時代感覚②:人の「記憶」はいつまで遡るのか

秋葉丈志


「地域の長老の話では」

人の「記憶」がいつまで遡るのか、前回の時代感覚記事と同じ発想(=仮定に基づく計算)で考えてみた。

この問いも、医学的な答え方(記憶を司る人体機能云々)、宗教や思想の観点での答え方(その世界では天地創造の頃から記憶が連綿と語り継がれ…ということかもしれない)など、どういう視点で考えるかによって、解が大きく異なるかもしれない。

今回の記事では、「その人がおじいちゃんやおばあちゃんなどから聞いた話として」の記憶がどれくらい遡れるのかを考えてみた。この場合、歴史学や民俗学、ジャーナリズムなどで「地域の古老・長老の話では」として語られる「記憶」である。

たとえば、私たちの住んでいる地域の地名や祭りには、その由来がはっきりどこかに記録されているわけではなく、「地域の長老」が「記憶」として語り継いできた場合がある。


①自身(一世代)の記憶(直接的な記憶)


自身が直接体験したというところの「記憶」は、だいたいの人の場合で5才くらいのところまで遡れるのではないか(3才の頃の記憶や母親の胎内の記憶?があるという人の話まで聞くが、ここでは5才としておく。ただ、調査をしたわけではない)。そうすると、一世代限りで考えた場合、「年齢マイナス5年」までの記憶があることになる。

そこで、古老、地域の長老は何歳くらいかと言えば、100歳以上になる人もいると思うが、どこにでもいるであろうという年齢に限って言えば、90歳くらいであろうか。

そうすると、どこの地域でも、少し聞いて回れば、少なくとも90歳ー5年で、85年前の生の(直接の)記憶がある人がいることになる。2024年時点では、ぎりぎり、第二次世界大戦の生の記憶(1939年)を持つ人がどこの地域にもいることになる。

②「長老」はいつの話を伝えるか


ここで少し考えてみてほしい。①で現在どこの地域でも、85年前の体験を直接している人の話を聞くことができると書いた。現在10歳くらいの小学生でも、85年前の話を聞いて、それを記憶に留めることはできることになる(小学校などに地域の長老を招いて話を聞く意味はここにあると思う)。

10歳で聞いた85年前の話。
では、「長老」は10歳のころ、いつの話を聞けたであろうか。
長老が90歳の場合、その人が10歳のころとは、80年前である。
その長老は80年前に、その時地域に住んでいた長老の話を聞いている。80年前は平均寿命がもっと短かったので、どれくらいの年齢の人が地域にいただろうか。控えめに見て、80歳としておく。

そうすると、80年前(1944年)当時の地域の長老は、160年前(1864年)に生まれた人ということになる。この長老は、明治維新を生で体験し、記憶していることになる。そしてこのころの体験を、老いてからも周りに話しているであろう。(ちょうど私たちが、今なお原爆被災者の話を聞けるように)

このように「実際に体験した人から話を聞いた」という「一人を挟んだ間接記憶」は150~160年前に遡れることになる。現在地域に住んでいる長老は、自らの体験としては80~90年前の話(第2次世界大戦のころ)を伝え、さらにその長老自身が幼いころに地域にいた長老から聞いた150~160年前くらいの話(明治維新のころ)を伝えていることになる。

③一人を挟んだ間接記憶は150~160年前(明治維新)まで

そのようなわけで、現在(2024年)の日本社会においては、直接の記憶(実体験をした人たちがいる)はどこの地域でも少なくとも第2次世界大戦直前まで遡り、一世代を挟んだ記憶(直接体験した人たちから話を聞いて育った人がいる)はどこの地域でも明治維新まで遡ることが推定できる。


地域に伝わる記憶

以前私は秋田県に長く住んでいたが、秋田県と山形県の交通機関(鉄路、道路)が県境で途切れる(隣接しているのに接続しない*)のは、明治維新の際の戊辰戦争において両者が旧政府軍と新政府軍に分かれて激戦を繰り広げた歴史があるからという話を聞いたことがある。どこまでが真実かはわからないが、そのような言説が伝わりやすい土壌があったのだろう。

こういうふうに「記憶」を巡る考察をしてみると、明治維新を直接経験した世代を祖父母として育った子どもたちが、いま各地の古老という年代になっている。そうした記憶を家族の中で聞いたものとして留めている人もまだ各地にいるであろう。

そうした「一族内」の感覚を考えれば、地域に残る「記憶」は少なくとも150年前までは遡るであろう、ということを仮のまとめとしたい。

(なお、祖父母の祖父母がそのまた祖父母から聞いた話となると、単純計算で230年前、1794年=江戸時代まで遡ることになる。ただ、ここまで人を介すると「伝言ゲーム」となり、ごく一部の話のエッセンスが伝わるくらいになろう。ただ地域や一族にとって重要なことは、口承でこれくらいの時間を経過して伝えられたとしてもおかしくない。それが史書として書き留められたり、あるいは伝説化されて語り継がれていれば、「記憶」は何世紀でもつながることになろう。)


補足
*日本海側で山形県から秋田県へ通じる日本海東北道の県境越え区間(遊佐象潟道路)の建設が2025-26年開通を目途に進んでいるようです。また内陸部で両県をつなぐ真室川雄勝道路も2019年度に着工したとのこと。


(2023年9月17日 初版)


この記事には多くの仮定があります。人は何歳くらいまでの実体験の記憶があるか。さらには、何歳くらいで親や祖父母から聞いた話を、どれくらい覚えて継承しているか。地域の長老とは何歳くらいの人で、その人が幼いころに地域にいたそのまた長老は何歳くらいだったか。
*私は民俗学者ではないので、この分野で調査をしたことがあるわけではなりません(だからこそ思い付きの記事が書けるのかもしれません 苦笑)

こうしたことについて、補足や体験等がございましたら、ぜひコメントやメッセージをください。記事を随時補足・修正していきます。


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