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【小説】 狂った季節には

 リモコンの電池が切れてしまったようだと母から言われた私は念のために蓋を開け、電池を数回出し入れした後、テレビへ向かってボタンを押してみました。
 そうした所、どうやら電池はまだ切れてはいないようで、テレビのチャンネルが変わりました。
 こんなことで自室から呼び出された私は腹を立て、母の頭をリモコンで殴りつけようと腕を上げました。

「止めてっ!」

 そのヒステリックな声と、怯え切った絶望的に弱い生命を剥き出しにした表情に私は辟易としてしまい、こう伝えました。

「おまえなど、殴る価値もない」

 私は他人様のことを蔑んだり、妬んだり、侮辱したりする性格です。しかし、それは私自身がそういった「対象」であることを自覚した上での行動なので、何らおかしな点は見当たらないと自負しています。
 何故なら、私は生涯に渡りただの一度たりとも労働に従事したことなどなく、社会というものをまるで知らないまま四十二になりましたから、人間として屑であることへの自覚は誰よりも、この上なく理解しているのです。

 それだと言うのに母はことあるごとに「将暉は性根のいい子だからお嫁さんが見つかる」だの、「将暉はパソコンが得意だからどこでも働ける」だの、そんな幻想めいた戯言をいまだに繰り返すのです。
 幾ら股座から放り出した子を信じたいとは言え、それに対して現実を交えない願いというのはやはりただの空想、妄想、夢物語なのではないのでしょうか。

 自室で大半の時間を過ごす私のルーティンは昼の二時を過ぎたあたりから始まります。前日まで起こった芸能ニュースなどをチェックし、モラリストやフェミニストを自称し、かなり偏りのある意見と分かっていながら芸能人などを中心に攻撃をします。
 時には家庭を顧みない男性への意見などに賛同し、SNSなどで拡散する活動なども行っています。

 因みに私の父は私が学生時代に多額の遺産、保険金を残して死にました。
 交通事故が原因だった為、相手方からも多くの賠償金なども入りました。
 一人っ子で良かったと私はホッと胸を撫で下ろし、その日から社会を捨てることにしました。
 金があるのに社会に参画などしても、到底意味がないものだと感じていたからです。それは時に私へ寂しさや虚しさのような意味不明の感傷を与えましたが、慣れたらただの風邪のようなものだったのだと知ることも出来ました。

 さて、ここからが本題なのです。
 私は母のためではなく、自分のために乾電池を買いに行きました。
 自室のエアコンのリモコン電池が切れてしまい、単四電池を購入する必要に迫られたのです。あくまでも自分のための電池購入なので、母が使用するテレビのリモコンに対して私が贖うことへは多大なる抵抗感があったのですが、外出するにも膝が痛いだの不安を感じる機会が増えただの、言い訳めいたことを宣っているので、仕方なく電池を購入した後、余った電池を与えてやることに決めました。

 私の筆記には他者との会話が非常に少ないと思われるでしょうが、当然です。警察官による職務質問以外に私が日頃誰かと言葉を交わすことはなく、あったとしてもそれはクレーム等に限定されるからです。
 今日も電池を買いへ外へ出て、バスに乗った瞬間に頭に来ることがありました。
 それは高校生の馬鹿猿のような坊主頭の三人組だったのですが、明らかに妊婦と思しき腹の出た女性が立っているというのに、優先席を占拠していた挙句、他の席には野球部なのでしょうか、ドカ弁でも入れているのかと思うほど彼らにとっては不必要とも思われる大型のバッグを置き、平然と騒ぎ立てていたのです。

「おっ、ガチャ十連来た!」
「マジ? えっ、なんでなんでなんで!? 俺のアプリだと十連来てないんですけど!」
「運営に没収されたんじゃね? ぎゃははははー!」

 わぁ、楽しい会話です。そんなことの何が一体面白いのかは不明でした。十連ガチャが自分だけ出ないと言った猿仲間のことを蔑んで笑っていたようなのですが、笑われているのが自分達だということには何ら気付きもしていないようなのでした。
 私は目的地に着くと、運賃を支払った後に運転士にこう申し出ました。

「あの高校生達。あいつら、うるさいんだけど」
「はい。ご乗車、ありがとうございました」
「いや、そうじゃなくて。うるさいんだけど」
「バス発車します。お降りください」
「なんだとこの野郎」
「バス発車します」

