たけなが
紫陽花や水に関わる話をまとめてあります。 水機関(みずからくり)を自由に操る少年が、語り部のように不思議な話をします。
カラビナの形をしたウミウシか、ウミウシの形をしたカラビナについて、まとめてあります。
まだ空想段階みたいなお話を入れたりします。 他にもいろいろ入れます。
空想で作った星座のショートショートなどを集めます。
果物と海のショートショートなどです。
空に浮かび上がる虹。雨上がりの街は洗濯したみたいにさっぱりとした匂いがする。 濡れたアスファルトのところどころで水たまりができている。 少し離れたところで親子の笑い声が聞こえる。小さな子どもとその母親。 水たまりをパシャパシャ踏む音と、笑いながら叱る声。 太陽がその光景を優しく見守っている。 僕も近くにあった小さな水たまりを、少しだけパシャパシャとやる。子供の頃の記憶から、懐かしい感情が滲み出てくる。 ふと空を見上げると、虹は相変わらず綺麗で、くっきりとその姿を
僕の口はがま口である。 一般的な人からしたら何を言っているのだ、ということになってしまうわけだけれど、やっぱり、何度でも同じことを言おう。 僕の口はがま口である。 まだ何を言っているんだ、という怪訝そうな顔をしている人が多数いる気がするので、より、分かりやすく説明することにする。 早い話が、僕の口はお口チャックの劣化版なのである。劣化版なんて言うと、語弊があるかもしれないが。 お口チャック、と言えば、静かにする、もしくは秘密の話を守るために使うもので、人によって多
新しく見つけたカラビナウミウシ。 鰓葉の形状や触覚の色のつき方から、シロウサギウミウシに近いものと考えられる。 他にも似た見た目のものでクロスウサギウミウシなどもいるが、上記の理由からシロウサギウミウシが一番近しいと思われる。 シロウサギカラビナウミウシと書くと名前が長くなるので、シロウサギウミウシのカラビナ亜種という言い方にすべきだろうか。
過去に巨人と呼ばれるものたちが使っていたとされる、とても巨大な”箸と思しきもの”があった。 様々な学者が集まって、本来の用途、これが生み出された経緯やどうやって生み出されたかなどについて、何度も議論が重ねられたが、なかなか意見がまとまらず、話し合いは難航していた。 一方人々は、そんなこととは露知らず、その大きな箸(と思しきもの)を、自分たちの生活に利用しようと考えた。 箸の橋。誰かがぼそりと呟いたダジャレ未満のつぶやきを、また別の誰かが実現した。 巨人の箸でできた橋
夜に薄暗い部屋の中で、空になった缶をぼんやりと眺めている。 缶の飲み口の内側が暗い。いや、どちらかと言うと、塗りつぶされたように黒い、という方が適切だろう。 その黒さは異質で、不気味であると同時に、どこか心惹かれるものがあった。 もっとよく覗き込んでみる。どこまでも続くような、果てのない宇宙がその中に広がっている気がしてくる。 覗くのをやめずにじっとしていると、缶の中、遠くの方で何かが光った。 目を凝らすと、それは星に見えた。 そう感じた瞬間、今まで見えなかった
雲の上に座っている。 漂うように時間が過ぎるのを見ている。 上着の中に、器用に入り込んでくる風の感触があたたかく、柔らかい。 呼吸をすると、世界を巡ってきた雲の粒子の発散する、様々な街の匂いがする。 そのどれもが澄んでいて、そのことが少し不思議だと思う。 どの街にも少なからず埃とか汚れみたいなものがあるはずなのに、それを一切感じさせない輝きがある。 街燈のオレンジも、水色も、白も、 夜の紺色も、その中に溶けた緑青も。 全てが宝石を砕いた顔料のように、顔料より
『枝人生、カットします』 そんな看板が掲げられた店があった。見た目は明らかに散髪屋で、バーバーポールが回転している。 僕はその看板に対して、一体何を言っているんだろう、と思った。枝人生を、カット? けれど同時にちょっと面白そうだな、とも思った。訳の分からないものに挑戦するのは、昔から好きだ。 看板には予約不要とも書いてあり、好奇心に背中を押される形で入店してみた。 「いらっしゃいませ」 店員は二人。小ぢんまりとした店内だけれど、綺麗に掃除されている。所々に置かれてい
