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畏れに満ちた山岳怪談から日常の奇妙な現象まで、とにかく不穏すぎる一冊「実話怪談 蜃気楼」(鈴木捧)

霊妙なる山怪
封印された記憶
得体の知れぬ恐怖に侵される、胸騒ぎの恐怖実話!

思考と精神を揺さぶる不穏な怪――。

山小屋で出会った男が見せてくれた、存在しない山の写真。
一月後、不気味な符合が…
(「夢ヶ岳」より)

あらすじ・内容

目の前の現実が朧に霧散していくような不安感。
記憶を奪われ操作されているような違和感。
深遠奇怪な山岳怪談を中心に、胸がざわつく実話を集めた聞き書き恐怖譚。
・山道を下る途中の森で見たのは、幼い頃の記憶と符合する巨木と鹿の亡骸「鹿の葬式」
・山小屋で知り会った男が見せてくれた存在しない名前の山写真。一体それはどこなのか…「夢ヶ岳」
・F1好きの父が夜中に見ていた謎の事故映像。それは人気ドライバーの死を予知したビデオだったのか…「セナ」
・一家で夜逃げしたと噂の同級生が住んでいた空き家に幽霊が出るという。問題はキッチンに…「瓶のミミズ」

…他、不穏すぎる全38話!

著者自薦・試し読み1話

「鹿の葬式」

 キダタニさんは子どもの頃に何かの本で「鹿は群れの仲間が死ぬと葬式をする」という記述を読んだ記憶がある。
 鹿は群れの仲間が死ぬとその遺体を花畑の中や巨木の根元に運んでいき、落ち葉や土をかける。それからその日の晩を遺体の周囲で見守るように過ごす。そんな内容だったらしい。
 しかし、今になってネットで調べてみると、そんな話はどこにも載っていない。だから、単純に考えるとそれは単なる記憶違いである。
 記憶違いならそれだけの話、ということになるが、この話が奇妙なのはここからだ。
 キダタニさんには、実際に「鹿の葬式」を見てしまった記憶がある。

 中学生の頃、修学旅行でのオリエンテーリング中のことだそうだ。
 気心の知れた女子同士の四人組で、チェックポイントとなる自然の景観や史跡を巡りながら一日かけて歩く。
 宿泊施設として使われたのは大きな温泉旅館で、周囲は緑に囲まれている。オリエンテーリングのコースも旅館の周辺だったので、自然豊かな中を歩くハイキングという趣だ。
 最後から二番目のチェックポイントはちょっとした山の上に立っている寺院だった。苔むした石畳の道が斜面をつづら折りに続き、道の両脇は木々が生い茂っている。その日は九月末とはいえ半袖で充分なほどの気温だったので、木々が陽の光を遮ってくれるのは有り難かった。時折風が吹き抜けては、運動で火照った体を心地良く撫でていく。
 寺院は古びているが立派なものだった。宿泊している旅館のある温泉街まで一望できるベンチがあり、そこで軽く休憩してから次のチェックポイントを目指すことにした。
 オリエンテーリングの説明で事前に配られた地図を見ると、登ってきた道を往復する形で下りるのではなくて、別の道を使って違う方向へ下りていくようになっている。
 この下りの道が、登りの道とは打って変わって木の根が張り出す中を歩いていくような山道だったそうだ。
 とはいえチェックポイントは次で最後で、そこを越えれば旅館で夕食と温泉が待っている。ちょっとの苦労はそのためのスパイスと思って、同じグループの友人たちと話をしながら道を下っていった。
 十五分ほど下ったところで、あたりに妙なにおいが漂っていることに気付いた。
「なんか、におい、しない?」
「なんだろうね。花とか?」
 確かに何かの花のにおいにも思える。ただ、それにしては濃く香ってくる、蜜を煮詰めたとでもいうのか、貼りつくような甘いにおいだ。
 周囲は緑が濃いばかりで花の色は見えないので、何となくにおいの発生源が気になる。
 位置的にもすぐ近くに思えたので、鼻を頼りに少しだけ道から逸れて森の中へ入ってみた。

