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★我楽多だらけの製哲書(31)★~藍より出でて『愛』となるラオスの青さと荀子~

先月の終わりまで静岡県の御殿場で「赤のラオス展」というイベントが行われていた。行きたいと思っていたが、なかなかスケジュールが合わずに先送りしていたら、終わってしまった。そんな残念な気持ちを紛らせるために、去年東京で行われた「青のラオス展」についての振り返りをしようと思う。

このイベントは2020年6月に開催された。当時私は、日本に戻ってきて3カ月経っていたが、ラオスで過ごした1年間をとても懐かしく感じていた。そして、あの時間がいかに「ぜいたく」な時間であったのか、フルタイムで働いていると、よりそれを感じざるを得なくなっていた。

ラオスでは週3回が授業日で、それも授業開始が午後3時過ぎなので、出勤は2時半くらい。それより前の時間はというと、家の近くのカフェで本を読んだり、問題集や書籍に文章を提供するため執筆をしたりして、ゆったりとしたラオスの時の流れを満喫していた。授業日以外は、自転車に乗りナンプ―広場の方のカフェをはしごするのが楽しみだったが、途中、「タートダム」の周囲のゴミ(特にプラスチックゴミ)を拾うのを日課としていた。

また授業日の日も、授業は夕方の6時過ぎに終わるので、家に戻ってからメコン川沿いの長く続く道路を自転車で走るのも楽しかった。それから、夜の散歩でタートルアンの近くまで行き、パトゥーサイの方に戻ってくるいつものルートの中で、「ヤモリ」たちと戦うのも本当に楽しかった。

そんな懐かしき「ラオス」を久しぶりに思い出させてくれることを期待して「青のラオス展」を訪れた。イベント会場は古民家を借りる形で行われていた。下町の雰囲気が漂う北千住の路地を歩いていると、懐かしいが、この雰囲気には不釣り合いな人たちが、私の前方から歩いてきていた。その人たちは巻きスカートを身に着けていた。巻きスカートといっても、日本では珍しいデザインの巻きスカートであった。しかし、私にとってはとても懐かしい光景だった。

その巻きスカートは鮮やかな色が使われているが全体としては黒を基調とした落ち着いたデザインの巻きスカートであった。それはラオスの民族衣装「シン」であった。ラオスでは至る所で見かけた「シン」を身に着けた女性であるが、日本に戻ってきてからは初めての遭遇である。私がこれから向かおうとしている古民家のイベント会場は入り組んだ路地裏にあるようで、方向音痴の自分はたどりつけるかとても心配であったが、これから向かいたい場所から彼女たちが歩いてきてくれたので、方向は間違っていないという自信を持つことができ、とても心強かった。そして懐かしい気持ちになれたので、とても嬉しかった。

「シン」を身に着けた女性たちとすれ違って間もなく、とても落ち着いた雰囲気ではあるが、家の作りや色使いが特徴的な家が見えてきた。そして入り口に「青のラオス展」という表示があった。もし、さきほどの「シン」を身に着けた女性たちに会わなければ、そのまま通り過ぎかねないような入り組んだ路地だったので、彼女たちには感謝しなければならない。

建物の中には数名がいたが、イベントの主催者が別の訪問者とラオスの話題で盛り上がっていた。私はその人たちを横目に、イベント会場の奥まで進み、ラオスにいたときにも見かけた織物の懐かしい雰囲気を楽しんでいた。織物は基本的に藍染めであるが、レンテン族、タイルー族、モン族の引き継がれてきた技術が織りなす作品によって彩られた青の空間は、涼し気な雰囲気を漂わせていた。

「君子曰、學不可以已。青取之於藍、而青於藍、冰水爲之、而寒於水。」
これは『荀子』の一節であるが、書き下ししたならば「君子いわく、学は以てやむべからず。青は之れを藍に取りて、藍よりも青し。氷は水これをなして、水よりも寒し。」となる。

これは「弟子の方が師匠よりも、修養を進めることができる」ことを例えたものと伝えられているが、オリジナルの要素を引き継ぐものは、オリジナルの良さを洗練させ、より良いものに発展させることができるということだろう。

藍草は確かにオリジナルの青さを持っているわけだが、自身に当たり前に備わっているがゆえに、青さの価値や素晴らしさを十分に理解していないのである。これに対し、その青さを抽出しようとする者は、青さに一種の憧れを抱き、その青さの価値や素晴らしさ、それは青さの魅力ともいえるが、それを最大限に引き出したいという強い意志を持っているため、青さの魅力が増幅されるのである。その結果、もともとの藍草が自覚しているものとは比較にならないくらい、青の魅力は増すわけである。

私がこの日、訪れた青の世界は、まさに藍草の潜在的な魅力を最大限に引き出した空間であった。本人が気づかないその人の魅力は、その人の周囲にいる支持者・理解者の熱意も加味されて、大いに引き出されるのである。このイベントの主催者はまさに、ラオスの織物の魅力に対する一番の支持者・理解者として、それを多くの人に伝えたいという熱意を持っていた。そして、ラオスの織物とラオスという国そのものの魅力が最大限に引き出されていた。藍より出でた青であるが、そこには大いなる「愛」があった。

日本に戻ってきて気づくのは、ほとんどの人がラオスという国を知らないということである。ラオスが国かどうか分からないというのも珍しくはない。そしてラオスに住んでいて感じたのは、ラオス自身は世界に向けて、その魅力を積極的に伝えたいという強い思いをあまり持たないのんびりとした国だということである。何もない国と表現されるゆえに、知られる可能性も低いラオスであるが、そこで生活した者としては、多くの人にもっと魅力を知ってほしいし、たくさんの魅力がある国であると確信を持っている。

この「青のラオス展」のように、ラオスの魅力を伝えたいという熱意を持つ支持者・理解者の活動によって、ラオスが紹介される機会が増えてほしいと感じている。私もラオスの魅力を知ってもらえるように、勤務校の生徒や先生にラオスの話をしていこうと思う。

#哲学   #荀子   #青のラオス展   #赤のラオス展
#ラオス   #青は藍より出でて藍より青し

(以下では、青のラオス展で購入したカバンやコースターやノートだけでなく、ビエンチャンに住んでいた時に買った青のネクタイもせっかくなので紹介する)

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