 運転士は私の訴えに耳を貸すどころか、無いことにして私に降車を促してバスを発進させました。
 社畜の分際で不労所得者を愚弄しやがって。そう思いながらバスを見送ったのですが、ここで事件が起きました。
 さきほどのクソガキ三人組が窓から私を見下ろし、笑いながら中指を立ててこちらへ向けていたのです。
 殺そうと思いました。しかし、バスは去って行きました。
 行き場のない怒りのみがふつふつと湧き上がった挙句、電気屋へ行ったのですがその所為で私は電池を誤って購入してしまいました。 
 単四電池を買いに行って、単三電池を買ってしまったのです。
 私はまず電気屋へ返品可能か問い合わせてみると、それは承諾して頂けました。 
 次に、この誤りの原因を作ったあのクソガキ共を日中に収容している馬鹿高校へ電話を掛けました。

「おい、野球部の顧問出せ」
「あの、どちら様でしょうか?」
「善良な市民様だよ。てめぇらの野球部のクソガキ共がな、バスん中で未来のある妊婦さんを虐げていたんだよ」
「しい、しいた……なんですか?」
「虐げていた!」
「しーたげーた……それは、何かの機械とかですか?」
「日本語も分からんのか! この外人学校めが!」

 私は憤怒しました。怒りのゲボをぶちまけそうになりましたが、とにかく電池を返すことが優先だと思われ、電池の返品へ行きました。
 レシートと共に電池をレジへ持って行くと、若いアルバイトの男がレジ操作にまごついた挙句、しどろもどろになってこんなことを言い始めたのです。

「あっ、あの、レシートは……?」
「さっき渡しただろ」
「えっ、あれ? あっ、あった。えっと……」
「おい!」
「……」
「おまえ無視すんなよ! 謝れよ! レシート確かに渡してただろ、なぁ!? なにシカトしてんだよ!」

 このクソ馬鹿店員は教育がよほどなっていないようで、私が渡したはずのレシートがないと因縁をつけた挙句、見つかったことに対して詫びのひとつも入れる素振りすら見せなかったのです。
 こちらからわざわざしたくもない謝罪の要求をしたのは、この男の将来のためなのです。私の憤怒が収まらないのも当然認めるところではありますが、こんなコミュニケーション不能男をレジに立たせておいたら、この店自体の評判も下がる一方なのです。事実、私は男がまごついている間にスマホを取り出し、この店のレビューに星をひとつ付け、「クソ」と簡素に投稿を完了させていました。

 いよいよ殴りつけてやろうかと思っていると、救いの女神が現れました。 
 髪をひとつに縛り、しなやかで華奢な身体で持って流水のように自然とレジの中へやって来て、寂寞の想いさえ感じさせるやや冷たい眼差しでレジ画面を一瞬見遣ると、私の返品処理をものの数秒で済ませたのでした。
 そして、女神は間髪入れずに私へ対し

「大変申し訳ございませんでした」

 と、詫びを入れたのです。
 私は名前を確認する意味ではなく、日頃の習性で極々当たり前に女神の胸元を見ると、プレートに「谷垣」と書かれているのを視認しました。下の名前を知りたく、すぐに尋ねました。

「あの、下のお名前は?」
「クレームでしたらお客様相談室よりお問い合わせお願い致します。大変申し訳ございませんでした」
「そうではなく、あなたの対応が素晴らしいのでお名前を伺いたいのです」
「守秘義務がありますので。次のお客様、こちらへどうぞ!」

 彼女のプライバシーに触れることは出来ませんでしたが、私はその一時で自身が恋に落ちるのを自覚しました。
 その証拠として、返品を済ませてから改めて単四電池をあのボンクラ店員から購入した後、一階のトイレ脇にあるゴミ箱を漁りました。
 あの女神が担当したであろうレシートを漁りました。発掘したレシートに美しい「谷垣」という文字が記載されているのは目に留まったのですが、残念ながら下の名前までは記されていなかったのです。

