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⑳劇的に意識を変える方法/(集合意識の切り替え・前編)

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★肺癌ステージ4からの生還「僕は、死なない。」(2016年9月1日~2017年7月位までのノンフィクション)はこちらをご覧下さい。

★「5年後も、僕は生きています」(2017年8月~のノンフィクション)第1話から読みたい方は、こちらから読むことが出来ます。

第1回「癌宣告からサレンダー体験まで」


ではでは、20話です。

⑳劇的に意識を変える方法/(集合意識の切り替え・前編)



2018年3月中旬、月末の退職に向けて、書類関係の最終確認のために会社に行きました。


「おかげ様で私物整理も終わりました。ありがとうございました」

社長は言いました。

「いいのよ。お疲れ様でした」

「本当にお世話になりました。12年間、ですよね」


 僕は頭を下げました。

 「そうね…」

 感慨深そうに、社長がうなずきました。

 「まあ、こんな形で辞める事になるとは思わなかったですけど」

「そうね、私もよ。そうそう退職金、きちんとお支払いすることにしました」

 「えっ、退職金、頂けるのですか?」

 「はい。商工会議所に積み立てていた金額を、そのままお支払いします」


 「ありがとうございます。ほんとうに助かります」

 「いえ、これは刀根さんがいままで会社にしてくれた貢献に対するお礼です」

 その後、退職届を正式に書いて、僕は会社を後にしました。

 これで僕はどこから見ても、3月末日をもって完全なる無職の身となりました。


立場的にはスッキリしたものの…僕の不安は続いていました。


 転職活動か…

 僕はずっと研修講師を仕事としてきた…

 それ以外の新しい仕事なんて、いまさら出来るんだろうか? 

 新しい仕事を覚えて、新しい職場でなんて、やっていけるのだろうか?

 どこかの会社に転職して入社するなんて、いまさら出来るんだろうか


 ガンなる前の僕だったら、出来るんじゃない、やるしかないんだ!

 そう思って、すぐエネルギッシュにに行動を始めただろう。

とにかく、Do、Do、Do!

計画、行動、行動、アクション!


 でも、ガンという体験を通じて、そういう生き方は、僕にとってはうまくいかないということを学んでいました。

そういうサバイバル的な考え方や生き方が、僕のガンを作り出したことを知ったからです。


 

じゃあいったい、どうすればいいんだろう?

いろいろな人たちからアドバイスをしてもらってはいたけれど、これといった決め手はなく、冷静に考えても不安要素しかありませんでした。

このままだと、一人で生きていかなきゃいけない

 

この体調を抱えて、一人で稼いでいかなきゃいけない

孤独…いや、ちがうな…

これは、一人になることの不安だ。

 

会社という『組織』に所属することで得ていた安心感というものが、それがなくなったとき、どれほど心の安定につながっていたのかということを、いまさらながら痛切に感じました。

組織や集団に所属するということは、窮屈だけれど安心をもらえます。

組織の中で与えられた役割をこなしていれば、生活や居場所はある程度、保障されます。

いろいろ文句もあるかもしれないけれど、とりあえず生きていく上での経済的・所属欲求的な安心感は得ることができます。

いま、僕はいままで所属していた組織からはじき出されてしまいました。

これから、たった一人で何とかしていかなくてはいけない状況になったのです。

若いころに独立した時期もありましたが、そのときと今の大きな違いは、過去は自分から飛び出したのですが、今回は辞めざるを得ない状況に追い込まれたということです。

同じ会社を辞めるというシチュエーションでも、気持ちは全く違いました。

体調もあの頃と全く違います。


それからしばらく、悶々とした不安な日々が続きました。

 そんなある日、当時ベストセラーになっていた「サピエンス全史」を読みました。

その本の中で、僕は『集合意識』というものがあることを知りました。

というか、本を読んでいるときに、その「集合意識」をリアルに感じ、実際にイメージとして見えたのです。

 主旨をまとめると、こうです。

 僕たちホモ・サピエンスと、ネアンデルタール人の違いはなにか?

 実は、脳も身体もネアンデルタール人の方が大きかったのに、なぜ、僕たちサピエンスの方が生き残り、ネアンデルタールの人たちは絶滅してしまったのか?


