出会いと別れ
人生は出会いと別れの繰り返し
先日、県外に住む学生時代の友人を訪ねて、車でひとり旅をした。
その途中立ち寄ったある景勝地を離れて立ち去ろうとした時、一人の青年が近寄って来て
「すみません。自転車で旅をしているのですが、自転車がパンクしてしまって・・・、近くの自転車に修理依頼したのですが、そこまで乗せてもらえませんか?」
と言われた。
そこは、家族連れやカップルが多いところで、私のようなひとり旅の者は少なく、おまけに私が乗っている車は、わりと大きめなので、自転車の青年からすれば、自転車と自分を乗せてもらうためには、うってつけと思われたかもしれない。
彼が修理依頼をしたという自転車屋は、車で4,50分くらいであり、私の目的地のすぐ近くでもあったことから、これも旅の出会いのひとつと思って、私は彼と自転車を乗せ、その自転車屋に向かった。
道中、彼とはいろいろな話をしたが、先日発生した、北海道での遊覧船沈没の話をした時、彼が
「実は、私の祖母が、その船に、ちょうど1年前に乗っていて、あの報道を見てビックリしていました。」
と話してくれた。
その後、自転車屋で彼をおろした私は、予定どおり、友人と居酒屋で落ち合い、つもる話に花を咲かせて、楽しい時を過ごし、翌日は彼の案内で、その地の名所旧跡を回り、午後には帰宅の途についた。
短い旅ではあったが、見知らぬ自転車乗りの青年との出会い、旧友との再会など、それなりに楽しい旅であった。
しかし出会いというものは、必ず別れを伴うものでもある。
思えば、人生も長い旅のようなもので、いろいろな出会いと別れの繰り返しで成り立っているものだ。
自転車で旅をする彼とは、わずかな時間を共有しただけであり、連絡先を交換した訳でもないので、もう出会うこともないだろう。
しかし私と彼の人生で、時を共有したのはまぎれもない事実である。
また、彼の祖母は、1年前に北海道に旅行して、その観光船に乗って、楽しい思い出を残せたが、今回沈没した船に乗った多くの観光客にとっては、まさに永久の船出つまり、この世との永遠の別れとなってしまっている。
友人との再会は、楽しい出会いであり、わずかな時を共有して、またそれぞれの人生に戻っていくために別れたが、また再会する楽しみがある。
出会い、別れ、それぞれに伴う楽しみ、哀しみ、また何も出会いと別れは何も人間だけに限ったものではない。
こうやって、この年まで生き長らえてきてこれたのも、これまで私の命を支えてくれた多くの生き物の命のおかげであり、それぞれの生命との出会いがなければ、今の私はいない。
また、家や車など、自分をとりまく物たちも、出会いのひとつになるだろう。
これからも、いろいろな出会いと別れを繰り返し、最後に訪れるのは、この世との別れである。
これだけは、生まれ来るということと同様に、神様が人間に平等に与えたもうたものであるが、その先にあるものは、あの世での、多くの生き別れた、死に別れた人などとの再会なのか。
その再会を楽しみに、この世を生き抜くというのもいいものだ。
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