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空気って何ですか?

吸うものじゃないの?


 社会に出て、よく先輩などから
   おいお前、空気を読めよ!
と言われたことがある方は多いと思う。

 でも、それって何?
 空気って読むのではなくて、吸うものじゃないの?
 最近の若者であれば、そんな素朴な疑問を持つ方がいるかもしれない。

 しかしこの「空気を読む」という心情は、日本人であれば誰でも少なからず持っているもので、ここ最近始まったことではない。

 この言葉の持つ意味は
   回りの雰囲気を考慮しろ
ということで、いわば「協調性を大切にしろ」と強要されているようなものだ。

 また最近よく耳にする言葉で
   忖度(そんたく)する
というものもある。
 これも
   他人の心中を推し量る
という「空気」と似たようなニュアンスの表現で、いずれも他人との協調性を大切にする日本人ならではの発想である。 
  
 何のことはない。
 空気も忖度も、聖徳太子の時代以来、日本で大切にされてきた
   和をもって貴しとなす
という考えが、言葉を変えているだけなのだ。

 だから日本人のDNAに刷り込まれた行動様式のひとつが、時代が変わっても言葉巧みに生き残っている証拠だ。
 
 しかし天邪鬼の私は、この「空気を読む」ことが大嫌いであり、また苦手でもあった。
 勝手にイメージだけで決めては困る。
 空気に流されずに、しっかり話し合ったりして解決しなければならない問題も多々ある。
 「和をもって貴し」の本当の意味は、しっかり議論することではなかったのか・・・  

 でも今の日本の繁栄を目にするとき、日本の長い歴史と文化に育まれてなおかつ残っているこの行動様式が、ある意味必要なものなのだったのかもしれない。

 確かに日本人は、欧米人と比べて個人で行動するということが苦手な一面もあるようで、そのような国民性を考えた場合、この空気を読んで全体に合わせて行動することが正しい方向に向かっていれば、とてつもない力を発揮すると思う。
 しかしそれが正しくない方向に引きづられた時を思うとゾッとする。

 これが個人間の約束ごとなど小さなことであればまだしも、国家存亡の危機においての判断が正しくない方向に向かったら、それに対する付和雷同は国家を破滅に導くといっても過言ではないだろう。

 先の大戦時において、日本の軍用機は、緒戦においては欧米諸国のそれと比べて無類の強さを発揮した。
 特に、ゼロ戦をはじめとした戦闘機は、日中戦争からの戦歴を重ねてきた技量の優れたベテランパイロットが多数いたことにも助けられ、ことのほか強かったらしい。
 ただそれは、日本の戦闘機が攻撃に重点をおいて、防弾装備等を軽視(というよりも無視)した設計で軽量に仕上げられていたことも大きかったが、連戦連勝だった緒戦においては誰もそれを問題視することはなかった。
 ところが、その後圧倒的な数で押し寄せてきた米軍戦闘機に抗しきれずに日本軍機が撃墜されることが多くなると、軍用機を製作する会社側の技術者等も防御装備等を考慮する必要性を軍に打診したが、軍首脳は
   そんなことをすれば
   重くなって攻撃機性能が落ちる
   君らは黙って、飛行機をたくさん
   作ることさえ考えればいい
   用兵(戦術上、軍を動かすこと)
   に口をだすな
と異論を封じたらしい。

 つまりこれは
   余計な口だしをするな
と言って他者に協調性を強要する「空気を読め」的思考と言える。
 その結果どうなったか。
 日本軍機は、戦争末期まであまり防御を考慮しなかったため、米軍パイロットから
   やつらの機体は一発当たれば
   すぐに火を噴いて落ちる
   ワンショット・ライターだ
と侮られるまでになったのである。

 このため軍首脳が考えたのは、多数の若者を死に追いやった特攻作戦であった。
 国を守るために散華された多くの若者には感謝しかないが、この時軍がもっと早く技術者側の意見具申を受け入れて、防弾装備等を導入していれば、その後の戦い方はもっと違ったものになっていたかもしれない。

 また、戦争末期になって陸軍主導で行われた
   インパール作戦
は、補給を無視した杜撰な作戦案であった。
 しかしその作戦で劣勢の挽回を企図した
   牟田口 廉也中将(最終階級)
がその実行を強引に主張したところ、それに抗しきれずに軍首脳部が出した決断は
   牟田口がそれほどまで言うなら
   あいつのいうことだから・・・
という
   和をもって貴しとなす
の考えが背景にあるものであった。
 「空気」が補給という作戦上一番重要な判断要素を上回ったのだ。

