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【小説】 あの子は鉄仮面 【ショートショート】

※シンゴちゃんの関連作ですが、コチラの記事は単体でも読めます。併せてご覧頂けたら嬉しいです。

本編


「こちらが翌日分の伝票です。青いファイルに翌々日分の伝票をまとめているので、ご確認下さい」
「いつもありがとう。翌日分、急にお願いしちゃったのにごめんね」
「いえ、仕事ですので。失礼します」

 僕は彼女の硬い表情と言葉遣いに面食らいながら事務所を出た。
 彼女の名前は後藤亜由美さん。事務所の新人アルバイトだ。
 
 重たい物を扱う部署のおかげで下品な野郎の巣窟と化しているうちの連中は、後藤さんを初めて食堂で見た瞬間、アホみたいに一斉に淡い溜息をついた。
 初めて見た彼女は、とにかく美しかった。
 白く滑らかな肌、茶色でサラサラのボブヘア。流線型を描く幅の広い二重に、小さくて高い鼻。小ぶりだけど厚みのある唇。
 後藤さんはただ弁当をただ食べているだけなのに、僕らはあっという間に心を奪われてしまった。

 うちのボスのラガーマン上原が後藤さんのすぐ近くの席を陣取り、僕らを手招きした。僕らは我先に席を奪い合うようにして座り、一人でお弁当を食べる後藤さんになんとも無遠慮で下衆な視線を向け始めた。
 すると年配の初瀬さんが老眼鏡を外し、いきなりこんなことを言い出した。

「あれだよな、最近の政策ってのはよ、結局のところ金持ちにしか優しくないよ。あれはダメだな」

 僕らは初瀬さんがどこかに頭でもぶつけたのでは無いかと心配になった。
 初瀬さんがする話題といえばパチンコ、風俗、スナックのどれか必ずで、政治の話しなんか今までしたことなどなかった。
 すると今度は上原さんまでおかしくなった。

「つまりよ、政治家に金持ちしかいないのが良くないんだ。だから俺はあれだ、つまり政治家って良くないって思うんだ」

 前歯が四本しかない谷口さんと新人の細川君というデブが頷く。それ以上話しが続かず、僕らは「良くない」と言いながらとにかく頷いた。
 全員の頭から煙がのぼり、今にも爆発しそうになっているのが目に見えるようだった。
 いつもしている会話で出てくるキーワード「勃起」「エロ」「チンポ」「風俗」「ギャンブル」「酒」等の品性のかなり偏った言葉達はすっかり鳴りを潜めている。
 上原さんが横目でチラチラ後藤さんを眺め、ついに声を掛けた。さすが僕らのボスだけはある。

「あの、……お姉さんは新人さん?」

 後藤さんはお弁当から一切視線を外すことなく、答えた。

「新人です」
「えーっと、名前は?」
「後藤です」
「へぇ、ご、後藤さんかぁ。いい名前だなぁ……あの、年は?」
「二十五歳です」
「俺はね、上原って言うんだ。花の四十五歳、独身!」
「はい。業務上必要であれば独身という情報は覚えておきます」

 その途端、僕らの中の何かが音を立てて崩れていった。
 隣の部署にも岡本さんという人間コンピュータのような女性がいるけど、後藤さんは何と言うか、鉄のロボットという感じだった。
 今は黙々と弁当を食べるという与えられた「指令」を処理しているように見えた。

「あれは食えない女だぜぇ」

 前歯が四本しかないからそもそも飯すらまともに食えない谷口さんは顎に手を置き、僕にそう呟いた。
 デリカシーのカケラもない僕らは「あれは観賞用だなぁ」なんて言いながら、喫煙所へ向かった。

 それからしばらくしたある日、後藤さんが伝票を手に隣の部署へやって来た。
 何も知らない現場のドライバー達がたちまち肘をつつき合う。うちのドライバーなんか鼻の下を伸ばしてスマホを向け、写真を撮っていた。
 後で使うんだって嬉しそうに言っていたけど、何に使うのかはすぐに分かったから突っ込まなかった。
 そこを突っ込むのはさすがに野暮だ。

