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明日の天気は【 普通です⁉️ 】何とかなります、特に気にすることはありません。

季節の変わり目から来る、
お天気のせいでしょうか?

それとも、
わたしの頭の中の気圧、
のせいでしょうか?


街中や職場、ネットやTV、
さまざまな場所で

「リスク回避の空模様」
が、
広まっているように感じます。

まるで雨雲が、
だんだん迫ってくるみたいに…。




さっそく、
天気予報を見てみましょう。

「明日は、
極楽のような素晴らしい天気です!
お洗濯も、お出かけも、問題なし、
寒くも暑くもなく、
生きる喜びで満たされる完璧な1日です。
何の心配もせずに過ごしましょう〜!」


このような天気予報は、
年に何日あるのでしょう?

良い天気って、
案外、少ないものならば、
天気予報は、
「注意報」や「リスク予報」が、
どうしても増えますよね。


予報って大事だけれど、
増えすぎちゃうと、
楽しむことよりも、
リスク回避が優先な、
「頭の空模様」になりません?


その日の天気を受け止め、
天気と「遊ぶ、楽しむ、気圧配置」から、
天気から「逃げる、避ける、気圧配置」に、
なって行きません?

子供の頃、雨が降ると、
水たまりを楽しんだりしたのに…。

大人になったら、
明日のわたしは予報次第…。





記録

記録(データ)には、
計画や予測ができるという、
素敵な面があるけれど、

ある時、
予測がリアルを圧倒したりもしますよね。

まだ実際に起きてもいないことに対して、
予測ばかりが増えてしまう傾向、
心配事は絶えないということでしょうか。


未来を予測すれば(予測し過ぎれば)
マイナス要因(リスク)が、
いずれプラス要因を上回るのは、

天気で快晴の日が少ないように
実は当たり前なのでは?

そもそも未来は未知ですから、
リスクが多いのは、
ごくごく自然なことですよね。



ところで、未知なことって、

そんなにリスクなの?



記録、計画、予測の類は、
当たりを付けるデッサンみたいなもので、

さて、その上でどうする?という
デザインやアイデアを、
楽しめないならば、

むしろ、
予測し過ぎないほうが、
いいのかも知れません…。




野球のバッターが、
ピッチャーのあらゆる球を予測し過ぎて、

安全に、絶対に打てそうな、
ど真ん中を待ち続けていると、
結局、打率は下がって行くのでは?


打率の良い選手は、
どんな球が来ても打てるように、

反射神経や現場感覚を磨いているのでは?
予測は参考程度と、
誰かが言ってましたっけ。



予測を重視しすぎて、
予報に頼りすぎると、
リアルが置いてけぼり。

明日の天気を気にし過ぎて、
着たかった服は置いてけぼり。

お天気が先に存在していて、
わたしの存在は置いてけぼり。


リスク回避を突き詰めると、

うまれるということは、
結局、死ぬということだから、
リスクが大きい。
だったら、生きないほうが良い。

みたいな、おかしな結論、
生存の根本否定になって行きますよねぇ。



すると突然、
お天気お姉さんが乱入してきました!

お天気お姉さん


 明日の天気は

【 普 通 で す ‼️ 】

何とかなります、
特に気にすることはありません。

皆さん、
楽しく生きてゆきましょう!

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