 果たして、二分もしないうちにそれを見つけた。
 地面に敷かれた絨毯のように、白や紫の背の低い花が群落をつくっている。
 においはかなり濃くなっていたが、鼻が慣れてしまったのか、嫌な感じはしなかった。
 周囲は開けていて、大きな木が一本だけある。幹回りはキダタニさんが手を回そうとしても反対側に届かないだろうほどの太さがあり、根元は四人で座れるほど大きく広がっている。
 だから最初は、根の一部だと思ったのだ。
 奇妙な黒いこぶのようなものが大きな根の一本から張り出している、そのように見えた。
 近付いてみて、それが折り畳まれたようになった動物の体だということに気付いた。
 胸のほうに巻き込むように曲げられた首の先、黒い瞳には生気がなく、動物はもう生きていないと分かった。
 周囲を囲む花とのコントラストもあるのか、毛皮はかなり黒っぽく見え、しばらくそれが何の動物なのか分からなかった。
 怖い、という感覚はなく、周囲の神秘的な雰囲気もあって、むしろ荘厳な、何か特別な出来事に立ち会っているような、そんな感慨を覚えた。
 最初にその死体に気付いたキダタニさんの周囲に、グループの友人たちも集まってくる。皆でそれを覗き込む形になったが誰も喋らなかった。
 そうやって暫し沈黙の時間が過ぎた。
「あっ」
 友人の一人が小さくそんな声を漏らして、それからキダタニさんのシャツの袖を掴むと、なぜか小声のまま言った。
「ね、もう行こ。ほら、ほら」
 何となく焦っているような様子があったので、それに気圧されるように、グループの全員で元の道に戻った。
 山を下る途中、誰も言葉を発しなかったが、森を抜けて視界の先に舗装道が見えたとき、グループの一人が口を開いた。
「ね。さっきのさ……」
 全員が顔を見合わせたが、誰も言葉を継ごうとしない。
 妙な沈黙が流れてから、先ほどあの場を去るように皆を急かした一人がぽつりと言った。
「鹿がいたんだよね」
 キダタニさんはすぐには言葉の意味を汲み取れなかった。ただ、そのときに初めて、ああ、あれは鹿の死体だったんだ、と思った。
 言葉を発した友人が続けて言った。
「……あの木の向こうの森の中に。五匹か、六匹か、鹿がじっとこっち見てた」

 旅館に戻ってから、他のグループの学生にあの山の上の寺院からの下りの道の様子を訊いてみたが、「普通に舗装されてた道を通ったけど」と言う。そう言われてしまうと、突然あまり変な話をするのもと思ってしまい、「なんか私たち、山道みたいなとこ下ってきちゃって、大変だったわ」と笑い混じりに返すばかりだった。


 冒頭に記したキダタニさんの子どもの頃の記憶は、オリエンテーリングで見た不思議な光景を自分の中で消化しようと反芻するうちに思い出したものだという。
 だから何となく、「無意識のうちに自分で自分を納得させるために作った虚偽の記憶」にも思えるらしい。
 ただ、そう思えばそう思うほどに、記憶のイメージは確かなものに具体化していくような感覚もあって、今では「鹿の葬式について本で読んだ記憶」と「オリエンテーリングで実際に鹿の葬式を見た記憶」のどちらが先にあったものか、曖昧な感じがするのだそうだ。

著者コメント

蜃気楼というと海の自然現象のようなイメージがあるが、山中でもごくまれに起こる。
幾つかの事例を見る限り、山中で現れるものは基本的に「上位蜃気楼」のようだ。一般的な蜃気楼は「下位蜃気楼」であり、この「上位蜃気楼」は海上であってもまれな現象である。
ロマンのない言い方ではあるが、怪異を単に「きわめてまれで、再現性のほぼない現象」と捉えたとき、これについての顛末を「怪談」たらしめるものとは何であろうか。私はそれを、そんな現象に遭遇した人の内面に生じる何か、たとえば現実感覚の揺らぎや普段の生活の中で生じえないような情動……であると考える。
「現象それ自体」と、それがもたらす「内面の揺らぎ」。
その狭間で語られる物語のことを「怪談」と呼ぶのではないか。
あるいは、その狭間にこそ何かが潜んでいる、という言い方もできるかもしれない。

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著者紹介

鈴木 捧 Sasagu Suzuki
山羊座のA型。竹書房主催の実話怪談コンペ【怪談マンスリーコンテスト】において、最恐賞と佳作をそれぞれ3度受賞。最恐賞作品は怪談最恐戦2019』に収録されている。2020年『実話怪談 花筐』にて単著デビュー。趣味は山登りと映画鑑賞。

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