 岡部さんと後藤さんが話していたので、僕らは気になって近くに行くと二人の会話が聞こえて来た。

「岡部さん、こちらが出力を忘れてしまった伝票です」

 後藤さんは眉ひとつ動かさずそう言うと、凛とした態度で岡部さんが返す。

「いえ、こちらもこの時間まで気付けなくて申し訳ありませんでした」
「いいえ、私の不注意です。以後、このような事態が発生しないよう、データ更新の感覚を短くします」
「私も伝票の貼られていない商品にもっと早く疑問を持てれば良かったです」
「現場の業務をサポートするのが事務所の仕事ですので、今回は私のミスです。大変申し訳ありませんでした」

 初瀬さんが眉毛を八の字にしながら「なんかAI同士が喋ってるみてぇだな」と囁いた。本当その通りだ、と思っていると岡部さんが頬を緩めた。シンゴちゃんの時もそうだったけど、あのコンピュータ人間はたまに人になる瞬間がちゃんとあるのだ。

「あの、本当大丈夫だからね? まだ新人さんなんだから、気にしないでね」
「いえ、新人でもベテランでも初歩的なミスが許されないのは同じですので。失礼します」

 後藤さんがくるっとこっちを向いたので、集団になっていた僕らは逃げた。後藤さんが去ったのを確信して、今度は岡部さんの所へ集団移動した。
 上原さんが頭を掻きながら岡部さんに言った。

「あの子かわいいのに鉄仮面みてぇだろ? 岡部さん、何でだと思う?」
「上原さん、あなた方の部署は暇なのですか?」
「うん、うち出荷終わってるから」
「仕事が早くて羨ましいです」
「いや、仕事少ないだけだよ。岡部さんは後藤さんと同じ人種っちゅーか、同じコンピュータ人間仲間なんだろうなぁって思ってよ」
「誰がですか。失礼ですね……あの、私とあの子は多分違いますよ」
「何が違うんだよ? 生産工場か?」
「ふっ……私が普段の言動を控えているのは、話し始めると長くなるから抑えてるだけです。実はお喋り好きなんですよ」
「またまたぁ」
 
 上原さんと同時に、野郎達もニヘェ、と笑う。何ともヤラシイ笑い方だ。
 岡部さんは視線を宙に向けて、こんなことを言った。

「後藤さんは元々自主的に発言するようなタイプじゃないんじゃないですか?」
「あんなかわいいのに?」
「いや、内面は関係ないですよ。感情を表に出すのが苦手なんじゃないかな」
「おー、さすがコンピュータ。やっぱ分析力が凄いな」
「それはどういたしまして。では早速手伝って頂いてもよろしいでしょうか?」

 上原さんは深く頷き、パン! と両手を合わせて叫んだ。

「おいテメーら集まれ! 細川と谷口、残りのリストの物掻き集めてこい、ダッシュな! 十分で戻って来なかったらケツ蹴るからな! 深川はデータチェック、初瀬さんは出荷バースの滞留物まとめてくれ。はい!」

 僕らは飼いならされた犬のように一斉に動き出す。上原さんの一声でうちの部署の連中はいつでもパブロフの犬になるのだ。
 出荷作業が終わり、翌日のデータを眺めているうちに後藤さんが何で感情を出さないのかが気掛かりになった。事務所でも全然話さないらしい。あの子が何考えているのか分からないのよ! と事務教育担当の青葉というお局さんが内線で散々僕に愚痴っていた。
 後藤さんには何かしら、深い事情でもあるんだろうか。

 翌日、誰とも相席せずに一人ぼっちでご飯を食べる後藤さんが目に入った。最初のうちは事務所の人達も彼女に気を遣って食事を共にしていたのだが、気がつくと後藤さんはまた一人ぼっちになっていた。 
 僕は何となく彼女が寂しそうに見えて、細川と初瀬さんを誘って後藤さんに声を掛けた。

「重量部門の深川だけど、一緒にご飯食べてもいいかな?」

 鉄仮面の後藤さんは箸を休めることなく、僕に言った。

「それが指示であれば、承知します」
「指示って訳じゃないけど……」
 
 参ったな、と思いながら席に座る。ピンク色のお弁当箱に、色とりどりの食材が敷き詰められている。
 初瀬さんが後藤さんのお弁当を覗き込んで、感心したような声で言った。