 大きな違いの一つが「想像力」です。

 僕たちサピエンスの人々だけが『虚構』すなわち架空の事物「イメージ」について語れるようになったらしいのです。


 『虚構』の世界とは、イメージの世界。

 現実じゃなくて、想像の世界。

 サピエンスの人たちは、主観的な世界観を作り出しました。

それは彼らが残した壁画などを見ると良く分かります。

壁画には『神』や『呪術的』なイメージがたくさん出てきます。

それら「想像力」は家族という小さな集団を超え、村や国といった集団の帰属意識、つまり「僕たちは同じ村の仲間だ」「同じ考えの仲間だ」「同じ目的の仲間だ」というような共通・共同の感覚・意識を作り出しました。

たくさんの人が一緒に持つことが出来る「イメージ・想像の世界」を作り出したのだそうです。

 「神」もそうだし、「信念」や「信条」、「社会のルール」などもそう。

 僕たちがいま、普通に使っている「お金」もそう。

お金は「紙」

紙幣は「印刷された紙」でしかないけれど、みんながそこに「価値」という共通の認識を持っているからこそ、貨幣経済が成り立っているのです。

 多くの日本人が、「他人の目を気にする」「周りに合わせようとする」とか「礼儀正しい」「生真面目」とか、外国の人たちと違うと感じるのは、

日本人がそういう『集合意識』を持っているから、あるいはその『集合意識』に所属しているから、ということなんでしょう。

 人類としては先輩だったネアンデルタールの人々は、こういったものは構築しなかった、出来なかったらしいのです。

(ネアンデルタール人)

結果、彼らは血のつながったせいぜい20人程度の家族単位でしか、グループを作れなかったそうなのです。

 一方、サピエンスの人々は自らが作り上げた『虚構』イメージである「私たちは血はつながっていないけれど、

「同じグループ、考え方、枠組みに所属している大事な仲間だ」

「だから、みんなで一緒に行動しよう、協力し、ともに助け合っていこう」

に意識を合わせることが出来ました。


 そして、多くの見ず知らずの人たちが一緒に連携を取ることが可能になり、数百人規模の大きな集団を作ることが出来たのです。

 狩りをするとき、集団が大きい方が獲物を効果的に一気に捕獲できます。結局、その集団の大きさの差が、その後のサピエンスとネアンデルタール人の未来を決めたらしいのです。

 こうやって想像され、作られた数々の共通の概念や共通の認識を『集合意識』と呼びます。

 注がれる「意識」というエネルギーと、それが維持されてきた「時間」を蓄えて、『集合意識』はどんどん成長します。

 そして成長した『集合意識』はそれ自体が“磁石”のように人を引き寄せ、人々のエネルギーを取り込んでさらに成長していきます。 

 『集合意識』は、誰かが作った「概念」に大勢の人間の「意識」というエネルギーが集まって、より巨大なものに成長していきます。

 それはあたかも物理的な形や重量がある存在のように認識されて、人は気づかずにその巨大な『集合意識』に取り込まれてしまうのです。

 同じ『集合意識』の中にいることで、人は名前も知らない他人と一体感を感じ、そして協力し合うことが出来るようになります。


 野球やサッカーなどの応援する人たちを見ていれば、良く分かります。

彼らは「~のファン」という集合意識の中にどっぷりと入り込み、集団というエネルギーの一部となって同じ(ような服装)を身に着け、同じ行動様式を取り、同じ意識のもとで語り合っています。

サッカーファンの集合意識
熱狂して、同じ集合意識に入る

集合意識は所属することで「私は、ひとりじゃない」「みんな、同じだ」「仲間なんだ」という事を感じさせてくれるので、とても安心するし、気持ちがいいのです。

エネルギーもひとりの時よりは強くなります。


「それって、当たり前だよね」

「それ、ふつう」

 という感覚が「集合意識」の、感覚だと思います。

そう、「サピエンス全史」を読んでいるとき、僕はそれが見えたのです。

幻想、幻視かもしれないけれど、それは空中に漂っていました。

㉑話、後編へつづく

★新刊です

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素晴らしいご感想も頂き、著者冥利に尽きます。




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