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【小説】シンゴちゃん

 僕の職場の倉庫にはおっちょこちょいで有名な人物がいる。
 今朝はベルトにおにぎりのビニールが挟まったまま朝礼に参加していた。ベルトから垂れる「鮭」の文字が開けっ放しのシャッターから吹く風でひらひらと揺れている。何故あんな状態になるのか不思議だった。
 僕は彼をシンゴちゃんと呼んでいる。由来はそのまんま、下の名前がシンゴだからだ。
 朝礼が終わってすぐ、僕はシンゴちゃんにビニールが挟まっている事を教えてあげた。

「シンゴちゃん、ベルトにビニール挟まってるよ」
「えっ!? ありゃ、こりゃ失礼! 参ったなぁ」
「ていうかさ、なんでベルトにビニール挟まってんの?」
「あのねぇ、これはねぇ、バスの中でおにぎり開けて、ゴミ捨てちゃいけないと思って挟んでおいたんですよ」
「袋もらわなかたったの?」
「そうなんですよ、そう!」
「だったらバッグの中に入れときゃいいじゃん」
「そうか! しまった!」

 シンゴちゃんは真顔で驚き、両手を警察に囲まれた犯人みたいに挙げて制止した。どういう脳の仕組みでこんな動き方をするのかがとても気になった。

 僕より15も年上のシンゴちゃんは今年40の大台に乗る。少し太り気味で、頭は剛毛かつ、天然パーマ。いつも陽気でニコニコしているし、とてもお喋りが好きなので職場のパートさん達"には"人気者だった。
 けれど一緒に働く仲間達も、時には僕も、シンゴちゃんには容赦ない態度で接する時がある。
 特に容赦ないのが作業監督をしている僕らの上司、上原さんだ。
 上原さんは中、高、大とラグビー部に所属していた生粋のラガーマンで、見た目もハートも声も野太い大男だ。

「シンゴォ! 4Fから持って来いって言った月島行の荷物はどうしたぁ!?」
「あ、あのですね! 荷物ですが、4Fに持って行きましたよ!」
「馬鹿野郎! 持って行けって言ったんじゃなくて持って来いって言ったんだ! 大体、荷物に伝票貼ってあっただろうが!」
「あらぁ! 私はですね、耳も頭も悪いんです。勘違いしました、だっはっはっはっは!」
「笑ってんじゃねぇ!」

 怒り狂った上原さんがシンゴちゃんのケツを思い切り蹴り上げても、シンゴちゃんは馬鹿みたいに笑っていた。まぁ、馬鹿なんだけど。
 仕事はさっぱりだけどいつも呑気で陽気なシンゴちゃんが唯一、輝ける場所があった。それは飲み会だった。

 男所帯のうちの部署はデリカシー、モラル、規範意識の全てが欠如してる人間ばかりなので、彼等にとってシンゴちゃんは丁度良いオモチャ、いや、酒の肴になるのだ。

「シンゴ! さっきオーダー取りに来た店員さん、次来たらナンパしろ!」

 上原さんの無茶振りに皆がガハハと笑い、シンゴちゃんまでだっはっは! と笑い声を響かせている。
 僕は可哀相だなぁ、と思ったのだがシンゴちゃんは酒で赤らんだ顔を嬉しそうに緩ませ、手をひらひらさせながら若い店員さんに声を掛けた。

「あの、あの、あのですね! お姉さんね、私なんかはどうでしょうか!?」
「はーい。オーダーですか?」
「あ、はい! あ、あ、あなたを!」
「すいません、生憎品切れですねぇ」

 男達はガハハ! と笑った。そうやって店員さんが上手い返しを見せると、シンゴちゃんは額に手を置いて「やられた!」とおどけて見せた。だけど目が少しだけ潤んでいた。
 多分、本当に落ち込んでいたと思う。

 シンゴちゃんがお喋りなのは前職が旅行代理店勤めだった事も関係しているのかもしれない。シーズンによっては過密スケジュールの為に眠れない日々が続き、目標達成の為に無理な営業を強いられたりしたそうだ。

「シンゴちゃん、いつも皆にイジられてるけど大丈夫なの?」
「だっはっは! 深川さんね、あんまり馬鹿言っちゃいけませんよ! あれはコミュニケーション! 前の職場に比べたらここは天国ですから!」
「前の職場、そんなに酷かったの?」
「そりゃもう、ええ! 繁忙期に体調崩して休んでたらですね、同僚がブチ切れて私の部屋に火を点けたりね! だっはっはっ!」
「笑い事じゃないよ、それ」
「いえいえ、すぐに許しましたから!」
「そういう問題じゃないよ、それは」

