先日、途中からですが衛星放送で映画「ギルバート・グレイプ」を観ました。 懐かしくて、いい時間でした。 ジョニー・デップもディカプリオも、ジュルエット・ルイスも瑞々しく、美しかったですね。 学生時代に何度かビデオをレンタルして観ました。「リアリティ・バイツ」と並んで、すごく印象に残っています。リサ・ローブは心斎橋のライブハウスで観ました。 ジュリエット・ルイスのショートヘアーがとてもキュートですが、私のショート好きも彼女が原点だったかもしれません。 同時期の安田成美のベリ
誠(まこと)のある人には、とても惹かれる。 例えば、最近知り合っった人でいえば、近所で定食屋を営む店主だ。 長身痩躯で寡黙な男性。いつも帽子を被っている。 8席ほどの店をひとりで切り盛りし、店の外観や設えはお洒落ではなく、ダサくもない。店主の丈に合っていて、清々しい。 北海道の出身らしく、40代前半だと私はみている。 ひとりでやっている店ゆえ、店が混めば30分以上待つこともあれば、テイクアウトも1時間以上かかることもある。客は本を読んだりスマホを観たりと、それぞれのスタイ
親友とは。 言葉が要らない。 いちいち言葉で説明しなくてもいい。 いつも傍にいる。 生きていても、そうでなくても。 ふと、思いついただけですが。
母校の後輩を撮影し、初の個展を開いて20年になる。写真を始めて1年半。いま考えると少し無茶な感じがするが、何も知らなかったのが良かったと思う。 教頭に挨拶し、校内での撮影を許可してもらい、生徒各自にモデル契約書にサインしてもらった。 それを親にも見せるよう言い、時間のある生徒には海や市街地でも撮影させてもらった。そうやって70人ほど撮影したと記憶している。 東京に帰ると現像所にフィルムを出し、受け取ってプリントするカットを選び、暗室でひたすらプリントした。 六つ切りサイ
最近、鉄棒にハマっています。 近所に屋外の簡単な筋トレ施設があり、久しぶりに懸垂をしようと鉄棒にぶら下がったところ、1回もできず、これはまずいということで通っています。 無理をすれば数回できたかもしれませんが、腕が壊れる予感があったので自重しました。 そんな不甲斐ない私を尻目に、70代くらいの男性が連続で30回、涼しい顔で懸垂をし、去っていきました。 私は過去、何回くらい出来たのでしょうか。 野球部でそれなりに鍛錬していたはずなので、10回は出来ていたんじゃないかと。
先日、私個人が開催しているポートレートのワークショップに、医療関係の仕事に従事している男性が参加してくれました。 実直で誠実。きっと素晴らしい、彼らしいポートレートが撮れるだろうとすぐに思いました。 少し言葉を交わせば感じます。言葉のセレクト、声色、正直さ、切実さ、メモの取り方など、彼の個性や人間性が溢れています。 そして彼の所作や振る舞いを、きっと被写体になった相手は好感を持って受け入れるだろうと。交歓、呼応ですね。 世の中には素敵なひとがいて、素敵な出会いがあって
先日、四半世紀振りくらいに、セブンティーンアイスを食べました。 そして二回りくらい小さくなっていることにびっくり。 高校時代くらいに初めて食べたと記憶していますが、初めて食べた時のサイズがその後の「基準」になるとすれば、現在初めて食べる子どもたちにとっては、その「二回りくらい小さいサイズ」が基準になるのですね。 これと似たようなことは、いまの日本でたくさん目にします。 右肩上がりの時代の終焉及びその余韻が終わる頃に私は社会人になりましたが、いまは右肩下がりの、凋落の真っ
久しぶりに吉祥寺でランチとお茶をしました。 たまに行く街ですが、現像所か古書店かギャラリーに行くくらいで、ゆっくり街を歩くことも数年ありませんでした。 今日は台湾料理店でルーロー飯定食を食べて、香港料理店でお茶をしました。 香港のお店の方は店員も中国人、客のほとんどが中国人で中国語が溢れていました。 私は香港式のコーヒーとエッグタルトを楽しんだのですが、これって香港にいるのとすごく似ている!と我に返りました。 日本語と日本円が使えることを除けば、すごく錯覚してしまいそう