「お弁当、自分で作ってるのかい?」
「はい」
「たまげたなぁ、才能あるんだな」
「いえ、本に書いてあった通りに作っただけです」

 細川が照れ笑いしながらさらに追い討ちを掛ける。

「うらやましいなぁ。俺なんかそのサイズの弁当だったら五個はないと腹いっぱいにならないッスよ」
「いえ。私は事務ですし、運動量も少ないので必要摂取カロリーもそれに比例して少なくて済んでいるだけです」
「へぇー、難しくって何言ってるか全然分からないッスけど、後藤さんって腹減ったなぁ、とか思ったりするんスか?」
「……お昼ごろになると、お腹空いたなぁって思います」
「へぇ! ちゃんとそういうの思ったりするんだぁ! すっげぇ!」
「…………」
 
 細川がバカデカい声でそう言うと、後藤さんの顔が見る見るうちに真っ赤になっていった。あれ、これはもしかして照れているのか? そう思うと何だかおかしくなって、後藤さんの人間性がやっと見れたみたいで嬉しくなった。
 今度は僕が質問してみた。

「後藤さんっていつも仕事早いから助かるよ」
「いえ、それは当たり前のことをしているだけなので……」
「前って何の仕事してたの?」
「短大出てから、工作機械会社の事務を少し」

 相変わらず鉄仮面のままだったけど、会話らしい会話が出来るんじゃないか。なんだ、後藤さんはロボットなんかじゃなくて、ちゃんとした人間なんだ。
 そう思うと僕はますます嬉しくなった。そして、さらに続けた。

「後藤さんっていつも無表情だけど、笑ったりするの?」

 その質問に、後藤さんの箸が止まった。息をしていないんじゃないかと思うくらい、箸を持ったまま無表情でピタリと止まっている。 
 いきなり失礼だったかな、そんな風に少し後悔すると、後藤さんはペットボトルのオレンジティーを一口飲んでからこう答えた。

「一人でいる時は、笑ったり、します」
「ここでも笑えばいいのに、かわいいのにもったいないよ」
「……は、はぁ?」

 そう言うと後藤さんはどんどん顔を赤らめ、顔を隠すように両手を頬に当てながら鉄仮面の真実をついに語ってくれた。

「あの……私は、すぐにこうやって赤くなるから、それが恥ずかしいから、表情を出すのが苦手なんです。あー……もう、やだ」

 僕らはそんな姿の後藤さんにたまらなくなって、思わず「かわいいなぁ」と声を上げてしまった。実際、とんでもなくかわいくって、僕は少し心を動かされてしまった。
 周りのパートさん達が「あれセクハラよ」と囁き合ってるのが聞こえたけど、聞こえないフリをした。

 夕方。伝票を取りに事務所へ行くと昼とは打って変わってすっかり冷たい鉄仮面に戻った後藤さんが僕を出迎えた。

「こちらが翌日分の伝票です。青いファイルに翌々日分の伝票をまとめているので、ご確認下さい」

 いつもの決め言葉を口にした後藤さんに、僕はこう訊ねてみた。

「後藤さん、好きな物ってある?」

 すると後藤さんは俯いて、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でこう答えた。

「……しょ、小説を読むこと」
「ありがとう。俺も小説読むの好きだから、今度面白いのあったら教えてよ」
「……はい」

 事務所を出る前に振り返ると、後藤さんはほんの少しだけ、楽しそうに笑っていた。もちろん、周りの誰も気がついていなかった。
 僕は嬉しくなって、早速野郎共に教えてやろうと思ったけど、心の中にしまっておくことにした。
 あんな貴重な笑顔は、しばらく僕だけのものにしておきたかった。

 現場へ戻ると細川がバカデカイ声を上げていた。

「後藤さんて事務職じゃなかったら弁当五個食べるんだってよ!」

 なんて尾ヒレをつけまくった噂話をしていたので、僕は青色のファイルでその頭を後ろから引っ叩いた。
 とても心地の良い音がして、僕は笑った。




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