ができたか、それがどう素晴らしいのか、何を感じるかといった本質をほったらかしにするのだろうか。今回の騒動で騒いでいる人たちの中で彼の音楽をちゃんと聴いた人はどれくらいいるのだろうか。聞けば彼の音楽の音ひとつひとつの調和の取れた美しさと既存のフレームワークにとらわれない自由な構成の革新性に驚くだろうし、オリンピックという世界的な祭典にふさわしいこの国が誇る才能であることは明らかだった。(もっともこうも騒動になってしまってはまともに評価される状況ではないだろうけれども)
音楽に限らず、映画や絵画や文芸などの作品と作者を一緒に見るのは何故なんだろうかといつも疑問に思う。極端な話、素晴らしいものであれば誰が作っててもいいじゃないかと僕は思うのだ。もっと作品そのものを楽しもうよと思うんだ。
ふさわしいってなんだ
「多様性と調和」を掲げるオリンピック、パラリンピックに相応しくないそうだけれども、そもそも相応しくないとかいうふんわりした言葉に対してもえらく腹が立つ。誰が、何を基準に相応しいかどうか判定するんだ?
誰が、でいえば間違いなく大会組織委員会の仕事だろう。専門家や文化人によって適任を選ばれるんだろう。僕ら一般人が選ぶわけでもないのは当たり前だ。そういう意味でも騒動にテレビやSNSとやかく言ってた奴らに対しては僕も含めてだが、外野は黙ってろ、って話だ。お呼びじゃねえ。
次に何を基準に選ぶかだけれども、これは大会組織委員会の中にあるだろうから僕らにはわからない。だけれども、個人的には先にも記した通り小山田圭吾ほど音楽を軸に総合芸術を制作する人は彼を置いて他にはそういない。彼の音楽は線が細いようで、それでいて最適解のように調和のとれた音楽をつむぎ、さらに視覚分野にまで展開して総合芸術とするアーティストは、僕の知る限りではそう挙がらない。彼こそが世界の祭典を彩るアーティストとして十分すぎるほどの人だ。彼のキャリアからこのチャンスがこんな下品な騒動で奪われてしまったことが残念でならない。
ピエール瀧の時から何も成長していない
ピエール瀧のコカイン所持事件を覚えているだろうか。あの時もマスコミは過剰に騒ぎ立て、メディアは瀧が出演していた映画やドラマを封印、電気グルーヴの楽曲販売さえも封印されSNSでは連日下品なお祭り騒ぎ。今回の騒動とずいぶん類似していると思わないだろうか。あの時から何も変わらず、生み出された価値ある芸術には目もくれずに、罪を犯した人に対して石を投げるばかり。なんの成長もしてないことにいい加減呆れてため息も出ない。
清廉潔白な人しか日の目を見ちゃいけないというのか。過去に悪いことは何もしたことがなく、笑顔が素敵で爽やかでユーモアがある品行方正なお手本のような人しか人前に立っちゃいけないというのだろうか。だとしたらなんて多様性を受け入れない閉鎖的な価値観だろうか。薬も毒も善も悪も飲み込み糧とするような懐の深さが全くない。人格否定が人を殺すことをまだ学ばないのか。明日は我が身。いつか自分に返ってくることを想像できないほど了見が狭いのか。なぜ言われた人の心情に想いをはせることができないのか。今回の騒動は残念でならない。
最後に
小山田圭吾さんが過去にしたことはもちろん反省すべきことだと思う。でもだからと言って彼がこれまで制作してきた音楽の価値がなくなるわけではない。過去の過ちではなく現在の功績とこれからのチャンスを考える方がずっとポジティブだし生産的だ。何より僕は彼の音楽をこの先一生楽しみにし続けるだろう。彼が生きてる時代に生まれて、ライブを体感できてよかったと思っている。
小山田さんに届け
小山田圭吾さん。今きっと辛いご心境だと思います。こんな状況だからこそ1ファンとしてエールを送れればと思い、拙い文章ではありますが筆を取った次第です。あなたの生み出す音楽にいつも感動して、あなたの今後の展望を楽しみにしています。応援しています。
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