アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run25
⭐「イロ・イチ・カタチ ✖ モジ・キモチ」⭐️
(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)
何かを表現したいとき、文字よりは絵や図を利用する方が性に合っている気がしています。昔から、よく絵を描いていたことの影響が大きいのではないでしょうか。
図書館は好きだったのですが、それは文字情報を受け取るのが得意で、本をたくさん読める場所だからということではなかったと思っています。
色とりどりの背表紙(色=イロ)、それがカオスかコスモスか本棚に並べられ(位置=イチ)、ツルツルした素材のソフトカバーとザラザラした素材のハードカバー、大きさや厚みなど(形=カタチ)、個性だらけの本たちが踊る図書館は、積み木のような、パズルのような「空間」として大好きだったのです。
「本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。」
私は梶井基次郎の『檸檬』のごとく黄色い爆弾こそ設置はしませんでしたが、たくさんの本の集まりを色彩とか形とかで捉えていた点では似ているかもしれません。
つまりは、昔から左脳よりは右脳での情報処理のタイプだったのだと思います。それを言い訳にするつもりはありませんが、「行間の読解」よりは「空間の把握」の方が向いている気がしていましたし、今もそうだと思います。
その結果、現在でも何かの情報を理解しようとするとき、自分は語句同士を矢印で繋いだり、集合で括ったり、記号で差別化を図ったり、「関係図」として捉えるとしっくりきますね。最近、執筆した書籍でも倫理の情報をまとめるとき、「関係図」を載せてみると分かりやすいのではないかと考えました(今日の記事で添付したノートの画像は、関係図をどうするか試行錯誤した形跡です)。
ただそれはあくまでも私にとっては分かりやすい情報のまとめ方・示し方であって、万人受けするものではありません。大抵の人にとってそれは自明のことだったかもしれませんが、私は教員になってからけっこう長い間、それに気づかないまま、いかに分かりやすい「関係図」をつくり上げるかということだけを追求していた気がします。
それを端的に表現すると、「矢印・集合・記号を駆使して、大量の情報の中にある本質的な関係性をどこまでシンプルな図にできるか」でした。
ただ、それにこだわればこだわるほど、文章・文脈・心情といった文字情報での理解が得意な生徒たちを混乱に陥れてしまっていたと思います。
そのような問題点が分かったとしても、授業での表現がガラッと変わるものではありませんでした。また表現に気をつけてはいるものの、長らくこだわってきた情報処理の癖は、油断すると顔を出してしまうのは避けられない事態でした。
そこで最近は、文章・文脈・心情といった文字情報(モジ・キモチ、左脳情報であり、理性で捉える情報)は、教科書をベースに説明文の空所補充の形式で、授業プリントに反映させることにしています。そして、矢印・集合・記号といった画像情報(イロ・イチ・カタチ、右脳情報であり、感性で捉える情報)は、板書で示すようにしています。
「イノベーションに成功する者は左脳と右脳の両方を使う。数字を見るとともに人を見る。」
これはユダヤ系オーストリア人経営学者であるピーター・ドラッカーの言葉です。この言葉はイノベーションについて述べていますが、これは他の分野にも通ずる本質を示していると思います。やはり、どんな分野も、左脳(主に理性に関わるもの)だけでは不十分であり、右脳(主に感性に関わるもの)と連動することで、相乗効果が伴い、より良い結果を生み出すわけです。ドラッカーの言葉では、右脳と人が結びついていますが、ここでいう人とは心情のような意味ではなく、左脳が処理する「理論としての数字」と対比される「実態としての人」を意味しているのだと思います。
これは教員という仕事で考えた場合、教科学習においても、探究学習においても大切なポイントといえます。様々な分野をヒントにすると、授業改善のための試行錯誤も活性化されますね。
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