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木片

 とある美術館の展示室。壁全体に木片が敷き詰められている。瓦屋根が何枚も積み重なっているような感じ。
 唯一、そこに繋がっていた通路は、いつのまにかその木片に覆われて、塞がれてしまった。
 どうにかして出口を見つけ出し、脱出しなければ。けれど、どうすればここから出られるのか分からない。
 部屋の中は沈黙に包まれている。木片がまるで絶縁体みたいに、部屋の外と中を分断しているみたいだ。
 近くにある木片に触れてみる。
 鈍い光沢。黒雲母のような深い色合い。乾燥した手の平が、木片の上を滑る感触。手と木片との間に起こっている摩擦の音すら鮮明に聞こえるくらい、部屋の中は静かだ。

 何気なく、木片の一枚を剥ぎ取ることはできないだろうかと思い、適当な一枚に手を掛ける。すると。
 ザワザワザワ、ガタガタ、タタ、タ。
 めくれた一枚に連鎖するように、周囲の木片がざわめき始めた。その動きはまるで、生き物のようだ。触れられたくない場所に触れられた時に、鳥肌が立ったみたいな反応。
 この部屋全体が生き物のようになっているのだろうか? 仮にそうだとしたら、この敷き詰められた木片は鱗のようなものかもしれない。爬虫類みたいな。
 部屋全体を埋め尽くす爬虫類の鱗。無数の生き物が群がって出来ているのか、一匹の生物なのか。
 もし後者なら、これは爬虫類というよりもっと別の。ドラゴン、と言ったほうがいいだろうか。
 馬鹿馬鹿しい考えだとは思うけれど、この景色を見て他に思いつくことがない。
 もし、もし仮にドラゴンだとしたら、きっとどこかに逆鱗があるはず。逆鱗はドラゴンの弱点だ。この部屋の中にそういうものがあるのだとすれば、それを壊してしまえば、もしかしたら脱出できるかもしれない。とりあえずやってみることにした。

 適当に近くの鱗を触る。再び先ほどのザワザワが起こる。
 周囲をぐるりと見渡す。どこかに逆鱗は無いだろうか? 
 しばらくの間、鱗が波打つ。けれど、簡単には見つからない。確か、ドラゴンの逆鱗は、他の鱗と付いている向きが逆だったはず。不自然な動きをしているものがないか探す。
 逆鱗はドラゴンの急所にある。この部屋にとっての急所って何だ?
 ドラゴンで言ったら、喉のあたり。そこが急所だ。
 部屋における喉ってどこだろう?
 考えるために上に向けていた視線を下に動かす。それは緩やかに、目の前の壁で止まる。

 喉のあたりと言ったら食べ物の入口だろう。じゃあ、この部屋にとっての喉は……。
 先ほど入ってきたはずの場所。通路があったはずの場所を見る。確かこのあたり。部屋の入口がきっと、ドラゴンにとっての喉と同じ役割なのではないだろうか。
 じやあ、ここでもう一度。
 再び、鱗の一枚に触れてみる。すると。
 ガタ!ガタガタガタガタ!
 先ほどとは打って変わって、強烈な反応を示した。これなら逆鱗の位置が分かるかも。
 そう思った瞬間、後ろから何かが迫ってくる影が見えた。
 まずい。
 何がまずいかは分からなかったけれど、直感が今すぐ逃げろと叫んだ。
 間一髪、なんとか避けることができた。その場所から、先ほどまで立っていた所を見る。
 床は盛大にひしゃげて、ミシミシと音を立てている。さらにその上には、何かの生き物、おそらく生き物の一部がうねっている。
 鱗のついた蛇のようにも見えるが、どちらかといえば今の状況を鑑みると、ドラゴンの尻尾と言ったほうがしっくりくるかもしれない。
 心臓が早鐘のように打っている。なんとか呼吸を整え、再び先ほどの逆鱗がありそうだった場所へ向かう。
 ズタズタに裂けた床板。ここまで豪快に割れているのを見ると、むしろ恐怖より驚きのほうが勝ってしまう。
 けれど、感心している場合ではない。早く逆鱗を見つけて壊さないと、次は自分がこの床板のようになってしまう。それだけはごめんだ。
 まだ壁の鱗は揺れている。今のうちに見つけないと。
 壁の表面に手を添え、隠れた鱗がないかそっと探る。カチカチと小さく揺れる鱗は、少しずつその動きを弱めていく。まずい、早くしないと。
 ふと、気づく。鱗の揺れがある一点に向かって収束している。この動き、もしかして。
 より慎重に、その辺りを探ってみる。

 見つけた。確かにそれは、見つかった。揺れが収束していくちょうど中心に、あった。
 付け根が他のものと逆の鱗。その色は、まるで黒曜石のように深い黒。静かに光を反射するその姿は、一枚そこにあるだけで、威厳のようなものを感じてしまうくらいだ。
 けれど、いつまでもそれに見惚れているわけにはいかない。
 ゆっくりと手を添える。呼吸を整え、一気に引っ張る。一瞬だけ強く抵抗を受けたけれど、次の瞬間にはあっけないくらいあっさりと、その鱗は外れていた。
 あれ? 何か思っていたより……。
 頭の中のつぶやきを全て言い終える直前、視界が乱暴に揺すられた。どちらが天井で、どちらが床か、分からなくなった。体をそこらじゅう、ぶつける。部屋全体が大きく歪んで、揺れている。あまりの勢いに、思わず目を閉じてしまう。
 揺れは一向に収まらず、むしろ強くなる。
 鼓動が再び早くなり、体が宙に浮いたような感覚になる。それも、何も見えない暗闇の中で、だ。足場も何もない状態でずっと振り回され続けると、流石に頭がおかしくなってくる。
 頭に血が上って、すぐに下がってを何度、繰り返したことか、いよいよ吐き気が我慢できなくなってきた頃、揺れはピタリと止まった。

 ひどく疼く頭で、その耳で、どこか遠くの方から響いてくる遠吠えを聞いた。この世の生き物とは思えないような、腹の底から絞り出すような、吐き出すような、声だった。
 しばらく吐き気でうずくまっていたのが楽になってから、周囲を見渡す。

 不思議なことに、そこはもう美術館の中ではなかった。一体いつの間にここへ出たのか。
 そこは美術館の裏にある林の中だった。植物の匂いを肺いっぱいに吸い込む。美術館特有の、どこか閉塞感のある空気はどこへやらといった具合だ。未だに頭の中には、先ほどの遠吠えが何度もこだましている。
 林の中の木々に触れる。その樹皮がどこか、先ほどの部屋の中の鱗と重なって見えた。


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