衛星放送で「あまちゃん」をやっていますね。 当時も観たり観なかったりでしたが、今回もタイミングが合えば観たいと思います。 能年さんの透明感は凄まじいですね。 広末涼子の若い時を思い出します。 そして私が2005年より断続的に撮影している母校の後輩の、高校時代を思い出します。 いずれにしても10代後半の女性の瑞々しさは偉大ですね。 そういえば私の大学時代の友人たちも素敵な女性がたくさんいました。個性が際立つひとも結構いたけど、田舎者の私はときにからかわれながら、よくし
先日は近所の緑道を歩きながら少し長めの散歩をしていたのですが、随分経ってから右肩に、なんと鳥のフンらしきものを発見。 近くのドラッグストアでウエットティッシュを買い、入念に落としましたが、帰宅後にGジャンは洗濯機へ。 そう言えば会社員2年目に同じようなことがありました。 疲労困憊で社員寮に帰宅する途中、「疲れすぎてウンコだよ」と何度も後輩に言っていたら、頭に鳥のウンコが落ちてきたのです。 いやあ、本当にウンコな一日となりましたね。 まあ今回も、運(ウン)が降りてきたと
のんびりするのは良いものですね。必要なことです。 予定を詰め込まず、効率を求めず、歩いて行ける範囲をぶらぶらと歩いてみる。 普段入らないお店を覗いてみたり、初めてのお店でランチをしてみたり。 今日は歩いて15分くらいのところにマレーシア料理店があることを知り、行ってみましたがテイクアウトのみで諦め、さらに10分歩いて先日行った町中華でニラレバ定食を食べました。 今回のGWはこんな調子で近くの街やお店を巡っていました。 そして20年以上前に会社員をしていた頃、こんな時間
「次の中間テストで学年1位になったら、レギュラーにしてやる」 私が中学2年生のときの話。 野球部の監督(社会科の教諭でもある)から、そう言われた。 3年生が引退し、新チームで新人戦を迎える前、レギュラー格として練習試合に出場していた私はヒットが出ず、スランプに陥っていた。一方、ライバルのN君は少ないチャンスのなか、巧みなバット捌きで快音を飛ばしていた。その状況からの、監督の発言だった。 そもそも1位なんて馬鹿げた話。無理である。無理だと監督にも言った。それは後に医者とな
2001年9月。サンフランシスコ。 現地に留学していた郷里の同級生と、全盛期のバリー・ボンズを観に行った。 確か彼女にとって、初めてのメジャーリーグ観戦だったと記憶している。そして後日、今度はオークランドへ彼女の遠い親族も加わり、ルーキーのイチローを観に行った。 彼女の祖先の一部が移民として海を渡り、その子孫がサンフランシスコに住んでいた。ジュリアという、少し年上の女性だった。自分のルーツを知るために、私の郷里に来たことがあると言っていた。 同級生はその後も学びを続け
高校の卒業式から大学入学まで。 もう30年も前のこと。 どんなふうに過ごしていたか、記憶がありません。 親密なひととの別れや始まりもありませんでしたが、 それまで当たり前のように毎日過ごしていた友達と離れて暮らす未来を 少し寂しく思いました。 特に親しくしていた友人ふたりが東京に進学するのがとても羨ましく、 眩しく見えました。東京はお金がかかる街なのです。 後ろ向きな気持ちで大阪に向かい、治安の悪い街に住み、 とても危険な目に遭ったりしたけど、3年目くらいから楽しいこと
母校の後輩を撮影し、初めて個展を開いて20年になる。 写真を始めて1年半。いま考えると少し無茶な感じがするが、何も知らなかったのが良かったと思う。 教頭に挨拶し、校内での撮影を許可してもらい、生徒各自にモデル契約書にサインしてもらった。 それを親にも見せるよう言い、時間のある生徒には海や市街地でも撮影させてもらった。そうやって70人ほど撮影したと記憶している。 東京に帰ると現像所にフィルムを出し、受け取ってプリントするカットを選び、暗室でひたすらプリントした。 六つ切り
祖父がいなくなってしばらく経ちますが、以来、祖父の生き方をひとつの基準にするようになりました。 大正生まれの貧しい農家の出身らしく、生きる上での必要な術のほとんどを体得していたように思います。 米や野菜、果物を育て、祖母が亡くなってからは自分で料理を作り、簡単な大工仕事もこなす。自転車のパンクも自ら直していましたし、自動車も90歳くらいまで運転していました。 「お金がないから出来ることは自分でする」と祖父はよく言っていましたが、すでに便利な時代に生まれ育った私は、何かあ