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●オリムピックこぼれ話●~その拾(最終回)~

★1964年10月25日の朝日新聞…東京オリンピック幕を閉じる
★1964年10月24日の朝日新聞…東京オリンピックきょう閉会式

1964年の東京オリンピックは10月24日に終わりを迎えたが、北京冬季オリンピックも本日終わりを迎える。

この前の夏に開催された東京オリンピックでも感じたことだが、幕を閉じたということですべてよしにし、感動ばかりに焦点を当て、過程の中にある課題から目を背けるような姿勢ではいけないはずである。課題について考えようとすると、終わったことだからこれからは未来に視点を移すべきだといって過去の事実を精査するのを避ける言動が出てくることがよくある。実際、夏のオリンピックの検証は曖昧なままである。それでは「日本は自分の力で変わることができないという証明」にしかならない。それにもかかわらず、2030年の札幌冬季オリンピック・パラリンピックを招致しようとする動きが着々と進んでいるのは非常に気になるところである。

このままでは、ペリー来航やGHQの占領のように、外圧がなければ変わることができない国であることを世界に対してマイナスの意味でアピールし続けてしまうことになるのではないか。

もちろん未来に向けて考えることは大切である。しかし過去を忘れて、あたかもリセットのような形で進んでいくことが「未来を考えること」ではない。もし過去を忘れて、未来のことだけを見てしまえば、同じような過ち・失敗が起こりそうなときに、それを防いだり回避したりすることはいつまでもできない。

「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」
これは1985年当時、西ドイツの大統領であったリヒャルト・カール・フライヘア・フォン・ヴァイツゼッカーが、1985年5月8日のドイツ敗戦40周年記念日において行った演説の一節である。この言葉はこれまでも何度か別の投稿で引用してきている。

やはり「過去」をしっかりと受け止めながら、「未来」をどうしていくべきか考えて、「現在」を真剣に生きるということが大切なのである。

平和の祭典であるオリンピックは、キラキラしたポジティブな部分だけに目を向けるものではなく、平和が根本・本質として実現されるように、過去の影のような部分からも目を背けず真剣に考える機会であってほしいと思う。だからこそ、大会が終わったら何もかもが終わりではなく、「大会はあくまでも平和について考えるきっかけ」で、むしろ本番はこれからなのである。

開催国内での新疆ウイグル自治区に関わる人権問題、アフガニスタンのタリバン政権の現状、ミャンマー軍事政権による民衆の弾圧、北朝鮮のミサイル問題、そしてウクライナ情勢である。特にウクライナ情勢は刻一刻と軍事行動に繋がる雰囲気が高まっており、はっきりとした行動が起こっていないのはオリンピック休戦を一応守っているからであって、閉会と同時に攻撃開始もありうるのではないかと心配している。

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★1964年10月14日の朝日新聞…ソ連船員が「五輪亡命」第一号
★1964年10月25日の朝日新聞…亡命求める、ハンガリー選手また一人

この前の東京オリンピックでもベラルーシの選手が第三国への亡命を求める出来事があったが、こういった出来事は最近に始まったことではなく、1964年大会でもあった。
当時は冷戦期であり、東側(ソ連を中心とした社会共産主義陣営)からの亡命が相次いだが、ベラルーシもかつては東側の国であり、本質的に通ずるところがあるのではないだろうか。

社会共産主義の国であったソ連やハンガリーでは、思想や言論の統制・計画経済など、社会共産主義の負の側面が顕在化しており、そこからの解放を求めての亡命がたびたび起こっていた。ベラルーシは、現在のルカシェンコ大統領が「欧州最後の独裁者」と呼ばれるような強権的な政治が行われている国であり、やはり政治的・人権的な抑圧からの解放を求めたものであったと考えられる。直近ではロシアとベラルーシの会談が行われており、ウクライナ情勢にも関係するものと考えられる。

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★1964年10月24日の朝日新聞…「ザンビア共和国」きょう誕生
★1964年10月25日の朝日新聞…(1面)閉会式の記事

オリンピックは二週間前後の出来事であるが、1964年の東京大会の期間中に新しい独立国が誕生した。独立前は「北ローデシア」と呼ばれていたが、1964年10月24日に正式にイギリスから独立し、「ザンビア共和国」として新たな歩みを始めたのである。

そのため、開会式の入場では「北ローデシア」として国旗を掲げていた。しかし、閉会式の入場では「ザンビア共和国」として国旗を掲げたのである。しかも、正式に独立が決まったところから、わずか10時間後に新しい国としてプラカードや国旗を掲げ入場したということで、とてもインパクトのある出来事だったことだろう。

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★「オリムピックこぼれ話」は北京オリンピックの閉会のタイミングで、ちょうど切りの良い10回目となった。1964年当時の新聞記事を振り返ることで、日本や世界の状況を改めて勉強することができ、私にとっては様々な気づきが得られた。このように一つの出来事を起点にして、日本や世界に当時存在していた様々な論点の前後関係について考えるのは、学びの形としても面白いなと思ったので、今後も機会があれば実践してみようと思う。

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