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日々よ、さようなら 【エッセイ】

実はここ一ヶ月の間、ずっとバタバタしていた。
肺を患っていた父の七回目の入院。無事退院したものの、到底仕事は続けられる状態ではないのは明白で、家業を廃業するに至った。
地元の人達、知人の力を借りて家を引っ越す事にもなった。

引越し先は同じ町内で、夫婦二人で暮らすには十分な大きさの公団住宅。
体力的に階段の上り下りが出来ないのでだいぶ融通してもらい、一階の角部屋に住む事も決まった。

僕自身は実家から出てしまっているが、そう遠くない場所には住んでいるのでここ一ヶ月毎週帰って書類のやり取り、色んな業者や施設とのやり取りを代行していた(今もしている)
スマホもネットも使えない爺さん婆さんに取って、今の情報社会はかえって不便になる事が多々あったりするのだ。

やっと落ち着きが見え始めた所なので、ここ最近書いた小説は、七夕の日に投稿した「長い逢瀬」を除き、春先に書き溜めていたものを投稿していた。
小説は書いてしまえばそんなに時間は掛からないけれど、いかんせん書き出すまで、書く気持ちになるまで中々の時間とエネルギーを要するのだ。

そんなこんなで色々やっていて、昨日帰った時にふと思ったのが

「あ、実家がなくなるのか」

と思ったことだった。
親の離婚後、小4の秋口に知らないおじさんに突然(しかも真夜中)に連れて来られた家はそのまま実家となり、おじさんはそのまま父となった。
妹二人はまだ小さかったので父を実父としてすぐに認識したが、僕自身は中々そうもいかなかった。
今でこそ「親父」と気軽に呼べるようになったものの、小4の僕はその男の人を「おじさん」と呼び続けていた。
もちろん照れもあるし、寡黙な男なので怖さもあった。

それはうちの長男だった兄貴も同様で、兄貴はふざけ半分で「とっつぁん」と呼び始めたので僕もそれに習って「とっつぁん」と父を呼んでいた。

ガタイが大きく、お酒を呑むと少々気が荒くなる事もあり、居酒屋で知らないおっさんと喧嘩して帰って来る事もあった。

僕がそれなりに荒れていた高校生の頃、一人暮らしをしていた兄貴がうちに来て僕と煙草を吸って談笑していた夜だった。
両親は酒を呑みに行ってて家にはおらず、バカ話に華を咲かせていた。

そこへ帰って来た両親だったが煙に塗れた部屋に入るなり、父は兄貴の襟首を掴んでいきなり首を絞めた。ガタイの身長差なんか20cmもあるので、首を絞められたまま兄貴はすぐに子供のように軽々と持ち上げられた。

母も僕も必死になって止めたけど、父はその手を離さなかった。
僕は頭に血が昇ってしまい、殺そうと思って台所から包丁を持ち出した。

「手離さねぇとぶっ殺すぞ」
「おう、やれるもんならやってみろっちゃ」

東北訛りでそう言った父は兄貴から手を離した。そして、僕に向かって来る事もなく風呂場へと消えた。
兄貴はしばらく何かを叫んでいて、それを聞いた父は再び部屋へと戻って来た。眠っていた妹達も起きて来てしまい、結構な騒ぎになった。

ひとしきり落ち着き、兄貴は真夜中に帰って行った。
とっつぁんは何を考えてるのかさっぱり分からない、そう思いながら台所で煙草を吸い、空き箱を捨てようとゴミ箱を開いた。
その中を覗き込んで、僕は一瞬動きを止めた。

ゴミ箱の中にはさきほど僕が握っていた包丁と、棚の中にしまってあったはずの包丁が捨てられていたのだ。

その時、僕はとっつぁんの目には見えない部分の、簡単に言えば心の弱さを感じたりした。

とっつぁんは男一人で暮らしていたのに、ある日突然兄妹4人の父になったのだ。
自分から僕達の父になると決め、ある日突然僕達を引き取ったものの、心の迷いや葛藤はあったと思う。それこそ、その思いは子供の僕では想像も及ばないものに違いない。

