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❖関ヶ原の不義理者❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年12月27日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆関ヶ原の不義理者◆
いよいよ、大河ドラマの「晴天を衝け」も最終回となった。江戸末期から明治・大正という時代設定なのだが、ナレーターに徳川家康を起用するというのはなかなか興味深かった。なぜ徳川家康が起用されたのか。それまでのステレオタイプな見方ならば、徳川家康から始まる江戸幕府の枠組みを否定して、御一新の下で明治がスタートとなるだろう。しかし、今回の大河ドラマでは、明治の世になっても大正の世になっても、ナレーターとして引き続き徳川家康が出てきていた。これは江戸の枠組みを礎としながら、発展的解消をする形で明治以降の近代日本が存在するという見方だったのではないか。ということは、江戸幕府をスタートする上で重要な戦いであった「関ヶ原の戦い」が近代日本を生み出す大切なきっかけであったと考えることもできるだろう。

そんな「関ヶ原の戦い」は、天下分け目の戦いなどと言われるが、石田三成が属する西軍が優勢だったとされている。しかし、小早川秀秋の裏切りで、彼が徳川家康の東軍に加勢したことにより、最終的に勝敗が決したわけである(小早川秀秋が裏切ったのは事実だが、その経緯については様々な議論がある)。裏切りは「不義理」な行為であり、小早川秀秋のイメージはあまり良いものとされていない。当時は、まだまだ争いが絶えない状態で、義理というのがどこまで大切にされていたかというと難しいところである。

しかしこれを現代に置き換えたとしても、義理というのは明確な契約ではないし、裏切りに対して何らかの責任を問うことが果たしてできるのだろうか。確か、以前にどこかの会社が学生に「内々定」を出していたが、内定解禁日直前に半数の学生がその「内々定を取り消された」というニュースがあった。内々定は正式な内定ではなく、労働契約も成立していないので、その取り消しについて違法性はないが、判例によれば、取り消しの時期が遅くなると「信義則」に反した不法行為と扱われる場合もあるらしい。確かに内々定はあくまでも仮のものと言いながら、相手方へ「一定の期待」を持たせるだろうし、「他の面接試験を見送る」こともあるだろう。それを勝手に期待したのは相手方だとして、内々定を出した側が「責任を曖昧にする」のは「信義則」に反するもので、「不義理」な行いと考えることができる。

先ほどの関ヶ原の戦いに話を戻すと、あくまで結果論だが、小早川秀秋の「不義理」によって江戸幕府はスタートし、その後、明治への発展的解消に繋がったわけである。彼の「不義理」は日本古来の「清明心」に照らして考えるとネガティブな評価が与えられるが、その後の日本の歴史にとっては「必要悪」だったのかもしれない。よく歴史に対して「たられば」はタブーと言われる。あのタイミングで江戸幕府ができていなかったら、日本はどうなっていただろうか。その仮定で歴史が進んでいたら、1900年前後の時期、少なくとも今回の大河ドラマのような日本ではなかっただろう。もしかしたら、当時アジアに迫っていた列強の脅威を考えると、もっと悪い状況だったかもしれない。これもまた「塞翁が馬」と考えることもできそうである。
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