海岸を歩いている時に見つけた、ウミウシ? のような生き物。 見た目はアオウミウシの姿にそっくりだが、体の構造を見るとカラビナのような形をしている。 本来のアオウミウシは、成長とともに貝殻は失うらしいが、この生き物は体の一部に何やら貝殻に似た硬さの器官あるいは骨格のようなものを有している。 まだその生態や種類については分からない事が多いため、新しいものを見つけ次第、記録していくことにする。 この生物については、カラビナウミウシと呼称することにする。
詩人はノートに文字を綴っていた。 そのうち万年筆のインクが切れてしまった。 どうするべきか考え、天井を見上げた。するとそこには、部屋の中に差し込む空の青さが滲んでいた。 詩人は青空をインクにしようと思い立ち、天井から滴る青色を、万年筆の中に入れて、再び文字を書き始めた。 彼が想像していた以上に青空のインクはするすると、白いページの上に広がっていった。 それはまるで、空の上を心地よさそうに泳ぐ雲にでもなったような感覚だった。 そうしながら、詩人は思った。 このま
読書重力という言葉がある。 ページに書かれた文字を読む場合に、左から右、最終的に右下に向かって読み進めていくように視線が動くことを言うらしい。 僕は時々、本を読んでいる時に不思議な感覚に陥るときがある。 いつも通り物語を読んでいると、時々、持っている本の下あたりに、活字がぷかぷかと浮いているのだ。椅子に座っている場合、ちょうど自分の膝の上にそれらが転がっていることになる。 冷静に考えてみるとそれは、僕が“読み飛ばしてしまった文字“であることに気がついた。 なので
夏の朝日を集めたものに、ゼラチンと砂糖を加えて熱する。 その後で乾燥させてできるものが朝日の砂糖漬けだ。 季節ごとに味が変化するのだけれど、夏の朝日は、その日一日の太陽からのエネルギーの一部が溶けだしていて、そのためか少しピリッとした爽やかな辛さがある。いわば、しょうがのような辛さ。 僕は夏の良く晴れた朝、いつも窓を開けて朝日を集める。朝の四時頃には起きるようにしている。なぜかと言えば、その時間帯から徐々に朝日が顔を出し始めるからだ。特に、空の色が変化する瞬間。
人のいない夜の道沿いに、赤色の明かりが灯っているという話が男のもとに届いた。 男が調べたところによると、その場所にはもともと、そういうものを設置していないらしかったので、ずいぶんおかしな話だなと思った。けれど、あまりにその旨の話がよく舞い込んでくるため、彼は状況を確認することになった。 *** その日はとても静かだった。 地球から人間の全てが居なくなってしまったような静けさだった。息をするのも億劫になる、と思いながら、男はため息をついた。 夏の温度がまだ残ってい
とある怪物たちが暮らしている街では、人肉を食す文化がある。 その調理法は多岐にわたり、生食から焼く、煮る、炒めるなどさまざまである。 その中で、正論包(せいろんぽう)というのがある。 どうやら、どこからか手に入れた人間の料理に関する文献を参考にして作ったらしい。 その名前の通り、小籠包というものを真似たものである。ただしこれは、記載されていたような蒸し器という道具を使用しない。 どうやって熱を入れるのかと言えば、”正論を浴びせる”のだという。 どうやら人間という
琥珀色をした尾びれが揺れる。 海中から空を見上げる。呼吸が泡になって昇っていく。海の中では声や音よりも、感情による振動の方が、大きく響くような感じがする。 朝日が溶けた尾びれが、波間を静かに漂う。 私は両腕をゆらゆらと揺らして体のバランスを取る。沈むこともなく、浮かび上がることもせず、同じ場所に漂い続けている。そうした、水と自身の体の挙動によって、ここが現実の世界とは異なることを理解する。 大きな魚影が頭上を泳いでいく。 空を覆いつくすほどに大きな木陰が、自ら動い
普段から気が向いたら、海へ出かけていた。 そういう時は大抵ビーチコーミングをしていた。 貝殻、ビーチグラスに流木のかけら。多孔質の石ころや綺麗な花崗岩。 時々何かの動物の頭蓋骨を見つけることもあった。 そして、集めたものを標本箱にコレクションしていくうちに、海を標本にすることができるようになった。 そのコツは、浜辺で拾ったものを使って、標本にしたい海を固定することだ。 例えば貝殻をひっくり返して、その中に海を注ぐ。もしくは、流れ着いていた木の枝で、採取した海の端