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なぜ台湾を捨てたのですか?

真の武士道精神とは

 台湾は、かつて日本領であったことから、日本の文化や精神が色濃く残っている地である。
 そのなかで、日本軍人として今も現地の人から崇められている人物がいる。
 杉浦茂峰という旧帝国海軍のパイロットである。

杉浦茂峰少尉
戦死時の階級は飛曹長


 彼は大正12年に茨城県水戸市で農家の三男として生まれ、学業優秀であったことから飛行予科練生となる。
 そして霞ケ浦海軍航空隊で訓練を受け、台湾に配属される。
 しかしその頃既に戦況は日本側にとって容易ならざるものとなっており、台湾には日本軍の軍事施設も多かったことから米軍の爆撃対象とされ、米軍機が頻繁に飛来するようになっていた。
 1944年末期、杉浦少尉はそのような戦況のなか、飛来した米軍機に応戦するため戦友とともにそれぞれ愛機で離陸したが、彼は米軍戦闘機と空中戦となり、武運拙く撃墜されてしまった。
    当時その様子を見ていた住民は、その飛行機が自分たちの住む集落に落ちそうであったことから、少なからず被害が出ることを覚悟していたらしい。
 ところがその飛行機は、地上近くで機を立て直して上昇し、近くの家がないところに墜落して炎上したのである。
 杉浦少尉がそのまま墜落していれば、その下には粗末ながらも木や竹でできた家々が多くあった。
 それが分かった杉浦少尉は、集落に被害がでないよう、必死に機を立て直して墜落したのである。
 もし自分だけ助かろうと思えば、彼はパラシュートで飛行機から脱出すればよかったのである。
 彼は自分の命よりも眼下に暮らしている住民の命を優先したのである。
 武士道精神のひとつである究極の「自己犠牲」の発露だったのだ。

 住民は、杉浦少尉の自己犠牲の精神に感銘を受けて、彼の遺体を運び出し、廟を立てて「飛虎将軍」として祀った。
 今でもその廟では、毎日朝には「君が代」が、そして夕方には「海行かば」が流れ、住民がその霊を祀っているという。
 日本人の武士道精神のひとつである
   自己犠牲の精神
と台湾への愛を現地の人々は今でも記憶しているのである。

廟内に掲げられた飛虎将軍の画像
飛虎将軍廟

 戦後、作家の司馬遼太郎が台湾を旅行したおり、旅の終わりに現地の人が彼のために宴を設けてくれたらしい。
 その宴の最後のほうで、ひとりの老婦人が司馬氏に向かって
   日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか?
と、瞳を潤ませて言ったそうだ。
 彼女の言ったことは、1972年、当時日本の首相であった田中角栄が日中国交正常化を成功させ、台湾と断交したことを指す。
 確かに田中角栄は、戦後日本の経済成長を飛躍させた政治家のひとりではあるが、日本は自国の経済成長と引き換えに、親日家の多い台湾を切り捨てて、当時経済的発展の魅力がある巨大市場の中国と手を結んだのである。
 信義より実利を取ったのである。
 日本の武士道精神はどこへいったのだろう・・・

 そうした憤懣やるかたない気持ちでいたところ、あるネット記事に目がとまった。
 1999年(平成11年)11月22日に起こった
   入間川墜落事故
である。

墜落したT33Aと同型機


 これは、自衛隊の練習機T33Aが、飛行中にトラブルに見舞われ、墜落して自衛官2名が殉職した事故であるが、この事故により東京電力の送電線が切断されて首都圏の大規模停電を引き起こしたため、マスコミに自衛隊叩きの材料にされた。
 しかも、墜落した飛行機が練習機であったことから、訓練不足のパイロットが引き起こしたものと誤解され、隊員の技量不足などと、あらぬ批判にもさらされることになった。
 ところが実際は、殉職したパイロット2名は訓練生を指導する立場のベテランパイロットであったことが判明し、彼らは
   そのまま墜落すれば入間川沿いの
   住宅地や学校に被害が生じること
   を恐れて、すぐれた技量で故障し
   た飛行を操縦し続けたために脱出
   が遅れて殉職したこと
が判明した。
 彼らは、自衛隊の服務の宣誓にあるとおり
   事に臨んでは危険を顧みず、身を
   もって責務の完遂に務める
ということを実践したのである。
 まさに、台湾で散華された杉浦少尉と同じ武士道精神が戦後の自衛隊においても脈々と受け継がれているのである。
 ところが、あれだけ大停電のみを取り上げて大騒ぎしたメディアは、なぜかそのことにはあまり触れなかった。 

