日々雑感「「生きている」それだけで「すごい」こと」
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何かのお役に立てれば、嬉しい限りです。
本編の前に、ちょっとだけ、お知らせです。
★3月6日、脳梗塞から奇跡的生還を果たした「ぶちさん」とお話会をやります。(僕はステージ4の肺ガンからの生還者)
よろしければ、お越しくださいね。
お申込みなど、詳細は下記イベントページをご覧くださいね。
★仲間づくりのお話会(無料)もやっています。(2月27日13時~14時)
★現在このnoteで連載中の「5年後も、僕は生きています」
第1話から読みたい方は、こちらから読むことが出来ます。
今日は「「生きている」それだけで「すごい」こと」について書いてみました。
ガンになって感じたことです。
本にも書きましたが、ガン闘病中(2016年9月~2017年6月)のときのことです。
クリニックに行く途中の電車で、目の前におじいさんが座っていました。
年齢は70歳くらいでしょうか。
そう、白髪で眉間にしわを寄せ、苦しそうな表情で、目をつぶって、寝ていました。
(こんな感じのおじいさん)
以前の僕なら、気にも留めなかったでしょう。
おじいさんの存在すら、気づかなかったでしょう。
でも、その時僕は「肺癌ステージ4」。
医者からも「1年生存率3割」「5年生存率10%以下」と言われていました。
おじいさんの顔を見た瞬間、
ああ、すごい!
この人、この年齢まで生きてるんだ!
すごい、すごいよ、おじいさん!
あなたは本当に、すごい人です!
そういう感嘆と賞賛の気持ちが湧いてきました。
僕はきっと、このひとの年齢までは生きることが出来ない。
たぶん無理だ
いや、絶対に無理だ
そんなに長くは生きれない
僕に無理なことを…
僕に不可能なことを…
もうすでに実現している…
あなたは、ほんとうに「すごい」です!
ガンになるまで明確に、いや、明晰に自覚していませんでしたが、
僕たちはいつかは死にます。
でもそれは「いつか」であって、目前に迫ってきているものではありませんでした。
それまでの僕は、「思考」の中で、いつかはやって来る「死」に対して準備をしてきたつもりでした。
「死ぬときに、後悔しないようにしよう」とか、
「笑って死ぬために、やりたいことをやろう」とか。
でも、そんな「思考」の作り出す「対策」は、現実の死の恐怖の前では無力でした。
考えた「対策」で何とかできるほど、「死」は甘くなかったのです。
そんなこと、目の前に迫り来る「死」の前では、役に立ちませんでした、僕の場合は。
当時の僕は、ただひたすら、「死」に圧倒される、という日々だったのです。
人は必ず死にます。
それは、必ずやって来ます。
ガンであろうとなかろうと「そのとき」は、必ずやってきます。
そもそも「死」とは何なのか?
では「生きる」って何なのか?
この3次元世界で肉体という乗り物の中に入っている「魂」って、何なのか?
いまは多少「自分なり」の答えは出ています。
僕にとってその答えにたどり着くための「道/ツール」として、『瞑想』は役立ちました。
まあ、とにかく、長生きするってことだけでも、十分以上に凄いことです。
僕はあのとき、心の底から
「あなたはすごい!」
と、感嘆しました。
それは僕自身が「おそらくもう長くは生きることが出来ない」という心境だったからこそ、切実に感じられたのでしょう。
あれから約5年が経ち、(幸い、生きて今日を迎えています)僕の心境も変わりました。
いま、切実に「もう長くはもう長くは生きれない」という状態ではありません。
でも、いつ再発するかは「神のみぞ知る」です(実際、抗ガン剤も飲んでます)し(ちょうど今日、定期診察に行きます)、
明日、事故に合うかもしれないし
明日、隕石が頭に当たるかもしれません(笑)
だからこそ、ありきたりの言葉ですが
「いま・ここ、そして、今日を、精一杯、生きる」
ということが大切なのだと、思うのです。
プラス
「丁寧」に。
僕たちは「いま・この瞬間」にしか、生きること(存在すること)しか出来ないんですからね。
さといぬ、ぜひ、読んでください。
人生は一度きり、一回きりの真剣な「遊び」です。
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