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❖「ノベル」な書き出し「述べる」だけ(第15話)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2023年6月17日)
(小説っぽい書き出しで表現してみるシリーズ)
異なる国での似ている経験。
中華料理屋さんで麺料理を注文しているのにもかかわらず、麺を選択する申し出には拒否の意思表示をして、店員に不思議な思いをさせたシンガポール。
インド料理屋さんの店内で食べる注文なのに、カレールーとサラダしか頼まず、ライスやナンの提案には拒否の意思表示をして、店員に不思議な思いをさせたラオス。
どちらの国でも店員は、その不思議を厨房の方へ持ち帰り、それが笑い話の燃料になっている雰囲気が感じとれた。似ている部分はある。しかしシンガポールのときは、その雰囲気から早く逃げ出したくて、急いで食べ終わり店を後にした。
今回はというと、同じような雰囲気を感じるので気分が良くないのは確かである。だが、ここから早く離れたいという気持ちはなかった。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
「化物の正体見たり枯れ尾花」
オリジナルは後者の方らしく、江戸時代の国学者・俳人の横井也有の言葉のようだ。
かつての私にとって、厨房から漂う雰囲気はまさに化物や幽霊で、恐怖の対象であった。しかし過去の似たような事例での経験が、化物や幽霊に思っていた雰囲気を、この程度なら何ともないと感じる出来事に変えてくれたのである。
経験が私の心を守る盾や鎧になってくれたのだ。同時に、私から恐怖心を取り去ってくれた。
得体の知れない恐怖心はなくなったわけだが、恥ずかしさが皆無になったわけではない。そしてそんな恥ずかしさに耐えられているという実感がある。完全に堂々と、というレベルではないが、確かに耐えられている。
ただ、そのとき耐えることができていたのは、恥ずかしさやそれに付随していた恐怖であって、この店に入る頃から私にまとわりついていた緊張とか恐怖は、恥ずかしさとは異なる根から伸びていて、そのまま残っていた。
そうしたポジティブとは言えないたくさんの感情に包まれてはいたが、しばらくすると、それらの感情に負けて逃げ出すことはしなかった私へのご褒美が到着した。
ダールカレーとグリーンサラダとトニックウォーター。
運んできた店員は、これらを見て、ライスやナンが欠けていると感じたことだろう。しかしテーブルに並べ終わったとき、それらを眺めている私の表情を見て、店員の印象は変わったはずである。
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【本日はここまで、以下は補足、蛇足?】
実体または実態が分からないと、問題が大きく複雑に見えてしまうことはあらゆる場面であると思います。特に楽観的ではない人はその傾向があるのではないでしょうか。私は間違いなくそちらの方です。
取り組まねばならない作業で、漠然と「やらねばならない」と考えているだけの状態だと、非常に面倒で一筋縄ではいけないから、心にも時間にも余裕があるときではないとダメだと勝手に決めつけて、着するのを先送りしがちですね。
しかし作業の実態を把握するため、作業に関わる話を箇条書きででも構わないので、思いつくものから紙に書き出していってみると、優先順位とかアルゴリズムが見えてきて、思っていたよりも厄介ではないことに気づきます。
その結果、化物や幽霊だと思って敬遠していた作業の印象は一変し、計画性を意識できるようになり、分解して取り組める普通の作業になります。
このような実態把握のため紙に書き出すと上手くいったという経験(成功体験)が積み重なっていくと、その経験が先送りしがちの自分を助けてくれることも増えていきます。
それによって最近は、作業に対する恐怖だけが原因の先送りは少なくなったように思います。しかし、恐怖+怠惰という状況もあって、そういう場合には、怠惰が恐怖を大義名分のように前面に押し出してきて、実態把握を邪魔しようとします。
今後の課題は怠惰を叩きのめすことができるように、早い段階で恐怖を取り去る方法の模索です。
作業についてはそのような怠惰の厄介さがあるものの、純粋に心理的なものに関しては、さきほど述べたように、類似した経験が心を支えてくれるので、経験を積めば積むほど、盾や鎧は強固なものになっていきます。
そうして私はインド料理屋さんに漂う雰囲気に耐えたのでした。
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