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平和の架け橋

橋梁技術で世界に貢献

 日本国内ではあまり知られていないが、実は日本の橋梁技術、つまり橋をかける土木建築技術は世界一である。

 日本は島国であり、その領土に多くの島しょ部をかかえていることもあることから、もともと橋にかかる土木技術が発展する要素もあったのであろうが、歴史的にみても橋にかかる文化は長いものがある。

 古事記にも「天の浮き橋」を使って、天の神々が自由に天と地の間を行き来していたというくだりがあり、京都にある「天橋立」は、日本列島を作ったとされる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が天に上る橋を作ったが、それが倒れて横になったという言い伝えがあるほどだ。

京都の天橋立・・・今や観光名所である


 また有名な「いなばの白兎」では、白兎が鮫をだまして鮫の橋を作らせ、向こう島に渡ったという話があるが、似たような神話は北欧デンマークにも残されているなど、橋には「遠くのものを引き寄せたい、歩いていけないところへ行きたい」という人類の夢がこめられているのかもしれない。

 その後日本では、主として豊富な木材資源を使った橋梁技術が発展し、日本の三奇橋と言われている
  山梨県大月にある猿橋
  木曽の桟橋(かけはし)
  山口県岩国の錦帯橋
などは、世界的にみても当時最先端の土木技術で作られたものである。

山梨県の猿橋・・・橋脚がない珍しい構造


 また技術が発展した背景には、地震と台風などによる河川氾濫等の災害が多かったことも忘れてはならない。
 自然が日本の橋を強くしてきたのだ。

 江戸時代になると、西洋などから石造りのアーチ橋の技術が伝わり、木造からするとはるかに勝る耐久性により、今でも
  長崎県の眼鏡橋
  熊本県の通潤橋
など現存するものが多い。

通潤橋・・・日本最大の石造りアーチ橋、放水シーンが人気である


 その後近代になり産業革命がおきると、欧米では鉄の橋が作られるようになって、一時的に日本の橋梁技術は欧米各国の後塵を排することとなった時期もあったが、鉄筋コンクリート橋技術が世界の潮流となった現在においては、その土木技術で日本にかなう国はないレベルにまでなっている。

 現在日本国内を見渡してみても、瀬戸内海にかかる瀬戸大橋をはじめ島しょ部と本土とを結ぶ多くの橋は、まわりの島の白砂青松ともあいまってまさに絶景ともいえる景観を作り出している。

瀬戸大橋・・・鐡道・道路併用橋としては世界最長である


 また沖縄諸島など、離島間を結ぶ橋にも巨大なものが数多くあり、今や離島とさえ言えない環境まで作り出している。
 しかもこのような橋は、全て日本海や太平洋という世界的にも強い潮流が取り巻くなかに建てられたものであり、その耐久性についても素晴らしいものがある。
 日本の橋梁技術は、「自然災害と黒潮」によって鍛えられ、今や世界品質となっているのだ。

 世界的にみると、他国が作った橋梁の崩落事故というものは時折見られるようであるが、日本ではそのような事故はほとんど起きていない。 
 震度7を記録した阪神大震災の時でさえ、当時建設中であった明石大橋の鉄塔は倒壊しなかったほどで、このことは世界中から驚愕をもって注目されたほどである。

 しかしその世界品質が、世界平和に貢献していることについては、なぜか日本国内で触れられることは少ない。
 
 特に、近年経済発展の著しい東南アジア諸国では、都市部の交通渋滞問題が発生し、河川部にかかる橋の大型化や補修が喫緊の課題となっている。

 バングラデシュでは、首都ダッカと周辺の都市を結ぶ3つの橋が経年劣化と渋滞によりその解決が急務となっていたが、清水建設や大林組、IHIといった日本の企業が、それらの橋の修復と新たな橋の建設を受注して完成させている。
 おまけに、この工事の納期は2020年1月であったが、7月も早めて完成させ、工期が早まったために浮いた数十億円の工費を
   バングラデシュの発展に貢献したい
として返還し、同国政府や国民からは驚きと称賛の声がなりやまなかったという。
 日本の技術と誠実さが高く評価されたのだ。

