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❖断捨離した方がよいものと、決して断捨離してはいけないもの〜Things that should be cut off and things that should never be cut off〜❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年3月10日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆断捨離した方がよいものと、決して断捨離してはいけないもの◆

何度も引っ越ししているのでわかっていることなのだが、本当に私は断捨離が苦手である。家も職場も本やらプリントやらとにかく色んなものが複雑に絡み合い、家ならば足の踏み場がなくなるし、職場ならば机の下は難易度の高いパズルのようになり、机の上は要塞のようになる。机が向かい合わせだったりすると向かいの人からは、徐々に姿が見えなくなると言われるし、両サイドの人からはうず高く積まれる本の壁から圧迫感を受けると言われてきた。

それでも何とか断捨離を進めており、昨日は洗濯機や冷蔵庫やテレビなど大きめの家電を業者に回収してもらった。買取してもらう予定だったが、2年前に買った時にもともと安かったのは需要がない型番だったようで、不用品回収という形になった。

今日も別の業者に折り畳み式のソファベッドを回収してもらう予定である。ソファベッドがなくなると、あとは細々としたものを、覚悟を持ってして捨てるだけである。だが、これまでもこの細々としらものの断捨離フェーズが厄介だと感じている。最初はテンポよく「捨」が進んでいく。それは捨てることを後回しにしていただけだからである。それらは特別な思い入れがなく、家の中にありながら既に「断」の状態になっているし、捨て忘れていただけだから記憶の中になくもともと「離」のため、単に「捨」を実行しさえすれば即座に「断捨離」が完了するタイプのものである。これは「完全・断捨離対象」といえる。

しかし、しばらくすると「捨」のテンポは鈍くなる。最後にいつ開けたのかわからない段ボールなどの中にあるものは、記憶の前線にはないものなので、すでに「離」の状態にある。ただ、この時点では記憶から遠ざかっているだけなので、「不完全・断捨離対象」である。そしてひとたび箱を開いてしまうと、記憶が戻って来て、「離」ではなくなってしまう。すると、一つひとつの物が本当に「捨」なのかどうか再確認が必要であると感じるようになり、「見る→捨てる」というシンプルなメカニズムではなくなって、「見る→本当に『捨』に該当するか再確認する→捨てる」と一手間増えた結果、テンポは鈍くなる。

この2年間開かずにいた段ボールの中身なので、それがなくなることは死活問題ではないはずである。だからそのまま「離」の状態を維持して「捨」に移行すればよいものを、念のためということで段ボールを開けてしまうから、せっかく「離」だった状態をリセットすることになってしまうのである。そして、再び必要か不要かという葛藤が生まれ、そのうち片づけにおける悪魔の言葉「もしかしたら」「念のため」によって、残しておくという判断が生まれ、「非・断捨離対象」が増えていってしまう。

さらに、私のようにいくつもの学校を渡り歩いていると、それぞれの学校での思い出の品が増えていく。それ自体は現在の生活で活用するものではないのだが、捨ててしまうと再び手に入れることができないという「不可逆性」・「唯一性」・「非代替性」によって、捨てるに捨てられないものであり、「非・断捨離対象」として、こちらも時間ともに増えていく。それでも過去は振り返らないという毅然とした態度で、過ぎた時間への思い入れから自分を解放できれば「断」が実行され、思い出の品も「断捨離対象」にすることは可能である。しかし私は、「懐かしさ」にとても弱いタイプで、思い出の品とかアルバムとかを見始めると、いつまでも「懐かしさ」に浸ってしまい、片付けが全く進まなくなる。

だから、「もしかしたら」「念のため」「懐かしさ」などによって、「非・断捨離対象」がどんどん増えていくわけである。

昨日も細々としたものを片付けているとき、迷うものを見つけてしまった。それは思い出の品というわけではないので「懐かしさ」はない。また普通に考えたら使う機会などないものなので「もしかしたら」「念のため」とも無縁のものなのだが、なぜか「非・断捨離対象」に思えてしまうものであった。

それはかなり前に購入した映画『ロードオブザリング』についてきたおまけで、「モルドール特別通行許可証」というカードであった。DVD自体がブックオフで購入した中古品だったので、このカードを手に入れた時点で、これを利用するキャンペーンは遠い昔に終わっていた。そのため利用価値はゼロに等しいものだが、当時の私が捨てずに残しておいたのは、何かの「ネタ」になるかもしれないという気持ちだったと思われる。

しかし特に「ネタ」にならないまま、他の荷物の中に紛れ、忘れ去られ、偶然、今回の引っ越し作業で発見されたわけである。

このカードによって通行が許可される「モルドール」というのは、映画『ロードオブザリング』に出てくる国の一つである。映画では人間、ホビット、エルフ、ドワーフ、イスタリ(魔法使い)、オークなど様々な種族が登場し、人間が治める国の中で中心的地位を占める「ゴンドール」と対比されて描かれるのが「モルドール」であり、「サウロン」が統治していた。「サウロン」は主人公たちの最大の敵であり、原作者のトールキンによると、イスタリ(魔法使い)のようである。「サウロン」はオークを従えて、闇の魔法や暴力や恐怖などを用いて自らの支配地域を広げていた。