 と、いつもこんな調子で呑気なシンゴちゃんだった。
 ラガーマン上原に何をボロクソ言われようとも、あれだけ笑えるのだから案外シンゴちゃんも鉄のハートの持ち主なのかもしれない。
 そんなシンゴちゃんだったが、ある日、突然恋に落ちたのだった。
 相手は隣の部署に転属になった現場事務担当の岡部さんだった。年齢は35歳で、元教師という倉庫では異例の人種だった。
 若いうちに結婚したが子供に恵まれず、旦那も自分も好きなように生きている内に一人でいた方が楽だと言う事に気が付き、離婚したのだとうちの部署の知りたがり親父の初瀬さんから聞いた。

 昼休み、カップラーメンを啜りながら初瀬さんは老眼鏡を曇らせながら、シワというシワをくちゃくちゃにして言った。

「中々のべっぴんだけどよ、ありゃ落とすの難しいぜ。なんかバシッとしててよ、丸の内のキャリアウーマンみてぇだもんな」  

 初瀬さんの相方で前歯が4本しかない谷口というおっさんが茶々を入れる。

 「初瀬ちゃん、あぁいうコにムチで叩かれるんが好きなんじゃねぇん? 尻蹴られたりよぉ」
「お、なんで分かったん? さては谷ちゃんも経験済みだんべ?」
「も、って事はホラァ! 好きなんだんべよ!」

 ガハハー! という声が休憩所に響き、パート連中が一気に眉をひそめた。けど、これはいつもの光景だ。
 いつもと違うのはただ笑ってるだけのシンゴちゃんが話に割り込んで来た事だ。

「あ、あのですね! 岡部さんは、今はあれですか、どどどどど独身ってヤツなんでしょうかねぇ?」
「馬鹿。離婚して一人でいるんだから独身以外の何があるっつーんだよ……おい、まさかオメェ……」
「いやー、あの、なんて言うんですか、こういう気持ちってのは! ドキドキしますわね。だっはっはっは!」

 男達は揃いも揃って「無理無理!」と絶叫しながら笑い出した。僕も一緒になって笑った。当然、無理だと思った。

 それから仕事の合間や休憩時間になるとシンゴちゃんは時折僕にアドバイスを求めるようになって来た。
 彼なりに真剣なようで、僕はダメ元でもそんな真っ直ぐなシンゴちゃんを応援したくなった。
 その効果が実ったのか、時折シンゴちゃんと岡部さんが二人で話すのを目撃するようになった。
 シンゴちゃんはまるで小学生みたいに身振り手振りを交えて一生懸命、楽しそうにお喋りをしていた。
 が、岡部さんは普段から「鉄仮面」とあだ名を付けられてしまうほど無表情なので、彼女が本当のところシンゴちゃんのことをどう思っているかは謎のままだった。

 そんな前にも後ろにも進まない恋模様が続いていたある夕方の休憩時間、煙草を吸わないシンゴちゃんが僕がいた喫煙所へやって来た。
 扉を開けて入って来るなり、シンゴちゃんは咽せ出した。

「「ぶはっ! ぶはっ! くっさい! なんでこの部屋はこんな臭いんですか!」
「シンゴちゃん、ここ喫煙所だよ」
「私はね! 喘息持ちなんですよ、だからこういう場所は本当に、あー! ゲホゲホ! くさいったらありゃしない! どうなってるんですか、ここは!」
「だったら何で入って来ちゃったの」
「いやね、あのね、深川さんに相談がありまして」
「相談? 金ならないよ」

 倉庫業と男2人切りでの相談となると、それは大抵金以外の何ものでもない。しかし、違うようだった。

「あのですね、今夜……岡部さんに告白しようと思ってるんです。そそその、なんというか、勇気を、もらえませんか?」
「そっか。まぁダメ元でも告白した方がいいよ、スッキリするでしょ」
「いやぁね、この歳でお恥ずかしい話……これが私のですね、初恋なんですよ……いやぁ」

 そう言ったシンゴちゃんは本当に恥ずかしそうに俯き、頭を掻いていた。

「え、今の今まで無かったの?」
「ええ。うちはねぇ、親父もお袋も仕事で忙しい家で、でも、介護老人の爺さんがいたもんだから、毎日すぐに帰ったら爺さんの話し相手にならなきゃいけなくってね。どうも恋とか、そういったものに無頓着な学生時代を送ってたもんで、いやはや、お恥ずかしいです……」

 それであんなお喋りだったのか。そう思うと、ちょっとだけ切ない気分になった。そんな風に家族を大事に出来るシンゴちゃんなら、きっと岡部さんと家族になったら幸せに溢れた家庭を築けるに違いない。
 %で言えばほぼ無限に続く0だったが、それが必ずしも完全な0%じゃない事を信じながら僕はシンゴちゃんに伝えた。

「岡部さんとの未来を信じて、シンゴちゃんは動くべきだよ。それに、いつまでもこんな所にいちゃいけないよ」
「そ、そ、そ、そうですよね。私はね、もし、お付き合い出来たら一緒に「男はつらいよ」を鑑賞する夢があるんですよ、それもですね、全話一気に」
「耐久レースじゃないんだからそれは止めた方がいいけど、告白はした方がいい」
「……帰りのバスを降りたら、告白するので見届けてもらえませんか? 深川さん、お願いします」