無口なので何年経ってもいつも仏頂面で、家族で集まると下ネタ大好きな母親がサツマイモを手に持ち、

「Mちゃん(妹の旦那)のこれくらい?」
「いやー、もっとデカイっすね!」
「ぎゃはははー! 間違って馬に入れちゃダメだでぇ! ぎゃははー!」

とバカ盛り上がりしてても、とっつぁんは真顔のままテレビの画面に目を向けているのである。

しかし、ここ数年はそんなとっつぁんにも変化が訪れた。
妹二人に元気な子供が産まれ、頻繁に孫が遊びに来るようになってからはだいぶ柔和になったのだ。
自身の身体が弱くなって来ているのもあるだろうが、孫にキスされるのを拒まれると「もうしてやんね」と拗ねてみせたり、下の男の子が「じーじー!」と言いながら大きな身体をよじ登ったりするのを咳をゲホゲホしながらも可愛がったりするのようになった。

「このお菓子パッサパサ! 私のあそこもオーウ!パサパサヨー!」と何故かカタコトで下ネタをかます母親に合わせ、ちゃっかり通っていたストリップ劇場の話なんかもするようになった。
例えはひどいけど、子供ってやっぱり偉大。

妹夫婦の手助けもあり、ようやく引越しに目処がついた。
家族みんなで集まって、とかはご時勢もあるので無くなったものの、この家族になれて良かったと今では思っている。

右も左も分からない土地で、友達もすぐに出来た。いかにも青春時代らしい若者の経験、別れなんかもこの土地で経験した。一人事故で欠けてしまったが、今でも半年に一度は必ず集まるし、彼らは僕にとって生涯の宝物だと思っている。
何の実りもない畑かと思ってたけど、共に耕す友人が得れたのは救いだったりする。

来週が明けたら、友人の墓参り以外にもう皆と共に過ごした土地に降りることもなくなるだろう。
本当に何もない土地で、マクドナルドが二回も潰れたような(ガッツは認める)土地だけど、思えば本当に色んな日々が詰まっている。
泣いたのも、笑ったのも、怒ったのも、喜んだのも、全部記憶の中にある。
そんな日々をひっさげて、僕は今日も何とか生きている。

実家には僕専用の「お泊りたけちゃんおふとんセット」があったのだが、引っ越すという事で捨てられていた。
布団がないから帰るよ、というと両親は新居で使う予定の新しい布団の包装を剥がして僕を引きとめようとしてくれた。
妹からのプレゼント、というのもあるし流石に僕は遠慮して帰って来た。

帰り際、父が「泊まってけってば!」と酒で赤らんだ顔で何度も言っていた。隣で母が「寂しいんだって」と翻訳してくれてたが、僕は「引越し祝いでまた来るから」と辞退した。この辺り、僕もまだまだ素直な子供になれなくて申し訳ないなぁと思う所でもあったりする。

親父は小康状態が続いていて、思ってるよりはずっと元気だ。
母は相変わらず下ネタに敏感で、町やテレビでアウトギリギリの変な人を見つけるとゲラゲラと笑い声を上げる。

生きている限り、色んな景色が変わって行く。
こうやってまた一つ、景色が変わる。
それは悲しみよりも、もっと大きな希望の為に変わる事だってある。

けれど、あの土地で出会った人達、出会った出来事のすべてに感謝を言いたい。

こんな言い方は普段の僕らしくないのだけれど、僕はどうせいつか死んでしまう人生ならばせめて希望を見ていたいと思うのだ。

だから、次に何が待っているかも全然分からないけれど、振り返る事はそこそこに前へ進もうと思う。

最後に、僕を育ててくれたあの土地と、そこで過ごした日々にありがとう。
変わらず素直になれないまま、僕は明日も生きていこうと思います。

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