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私の道標

祖父がいなくなってしばらく経ちますが、以来、祖父の生き方をひとつの基準にするようになりました。

大正生まれの貧しい農家の出身らしく、生きる上での必要な術のほとんどを体得していたように思います。

米や野菜、果物を育て、祖母が亡くなってからは自分で料理を作り、簡単な大工仕事もこなす。自転車のパンクも自ら直していましたし、自動車も90歳くらいまで運転していました。

「お金がないから出来ることは自分でする」と祖父はよく言っていましたが、すでに便利な時代に生まれ育った私は、何かあれば外部のサービスに頼ったり、新たに購入するという発想の下に生きてきました。多くの人がきっとそうでしょう。

一昨年の夏に思いつきで初めてお味噌汁を作ってみて、食べることすらずっと他人に頼って生きてきたことを思い知りました。

外食やお惣菜を買ってくればすぐに食べられますが、自分で一通り料理してみると、これが本来食べるためにかかる時間と労力のコストだと認識できます。それを実際に生きていく上での基準にすべきだと、いまは思っています。

洗濯や掃除などの家事も、祖父が若かった時代には便利な機械もなく、ほぼ手作業で大変だったでしょうが、本来それらにかかる時間や労力の感覚を身体に持ち続け、それを基準に生きていたと思います。

のんびりゆったり生きているようで、実は無駄のない、スマートな生き方だったと、いまは感じています。

人間が生きていくためには本来これくらいの時間と労力がかかる。不便な時代に戻ることは難しいですが、これを意識して生きていると、身の丈を外れたスピードに疲れることも減っていくと私は思っています。

昔の人は自分で色々出来てすごかったなあと、祖父の写真を観ては感心しています。






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