目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(31)

<2018年4月>

「ちょっと時間がかかり過ぎている様です」

 とても面食らった。いよいよリハビリが終了するに違いないと、高をくくっていたからだ。

 総体的に私の正答率は悪くなく、元々の能力を評価される様な結果だったのだが、唯一回答に時間が掛かり過ぎていた所が見られて、その点で通常の平均値より劣っていたと説明された。特に後半になるとパフォーマンスが落ちるという事だった。
 対して私は、自分が負けず嫌いで、本当は分かっている筈なのだから、簡単には投げ出しくなかったと説明した。それこそ試験なのだし、それは性格から来るものだったのだと思うとも言った。しかも後半と言ったって、3時間もの試験なのだから、誰だって集中力は落ちるのではないか?そうも疑問を呈した。だが、それで結果が覆る様な事はもちろん無かった。この時の私に、納得感を持ってその結果を受け入れる事は難しかったが、こうして手記を纏め上げてきた中で、私自身、自分の使ってきた表現から気付いたことがあった。

「名前や住所が書けないことを、ごく自然のこととして受け入れた」

「自分の物差しが無くなって、本当は分かっていたのかどうか判断がつかない」

 この事からも、私の脳が正常ではなかった事は、明らかだったと今は思える。

 ともかく、担当医は、私に中枢神経ループスも脳炎は脳炎で、脳梗塞やその他の病気による脳障害と同様に、最後までリハビリを完了してもらう必要があると明言した。私はその事で、それまで自分の中で、自分なら特例を認められてリハビリ免除さえも獲得できると信じていた気持ちに諦めをつけて、やっと本当の意味でのリハビリに取り組む事となった。

 ここで、その後のリハビリとなるドライブシミュレータや実技試験について触れる前に、言わばもう一つの裏のリハビリと言える、"データ復旧"行為について書きたいと思う。

 退院後、外気温が少し穏やかになり、インフルエンザの猛威も少し落ち着いた3月半ばからは、外に出て色々な刺激を受けた。買い物のついでに見かけるレストランの看板や食品サンプル、陳列されている商品を見て、あれってどんな味だったっけ、何か気になるから食べてみよう、そう言って、母とはあらゆる好物や懐かしい味を食べ歩いた。食べ歩くだけでなく、ちょっとした料理程度なら自分で何でも作ってきた私は、実際に作ってみて確かめることもした。
 また、母から教わった名画や私自身が好きだった映画をレンタルして観たり、趣味の音楽も、普段ならiPhoneでランダムに聞くに過ぎなかったのに、わざわざ膨大なCDコレクションを棚から引っ張り出して聴いたりもした。

 親友のKとは、独身時代によく行っていた馴染みの定食屋や遊び場にも顔を出してみた。

「あー、これ!これ!」

 気になって気になって仕方なくなり、食べて飲んで、観て接して、時には家族が寝てる間や少し離れた隙に、盗み食いをするまでに抑えきれないその衝動を満たすと、その度に、私の脳の中で何かが刺激され、自分の人生を振り返っている様な感覚を覚えた。時には、逆に店主が私たちを懐かしんでくれる事もあり、人と人のつながりの大切さをそこでも実感した。どんな風に生きていても、人生のどこかで触れ合った人と人のつながりは生き続けていて、再会をいつでも楽しめるのだ、そういう安心感も覚えた。
 因みにステロイドには食欲を増進させる副作用があるので、特にこの食への執着に関しては、脳障害だけでなく薬の影響があったのは確かだ。

 今の今まで家族には黙っていたが、実はリハビリの帰り道にショッピングモールのフードコートで食事をした際、一食平らげた直後に、トイレに立った機会を利用して、何とマクドナルドでハンバーガーを隠れて買って食べたことがあった。あれは今考えても、何とも滑稽で異常な行動だったと思う。ハンバーガーを瞬殺して、ああこの味だ、そうだ、と満足感に浸った。

中心性肥満・ムーンフェイス
機序
食欲増進作用・脂質代謝障害により、顔・首回り・肩・お腹に 脂肪がつきやすくなりますが医学的には問題ありません。
治療・対策
ー体重が増えないよう食事管理を心掛けましょう。
ー プレドニン10mg/日程度になるとほとんど目立たなくなります。
ー 薬の量が少なくなると必ず改善するため自己判断 での中断はしないようにしましょう。
出展:大阪市立大学医学部附属病院 薬剤部/ステロイドについて Q&A

 これらの復元行為の中でも、土地勘については、とても不思議な感覚を得た。助手席に乗っていても、実際に自分で運転を再開する様になってからも、前方の窓から入ってくる景色を見ながら、その先の道を何となく頭の中で思い描いて進んで行くと、自分の予想していた風景が視界に入ってくる。その時、自分の前頭葉のあたりがムズムズし出して、まさに脳内メモリを書き直している様な、そんな感覚を得たのだ。

 そう言った道順や味の記憶の回想だけでなく、私は療養中の自由な時間を活用して、銀行を巡ってローンの借り換えを検討したりするなど、面倒だが、いっぱしの大人として必要な仕事にも精力的に取り組んだ。振り返ってみると、こういった大黒柱としての”役割”を再開した事も、私のリハビリに大きな効果をもたらした、そう感じた。また非常に幸運な立場だったのだとも感じた。

 何故なら、多くの場合、認知機能が低下したり、脳障害を後天的に患う様な状況は、前述の様な”役割”を完全に終えた後に起きるか、そうでなくとも根本的に元の自分に戻れない状態に陥るかのどちらかではないかと思ったからだ。
 幸いにも私は、脳炎の影響を肉体的にも精神的にも著しく受ける事は無かったのか、日々過ごしていく中で、元の感覚を取り戻していった。また同時に、そういった重要な”役割”を自ら果たさねばならない責任も伴っていた為に、一層その能力は効果的に復元されていったと実感した。

〜次章〜ファイナルラウンド


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