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❖意味の意義?意義の意味?❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年1月21日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆意味の意義?意義の意味?◆
先日の散歩では、様々な発見があった。公園の中をウロウロしてみると、公園のある部分に不思議なものを発見した。

公園の内側の地面は砂利になっていて、遊具やベンチはそこに設置されている。公園利用者のほとんどは、この砂利や石畳の部分を行き来する。それを取り囲むように草と土があり、それは公園を縁取って、公園とその外側を隔てるような役割を持っていた。

草と土は砂利や石畳よりも一段高い構造になっていて、草と土が低い方へ崩れないように大きめの石が組み上げられて、ちょっとした石垣になっている。この石垣の所々に不思議なものがあった。

石垣の上に、小枝が集まっていたのである。風のいたずらや木の上から落ちてきたという偶然でそうなっていると考えると、不自然すぎる形状で小枝は集まっていた。

おそらく小枝は「集められた」のだろう。単なる小枝の塊ではなく、小枝は組み上げられているのである。

誰の仕業かは分からない。仮に公園の清掃担当者が小枝を片づける過程で集めたとすると、集めた場所が散在していて、片づけるのにメリットがあるようには思えない。小枝を集めることには、効率よく片づけられるという意義はあるものの、この集め方はその意義に当てはまらないだろう。

ならばこれは一体何なのか。この集め方にどんな意義があるのか。このように小分けして集めることに意義を持つ誰かの仕業であろう。小分けして集めることだけが意義だったならば、所々にある集まりがここまで同じような形状にはならないのではないか。例えば、子どもが遊びで小枝を集め、そこに楽しさを見出しているならば、集めたことで意義はあるので、形状はバラバラになるだろう。

これだけ同じような形状なのは、集めただけでは不十分で同じ形状であることが大切であると考える誰かの仕業と考えるべきだろう。つまり小枝をこの形状で小分けして集まっていること自体に「意味」があり、小枝を集める行為は、その「意味」に近づく行為としての「意義」があり、小枝を小分けに組み上げる行為は、それに「意味」を与える行為としての「意義」がある。

では小枝が同じ形状で小分けされた集合体自体の「意味」とは何か。これだけたくさんあるので、行為者は相当なこだわりを持っているのだろう。私にはネガティブなこだわりのように感じた。

だから、この集合体自体の「意味」は、まじないのようなものではないか。そして、まじないの「意味」が与えられた集合体を所々に置く「意義」は、「結界」を作ることなのではないか。

つまり、これは陰陽師みたいな人の仕業だと思う。これが私の勝手な仮説である。こうやって頭の中で、色々な情報を集めて組み合わせて遊ぶのも、頭が活性化されるという「意味」があって、その遊びはお金をかけずに楽しめる「意義」がある。

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