 仕方なく、私は迷ったふりをしてバックヤードへ侵入することにしました。シフト表を盗み見て、隙あらば写真を撮ろうと思ったのです。恋に落ちた者の無謀は、言い換えれば「勇気」であると私は信じているのです。
 トイレを探すフリをしながらバックヤードへ入ると、ゴリラのような体格の厳めしいツラの大男にすぐに出くわしてしまいました。
 男の胸元のプレートには「谷垣」と書かれており、私は戦慄の想いを感じざるを得ませんでした。

「お客様、どうされましたか?」

 そう言ってこちらへ圧を掛けるように近付く「谷垣」プレートの大男を前に、私はパニックを起こしました。

「あ、あのっ、トイレが近くてっ、違ったので」
「トイレですか? それなら一階の」
「た、谷垣さんはお嫁さんですか!?」
「はい?」
「レジの谷垣さんはぁ! あなたの、お嫁さんですか!?」
「お客さん、用事ないんなら警察呼びますよ」 
「やだっ! 恫喝! 恫喝男! 暴力店員!」

 私は及び腰のまま、バックヤードを飛び出しました。その直後に入れ違いにバックヤードへやって来たのは女神でした。女神は「谷垣」プレートの恫喝店員の身を案ずるような仕草をしたので、あれは女神などではなく、やはり客よりも身内が大事なだけの、ただの社畜脳であるとジャッジが出来ました。
 危うく狂い咲きそうになった恋の花でしたが、さっぱり萎れてくれてかえってありがたいというものでした。

 私は逃げるようにして店を後にして、バスを待つ間にアカウントを四個も新規作成し、あの店への極悪レビューの数々を確信犯的に投稿しまくりました。あの女神が職を追われ、身分を落とし、夫婦共々下働きのような身分に堕ちることを考えていると、実に気分が良かったのでした。
 バスが来るまでまだ十五分ほども時間があったので、私は近くのホームセンターへ足を運び、包丁を買いました。よく切れそうなものを選びました。

 あのクソガキ共の顔のひとつひとつを、私は丁寧に覚えていたのです。
 私を嘲笑いながら立てられた中指の一本一本を切り落とし、その口に咥えさせることを考えていると高揚感を覚えました。
 いっぺんにではなく、一人一人の家を調べ上げ、周辺や行動をリサーチし、一人一人の指を確実に落とすべくこれからは行動しようと、心に誓いました。

 甲子園にすら出場したことのない高校ですから、そんな場所の球児に夢を見させるのは酷というものです。ここは大人として一丁、指の一本二本は欠損させて、その夢が幻想であることを直に伝えなければなりません。
 電池の交換を待ちわびているであろう私の部屋のリモコン、そしてそのついでの母が居る、思い出の全くない我が家へ帰るためのバスがやって来ました。
 ステップをしっかり踏んで乗り込むと、後部扉が閉められました。
 ピーッというガラクタみたいな電子音がしてバスが発車すると、なんとすぐ横の座椅子に例のクソガキ三人組が座っておりました。
 どこをほっつき歩いていたのか知りませんが、これほどの強運を持っているとは、自分に対して驚愕してしまいました。 
 女神もどきにそそのかされ、恋の花を散らしたのが結句として良い方向の運を私に持って来たのでしょう。
 私は古来から伝わる、手を人体に翳すだけで運がよくなるという宗教の家系でありますから、代々受け取った運はたっぷりと身体の底に蓄積しているのです。

 クソガキ三人組は私を見つめたまま、固まっていました。
 あんなにも威勢がよろしかったのに、いざ現実に逃げも隠れも出来ない場所でその相手に遭遇すると、人は冷静さを欠き、かえって冷静に見えるような表情を浮かべるのですから、不思議なものです。その癖に視線は一切外して来ないので、私は買ったばかりの包丁のパッケージをレジ袋の中で解き、迷うことなく本体を取り出しました。 
 あの三流電気屋の大男の粗暴な恫喝とは違い、私の恫喝は信念と熱の入った覚悟の恫喝なので、迷うことなど有り得ないのです。

 彼らは頑固糞のように固まった表情のままでいたのですが、包丁を見るとすぐに滑稽なほど目を見開き、非常に驚いた表情へと移り変わりました。狂った季節のように、すぐに変わったのです。
 驚きの表情をしてはいますが、それもすぐに変わることになるだろうと予想しながら、私は勇気と行動のために足を一歩前に踏み出しました。 


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