 シンゴちゃんはそう言って、いつもと違うちゃんとした大人の顔で僕に頭を下げた。
 これは断る訳にはいかない。僕はそんな真摯なシンゴちゃんの一世一代の告白に付き合う事にした。

 上手く行けばいいな、と思いながら通路を挟んで横の席に座ったシンゴちゃんを見ると、水をガブ飲みしていた。空になっても飲もうとしているので「空だよ」と教えてあげた。

 バスを降りて皆が駅に向かう。岡部さんもその中に居た。

「ほら! シンゴちゃん、行って来なよ!」
「わわわわわ、私やっぱり、やや、やっぱり明日にしようかなぁ!」
「ダメだよ!」

 シンゴちゃんは目を白黒させ、顔に変な汗を掻きながら手をバタバタさせてその場でくるくると回り始めた。とうとうぶっ壊れたかと思ったけど、告白する前に壊れてしまっては覚悟が廃るってもんだ。
 僕は駆け足になって岡部さんを呼び止めた。

「あ、深川さん。おつかれさまです」
「おつかれさまです。あの、今ちょっとお時間取れますか? すぐ終わりますから」
「はい。次の電車が8分後になるのでそれまでであれば」

 岡部さんらしい答え方だな、なんて思った僕はホッとしてシンゴちゃんを手招きした。頭を掻きながらシンゴちゃんがやって来る。

「シンゴちゃんからお話があるみたいなんで、ちょっと聞いてあげて下さい」
「あぁ……はい、かしこまりました」

 僕は離れて二人の様子を伺った。シンゴちゃんは咳払いを何回もして、何かを伝えて頭を下げた。
 岡部さんは「ごめんなさい」だけで済ませるかと思いきや、そのあと5分ほどシンゴちゃんに何かを伝えていた。まさか、本当に上手く行ったのだろうか。

 岡部さんはシンゴちゃんに小さく頭を下げ、小走りになってさっき言っていた8分後の電車に向かったようだった。
 シンゴちゃんは駅の入口を向いたまま、微動だにせず立っていた。
 駆け足でシンゴちゃんの前に回り込むと、シンゴちゃんは号泣していた。

「だっはっはっは! ふ、深川さんね、フラれちゃいました! で、で、でもですね! いい人だ、あの人は! 立派な人です! 好きになって良かったです!」
「そっか……残念だけど、よく頑張ったよ。偉いよ、シンゴちゃん」
「あの人はね、前の亭主のことを決して嫌いになった訳じゃないんですって! だからね、今は彼とちょうど良い距離感で過ごせてるから、彼の事をとても大切にしているんですって! 私のね、この気持ちをね、他の誰かに向けられる日が来る事を願うんですって! でもありがとうございますだなんて、いやぁ、まいったなぁ、辛いなぁ!」

 僕は豪快に泣き笑いするシンゴちゃんに何と声を掛けてあげていいかも分からず、その背中をさすってあげる事しか出来なかった。
 シンゴちゃんは頷きながら、泣き笑い続けた。

 それから一週間後、シンゴちゃんは仕事を辞めた。
 岡部さんにフラれた次の日から自分の事を見直そうと思ったらしい。
 皆が残念そうな顔を浮かべていたけど、送別会ではやっぱり皆の玩具、いや、酒の肴にされていた。

 前職の経験からか、次の仕事は観光業だと言っていた。また呑もうな、と皆がお決まりの台詞を伝え、一週間が経つ頃にはもう誰もシンゴちゃんの事を話題にしなくなった。人の入れ替えが激しい職場なんて、こんなもんなのだ。

 帰りのバスに乗り込むと、何人かが入口でわっと声を上げ始めた。
 なんとバスの運転手がシンゴちゃんだったのだ。
 僕はなんだかこうやってまたシンゴちゃんと日常で関われる事を心の底から喜んだ。
 ウキウキしながら皆が降りるのを待ち、一番最後まで残ってからシンゴちゃんに声を掛けた。

「凄いじゃんシンゴちゃん! バス運転出来るんだ!」
「いやぁ、お恥ずかしい。実は元々ですね、バス転がしてたんです。昔の仕事もね、始まりはこれだったんですよ!」
「そうだったんだ。まぁ、またよろしくね。絶対事故んなよ!」
「だっはっは! 上司にですね、毎日それ言われるんですよ、なんでですかねぇ? だっはっは!」
「そりゃ、危なっかしいからだよ! いやぁ、でもシンゴちゃん、なんでまた運転手に戻ろうと思った訳?」
「そ、それはですね、身元を固めて、岡部さんにまたアタックする為ですよ! いやー、色々調べて見事にここまで来れましたよ! まだまだ私はやりますよ! だっはっはっは!」
「…………そうなんだ」

 豪快に笑い続ける陽気なままのシンゴちゃんを眺めながら、僕は初めてシンゴちゃんに恐怖を感じた。

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