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タケルJR退職4周年ツアー(その2)


前日宿泊してくれたふじポン、そして近所のNさん親子と共に大垣駅へ。まずは、東海道線快速で名古屋へ。高山へ行くだけであれば、特急ひだは岐阜にも止まるのだが、そこはやはり、始発の名古屋から乗りたい。ということで、わざわざ名古屋へ行くことにしたのだ。
JR時代も含めて、仕事中は別として、名古屋~高山間を通しで乗るのは初めてだったりする。

名古屋駅改札前で待っていると、次々とメンバーが到着し、無事に全員が集合だ。ホームに出て暫く待つと、いよいよ到着アナウンスと共に、85系が入線してきた。
これに乗るのは4年前以来と、久しぶりの乗車だ。
折角のキハ85だからと、先頭・パノラマ席を狙ったのだが、座席争奪戦に敗れて4、5列目を占めることに。しかしそこからでも、少し通路側から身を乗り出せば、前の景色を堪能できることに気付く。


高まるエンジン音と共に出発。最初は座席の向きは進行方向とは逆向き。それに驚くのは瑛美ちゃんだけだ。
東海道線内はノンビリとした走り。どうやら先行列車が詰まっているらしく、全開で飛ばすことはなかなかなく、いつの間にか岐阜駅には5分少々遅れて到着だ。


連結作業見たい人!と募集し、瑛美ちゃんとショーちゃん、そしてかずくんと山本氏が来る。
降りて見に行くと、人だかりが凄い。あと1か月ほどで引退ということもあり、撮り鉄たちが大集結して、さながらお祭り騒ぎだ。大阪から来たひだ編成との連結を見て、車内に戻る。
岐阜駅も5分遅れで出発し、フルスピードで高山線内に入っていく。
沿線を見ると、所々にカメラマンが。編成を綺麗に撮れるポイントらしい、長森駅こ線橋などは黒山の人だかりになっていてビックリした。

今日は指定席は満席で、自由席も大混雑している模様。車掌が巡回に入れない旨の放送が入った。もともとこの列車は丁度いい時間帯ということもあり混雑する傾向はあったが、85系のお別れ乗車も相まっての大混雑となっているようだ。
元職場であった美濃太田を過ぎると、次第に山が迫ってくる。
現役時代は見飽きたような景色だが、久しぶりに乗客として訪れると、また新鮮な気持ちだ。

白川口に到着。ここで少し、Kクンや瑛美ちゃんを連れてデッキへと。
今ではあまり見ることのできない、ドアの締め切り解除作業を見るためだ。
高山線内最長である10両で走る、ひだ5号&25号。しかしその停車駅は昔の急行の名残を受け継ぎ、こまめに停車していく。(多分、特急格上げに際して、沿線自治体との密約でもあるのか)
そういった小駅では、ホームの有効長が足りず、ドアカットと呼ばれる、はみ出る車両のドアを開かないようにする取り扱いがある。
その際、普段見ることのできない配電盤を開いて作業するので、偶然に居合わせたフリをしながら、その様子を見学してみたのだ。

なかなか見ることのできない様子に、Kクンも興味津々。
因みにダイヤ改正と共にこの列車は停車駅を絞って速達タイプに変化することもあり、恐らく今後、高山線内でのドア締め切り作業は原則、発生しないことになるのかもしれない。

ふと見上げると、形式がキハ85-1、トップナンバーだ。
これは試作段階からの車両のため、ギリギリ昭和生まれの車両で僕とも1年違いなだけだ。当時の技術で最高の車両を作ったということもあってか、その後、35年にも渡って第一線を走り続けたのは凄いことだろう。

下呂を過ぎて少しは自由席も落ち着いただろうと思われるので、少し車内の探検に。先頭車同士の連結部分に立ってみると、車掌時代を思い出す。
大阪編成の車掌さんが知っている人だったので、少しだけご挨拶に。
そういえば、途中の駅ですれ違いの特急列車の車掌さんもこっちを見て気づいた様子だったが、誰だったのだろう?マスクをしているとわからんな~
退職してから4年、知らない人もそれなりに居るが、まだまだ見知った顔が多い高山線は、なんか懐かしい気持ちにさせる。

東海道線の影響での遅れはそのまま変わらず、高山駅に到着。
この列車、10両でお客が多いと少しずつ遅れていく印象があったが、運転士さんが頑張ってくれたのだろうか。

みんなで記念撮影!分割作業を終えたキハ85は、6両の身軽な編成に戻って飛騨高山へと走り去っていった。
特急ひだとしてのキハ85系に乗るのは、多分これが最後だろう。長年お疲れ様という思いを込めて、お見送りした。

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