バングラデシュの橋のひとつであるメグナ橋


 中国のように他国より安い工費で入札し、その後は工期を引き延ばしたり手抜き工事で粗悪な工事を行った上で、最終的には入札よりもはるかに高い工費を請求して相手国の財政を悪化させるなど、将来的に「安物買いの銭失い」的な思いをさせる国とは民度が違うのである。

 カンボジアでは、長らく続いたゲリラとの内戦によって経済は疲弊したが日本政府は無償援助を申し出て、1994年にそれまで日本橋と呼ばれていた橋を修復完成させ、今ではその橋は、改めて
   日本・カンボジア友好橋
と名付けられ、日本とカンボジアの平和友好のシンボルとなっている。

日本・カンボジア友好橋・・・左下の両国の国旗が友好の証である


 また、同国内には東名アジア最大のメコン川があり、その川には
   つばさ橋
と名付けられた大きな橋があるが、この橋も総工費120億円あまりを日本政府の無償供与により日本企業が建設した橋である。
 この橋の完成を祝って出された同国の紙幣には、日本の日の丸が入っているほどだ。
 他国の国旗を紙幣に刷るということは、世界中を見ても例がなく、カンボジアの人々の日本に対する感謝の念がいかに大きかったか分かる。

 南太平洋の人口1万8000人あまりの小さな島国であるパラオは、先の大戦までの一時期、日本が国際連盟の承認を受けて委任統治領としていたが、移住した日本人は、パラオで学校や病院などの公共インフラを充実させ、農業の技術普及にも力を入れて経済的な発展も促したことから、今でもパラオ人は日本びいきが多い。
 しかし戦後、この国を自国領としたアメリカは、日本の統治の痕跡を消し去るかのように、せっかく日本が築き上げたインフラをことごとく破壊し、公用語も英語としてその欧米化を図ろうとしたが、1994年にこの国がアメリカから独立するにあたり選んだ国旗は、日本の日の丸に酷似したものであった。
 ちなみに、その独立式典の時に、新しく作ったパラオの国歌とともに「君が代」が斉唱されたことも忘れてはならない。
  戦後日本では、政治家はことあるたびに「かって日本は東南アジア諸国で植民地支配をして、多大な迷惑をかけた」という謝罪外交を繰り返してきたが、パラオのことはどう説明すればいいのだろうか。
  
 この国も日本同様島国国家であることから、橋は重要なインフラであり、特に首都と他の島しょ部を結ぶ橋の修復は一大国家プロジェクトであった。
 この受注にあたっては、日本の鹿島建設が手を挙げたが、アメリカの後押しを受けた韓国のSOCIOという企業が、鹿島の半額で入札してその工事を手中にした。
 しかし、当初から手抜き工事の噂が絶えなかったこの橋は、完成後に大金をかけて補修したにも関わらず、1996年には中央から真っ二つに折れて崩落した。
 この橋の修復のために最終的にパラオが頼ったのは、日本の鹿島建設であり、それが決まると国民は
   また、日本がやってくる
と、もろ手を挙げて歓迎したらしい。
 完成した橋は、「日本・パラオ友好の橋」という名前がつけられたが、この橋も日本の無償協力でなされたものである。

日本・パラオ友好の橋・・・パネル右側の🇵🇼はパラオの国旗である


 日本は、戦後驚異的な復興を遂げて経済大国となったが、なにもその富を自国の繁栄だけに使ったのでは決してないということが、このような東南アジア諸国への無償援助でもよく分かる。

 かつて大東亜共栄圏という構想で、先人たちがアジア諸国とともに発展しようとした夢は、戦後も確実に継承されているのだ。
 日本の橋梁技術で作られたアジア諸国にかかる橋は、まさにその象徴ともいえ、日本とそれらの国々をつなぐ「平和の懸け橋」となっている。 

 さらにこの橋造り外交は、最近はアフリカ諸国でも広がっており、アフリカの人々からも歓迎され、親日家が増えているらしい。

アフリカ初の長大なつり橋となったマタディ橋



 このように、日本の橋づくり文化は今や日本だけのものではない。
 海外に広く羽ばたき、そしてそれぞれの国で感謝と尊敬をもって受け入れられている。
 橋を作るだけでなく「平和」も作っているのだ。
 日本国内で「戦争反対、平和が大事」と念仏を唱えているだけの人たちよりも、世界をまたにして橋梁技術に関わっている技術者たちこそが、真の平和の作り手ともいえるのではないだろうか。
 

 

 



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