映画の原作『指輪物語』の執筆が始まったのは1930年代後半からとされていて、最初の出版は1950年代中盤である。原作者のトールキン自身は第一次世界大戦に参加しているので、国同士・人間同士が争うことの悲惨さを肌で感じているし、第二次世界大戦もイギリス人のトールキンにとって心に刻まれる出来事であったと思われる。そのためロードオブザリングの世界は、現実の世界と重ね合わされて語られることが多い。そこでは、「モルドール」はナチス・ドイツ、「サウロン」はヒトラーをイメージしているのではないかと言われており、ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリーでも同様の解説をしていたと記憶している。

ただトールキン自身は生前、次のように話している。
「私は、真実か作り話かを問わず、読者の思考や経験へのさまざまな「適応性」を備えているという点から、歴史を大いに好みます。多くの人が「適応性」と「寓意」とを混同していると思いますが、前者は読者の自由な捉え方の範疇にあるもので、後者は著者の意図的な支配の範疇にあるものです。」
I much prefer history – true or feigned– with its varied applicability to the thought and experience of readers. I think that many confuse applicability with allegory, but the one resides in the freedom of the reader, and the other in the purposed domination of the author.

ここからトールキンは、作者である自分自身が積極的に何かを暗示として『指輪物語』に込めていることについて否定的だったように思われる。彼は読者の自由な捉え方に重きを置いており、そこから「モルドール」も「サウロン」も固定的なイメージで捉えられるものではないということを伝えたかったのかもしれない。

だが、作品が執筆された時期を考えると、当時暴力や恐怖によって世界を蹂躙した国や指導者を結びつけずにはいられない。現在、ウクライナ情勢においても、「モルドール」や「サウロン」のような暴力・恐怖がウクライナを蹂躙し、国際社会の平和と安全を揺るがしている。映画では人間・ホビット・エルフ・ドワーフ・イスタリ(魔法使い)など様々な種族が、旅の仲間としてお互いの違いを超え、力を合わせて「サウロン」と戦っている。映画の第二部では、人間たちは「ヘルム峡谷」に籠城した。「サウロン」の手先の猛攻に落城寸前まで追い込まれていたが、イスタリ(魔法使い)の「ガンダルフ」などが救援に駆けつけ形勢逆転となり、人間側の勝利となる。第三部でも、人間たちの国「ゴンドール」の都ミナス・ティリスが「サウロン」の軍勢に攻め込まれるが、人間の「アラゴルン」・エルフの「レゴラス」・ドワーフの「ギムリ」たちが幽霊の軍勢を仲間に引き入れ、援軍としてやってくる。そして、見事に「サウロン」の軍勢を打ち負かすのである。

『指輪物語』の大切なテーマの一つには「友情」があるとされるが、様々な種族が違いを超えて、力を合わせ、暴力や恐怖と戦う姿は、ウクライナ情勢においても尊重されなければならないものではないだろうか。現在のウクライナは、「サウロン」たちに攻撃されている「ヘルム峡谷」や「ゴンドール」のような状態である。映画の第一部では、様々な種族は互いに猜疑心を払拭できていないため、自己保身が優先され、他者のために戦えていない様子であったが、NATOやEUを始め、世界の国々のウクライナ情勢での対応はちょうど第一部のようなものに思えてしまう。
"Friendship" is said to be one of the important themes of "The Lord of the Rings", but the appearance of various races transcending differences, joining forces, and fighting violence and fear is respected in the situation in Ukraine. Isn't it something that must be done? The current situation in Ukraine is like the "Helm Canyon" and "Gondor" being attacked by "Sauron". In the first part of the movie, the various races could not dispel each other's suspicions, so self-protection was prioritized and it seemed that they could not fight for others. The response to the situation in Ukraine in the countries of the world, including NATO and the EU, seems to be just like the first part.

国際社会には、映画の第二部や第三部のような動きを見せてほしい。自己保身という目先の利益によって、「平和や正義の断捨離」は決して行われてはならない。
I want the international community to show the movements of the second and third parts of the movie. The immediate benefit of self-protection should never be "cutting off peace and justice."

さて、現在このような形で、「モルドール特別通行許可証」はしっかりと「ネタ」になっており、かつての残しておくという判断はあながち間違っていなかったのではと、当時の自分を擁護しておきたい。しかしこれに味をしめてしまうと、「非・断捨離対象」の増加に歯止めがかからず、レンタル倉庫は飽和状態になってしまうし、いざ整理しようと思っても荷物がありすぎて何から手を付けてよいか分からなくなってしまう。

部屋の明け渡しのタイムリミットが迫っている。しかしそのプレッシャーに負け、思考停止に陥り、とりあえずレンタル倉庫で入れておこうでは、いつまでも問題は解決しない。レンタル倉庫は非常に便利だが、「保管」と「先送り」の境界線が曖昧な空間であり、その曖昧さに甘えてしまっているのは事実である。(海外の勤務先に荷物を送ってしまうという技もあるが、現在はEMSでしか送れないらしく高くついてしまうので、できればそれは避けたい)

「荷物の断捨離」の前提には、「先送り意識の断捨離」が不可欠だと痛感している。「ガンダルフ」に頼んだら、魔法の力で何とかしてくれるだろうか。

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