 このほか台湾には、その統治時代に台湾の農政に尽力した数多くの農業技師や、治安維持のために殉職した警察官等がおり、今でも現地で祀られて尊崇の念を集めている。
 日本は欧米のような簒奪するだけの植民地政策ではなく、教育や農業の普及、殖産興業に尽力したのである。
 今の台湾の経済的基盤は、日本が作ったのである。

 そのような過去があるからこそ台湾は親日家が多いのだ。
 最近の若い人には、「日本のアニメや芸能人が好きな人が多いから」と思っている人が多いかもしれない。
 それもあるかもしれないが、本当の理由は、台湾に移住して、それこそ身を粉にして台湾のために働いた我々の先人がいたからなのだ。
 だれも植民地支配などしていないからだ。

 だから台湾は、2011年東日本大震災の時には最も多くの寄付をしてくれたり、いち早く救援隊の派遣を申し出てくれたのだ。
 人口2300万人、平均所得年わずか160万円の国(中国は認めないかもしれないが)が、200億円もの寄付や400トンもの援助物資を送ってくれたのである。
 ところがマスコミはそのことをあまり報道せず、当時の民主党政権に至っては、台湾が多額の寄付をしてくれたにもかかわらず、震災一周年追悼式には招待すらしなかった。
 いずれも大国となった中国を慮っての行動だった。
 武士道の国日本、信義を重んじる国日本はどこへ行ったのだろう。

 一方真の日本人は分かっていた。
 今年のWBCの台湾戦前に、一人の日本人がツイッター上にこうつぶやいた。
   日本は初戦が台湾に決定
   先般の東日本大震災では
   台湾から支援をいただきました
   試合の時は、そのお礼の
   横断幕やプラカードを
   お願いします
試合当日、スタンドにはそのツイッターの呼びかけどおり、「台湾に感謝」「台湾の人ありがとう」などと書かれた色とりどりの横断幕やプラカードが掲げられた。
 それも一枚や二枚ではなく、スタンドいっぱいに・・・

観客席にはたくさんの台湾への感謝メッセージ
が・・・日本人もまだまだ捨てたものではない


日本は台湾の誠意を永遠に忘れません
感謝TAIWAN
胸が熱くなる・・・
感謝の言葉はスタンドいっぱいに・・・



 試合は大接戦の末、日本が延長で台湾を下したが、ドラマはそこで終わらなかった。
 その後のことは、日本の地上波では放送されなかったが、台湾選手は全員でマウンドに向かうと、その周囲に360度広がって、スタンドに向かって全員で深々とお礼をしたのである。
   礼には礼で答える
これも武士道が唱える礼節の精神の発露のひとつである。
 勝って自国の旗をマウンドに突き刺すどこかの国とは、民度が全く違うのである。


試合後深々とお辞儀をする台湾チーム


 今、この古きよき日本の武士道精神を色濃く残す台湾が存亡の危機にたっている。
 今度こそ日本は、兄弟を裏切るべきではない。
 そんなことをしたら、日本人として未来永劫汚点となるだろう。
 大東亜の繁栄と平和を望まれていた昭和天皇のお顔に泥を塗ることとなるだろう。

 経済的豊かさなど少しぐらい失ってもいいではないか。
 今の日本は、諸外国に比して十分豊かではないか。
 しかし精神的な豊かさは、一度失うとなかなか元には戻せない。
 今だに自虐史観に支配されていることにさえ気づかない、いやあえて気づかないふりをしているかもしれない日本の言論空間が、そのいい証拠だ。

 恥ずかしながら今こそ台湾から真の日本のあるべき姿を学ぶ時ではないだろうか。

   
 


 



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