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大牟田 商店街font旅

はじめに


福岡県大牟田市はかつて炭鉱の町で栄えた。その繁栄ぶり、町の輝きはいまでは想像がつかないほどだったという。
1954年頃は人が溢れんばかりだった新銀座商店街。この辺り一帯には松屋デパートが建ち、ハイカラな場所だった(地元の人の証言より)。
昭和レトロな場所としてよくネットでも取り上げられるが、老朽化が激しくはっきりいっていつなくなるかわからない。
そこで、今回はこの銀座商店街をアーカイブ化することにした。

コンセプト


かつて炭鉱の町として栄えた福岡県大牟田市。
町にはデパートが建ち、商店街は人で溢れた。
時は流れて炭鉱は閉鎖。今では町はほぼ廃墟と化している。
いずれはなくなるかもしれない商店街に、昔はどのような店があったのか記録を残したく、看板をアーカイブ化することにした。

手法

手法は、廃商店街を端から端まで歩き、現存する看板を一つずつ撮影。

撮影後、フォントをゴシック体、丸ゴシック体、明朝体、デザインに分類し、

お店の種類を飲食店、衣料などにカテゴライズした。

写真


結果

新銀座商店街に使用されているフォント(単位は看板や案内板の個数)

ゴシック体 15
筆書体 14
丸ゴシック体 7
明朝体 6
デザイン 3

新銀座商店街のお店の分類結果(単位は店舗)

衣料 17
飲食店 6
食品 4
時計・貴金属 2
その他 7

考察

私達はついつい商店街の個性的なフォントにだけ目が行きがちだが、
今回のリサーチの結果新銀座商店街に溢れる文字は多くがゴシック体や筆書体であることがわかった。
これらは当時の職人が手書きで書いたものであるが、
デザイン性・個性の高いフォントというよりむしろ可読性の高いフォントが使われている。
『大牟田市の産業と観光』によると、新銀座商店街ではお店の前の通路に商品を並べ、接客をしていた様子が見られる。
看板とは客を呼び寄せる広告のためのものではなく、名刺のような役割だったのではないかと推察できる。
これは現代の町づくりなどと真反対だと言わざるを得ない。
現代の町づくりでは廃れた町中や商店街にいかに人を呼び込むのかを考えている。
そのために様々なブランディングを行っているが、そもそも昔の消費者の行動と今の消費者の行動は異なるのではないだろうか。
商店街とは本来、人の動線があってそこに合わせて成り立ってきたはずだ。
決して商店街が先にあってそこに呼び込むための動線を作るわけではない。

一般的に商店街と聞くと八百屋や魚屋などを連想するが、
新銀座商店街はデパート近くの商店街ということもあって、衣料品店が最も賑わっていたようだ。
地元の人の証言でも、このあたりの通りは東京の銀座と張り合えるくらいハイカラな場所という認識だったらしい。
炭鉱の閉鎖後、デパートは解体され、それに伴い新銀座商店街も人の利用がなくなった。
いや、そもそも消費者の行動は時代と共に変化している(地元の仕立て屋や商店街のセレクトショップで買わなくなった)。
ここで疑問に思うのが、新銀座商店街で買い物をしていた人たちは誰なのだろうという点だ。
私は元炭鉱マン数人と話したことがあるが、彼らが買い物に出かけていたという話はあまり聞いたことがない。
主に彼らは飲みに出かけていたようだ。
また、昨今の商店街衰退のステレオタイプなイメージから、地元住民でさえも正しく過去を回想できていないように思う。
(例えば「食料品を商店街で買わなくなり、スーパーで買うようになった」など。だが、前述の通り新銀座通りでは衣料のお店が多かった)
当時買い物をしていた人たちは今どこにいるのか。
今後は歴史を掘り下げるワークショップなどしてみたい。

リンク

この取組をウェブサイトにまとめてみました。
商店街の3Dモデル等あります。

私のポートフォリオ。
過去作品などご覧になれます。


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