 この作戦の敢行により、多くの日本人将兵が糧食に苦しんで作戦は頓挫し、日本軍の敗走路は彼らの「餓死死体」で埋まって
   白骨街道
と呼ばれたほどだった。
 これも、「空気」と「和」を重視した悲惨な結果だった。

 時は変わって現在。
 今中国に進出した企業が、以前ほどうま味がなくなった中国市場から撤退しようとする動きが強まっている。
 しかしそういう動きを察してか、中国政府は日本企業の国外への資産持ち出しを禁止したり、あらゆる理由をこじつけて日本企業の役員ら上層部の者の身柄を拘束したりして、その動きを封じようと企図している。

 自由主義社会、法治国家からすれば、信じられないような暴挙である。 
 共産主義で、個人が資産を保有することを禁じる国柄であることが分かっていたにもかかわらず、何故そこまでして中国に肩入れしなければならなかったか。
 ところが、過去に共産主義国家に進出することの危険性を危惧したことを指摘した識者も少ながらずいたのである。
 しかし、人件費が安く広大な市場の魅力に取りつかれた経済関係者やメディアの論調に引きずられて
   今、中国が熱い
という「空気」に日本中が飲み込まれてしまった。
 台湾という親日国家を切り捨ててまで・・

 しかし経済というものは生き物で、いつまでも良い状態が続くとはいえない。
 現在中国は不動産バルブの失速や、無秩序な対外進出に危機感を覚えて距離を置く国が増えてきており、人によってはその崩壊さえ指摘する時代となっている。
 ここここに至っては、この「空気」に抗って英断を下し、中国在留の同胞を救うことを真剣に考える時に来ているのではないだろうか。

 またこれに遡ることになるが、先の大戦後にも同じようなことが起きている。
 韓国と袂を分かって建国された北朝鮮のことを、日本の一部メディアは礼賛して
   地上の楽園
とまで褒めそやかし、その「空気」に乗せられた日本人が開拓民として多く移住した。
 しかしその後の彼らの窮状はご存知のとおり塗炭の苦しみを味わっただけであったが、誰もその責任を取る者はいなかった。
   単なる「空気」だから、言質(げんち・あとで証拠となる言葉)とはならないとでも考えているのだろうか。

 さらにこの国は、拉致された自国民さえ長きにわたりほったらかしのままである。

 この歴史をよく知っていれば、共産主義国家に進出することの危険性を理解して、今の中国のような状態になるまで在留邦人を放置しなかったかもしれない。

 なぜ歴史から学ぶということをしないのだろう。
 これも戦後アメリカが日本に植え付けた自虐史観、つまり
   戦前の日本は中国や朝鮮半島を
   はじめとしたアジア諸国に
   多大な迷惑をかけた
という考えが、未だに「空気」のごとく日本を支配しているからだろうか。

 かくのごとく「空気」というものは、日本人にとって
   諸刃の刃
的なところを持つ、扱いにくいしろものという側面も持っている。

 今世界は、ウクライナやイスラエルなど、過去の世界大戦に及ぶおそれのある「火薬庫」的な事態になっているほか、中国は自国の経済低迷を打破するために、南シナ海をほぼ手中に収めようとしているだけではなく、台湾や日本の尖閣諸島なども奪おうと危険な賭けに出ようとしている。

 どんなに平和な日本国内で
   平和が大事
   平和憲法を守ろう
と、空念仏を唱えていても、決して相手が同じ考えの者ばかりとは限らない。
 逆にその「空気」を利用して、静かに日本国内に進出してくるかもしれない。
 いや、既にそのような一面も散見される。

 ちなみに
   平和憲法を守ろう云々~
という「空気」を喧伝する人々のなかには、なぜか中国、北朝鮮のことを悪く言う人はいない。  

 そろそろ日本も正しい「空気」を醸成して、国民が一致団結して日本を取り巻く危機に対処すべき時かもしれない。
 空気は読むだけでなく、しっかりその中身を吟味しなければならない。


読むだけでなく、しっかり見よう!


 
 

 
 
   


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