【レポート】『地域医療を病院からデザインする』第2回 医療デザイン大学 LIVE
第2回 医療デザイン大学LIVE
医療 x デザイン x [病院経営者]
病院から地域をデザイン
医療デザイン大学LIVEによるリアル&オンラインのハイブリッドイベント第2弾。「固定観念をぶち壊そう」とする変革者たちが集った前回に続き、今回は、「病院長」の固定観念を覆す病院経営者たちが集結した。彼らの、病院を軸に、地域と連携し、地域を「デザイン」しようとする『現在進行形』のチャレンジをレポートする。
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■授業その1. 「竹山未来先取り倶楽部」が描く未来
講師:大矢美佐(竹山病院 院長)、横山太郎(横山医院 院長)
最初に登壇したのは、竹山病院(神奈川県横浜市緑区竹山)院長の大矢美佐氏。彼女が語る「世界に一つとして同じ地域はない。どこかで成功した地域の取り組みをそのまま真似しても成功できない」は、地域包括ケア構想に基づき、改革を進めようとするすべての地域が心に留めておくべき至言だろう。
▲ 大矢美佐先生(竹山病院 院長)
大矢氏が院長を務める竹山病院は、竹山団地すぐそばに位置する。高齢化率は41.7%と、緑区全体の23.4%と比べても高い。昭和46年に開設した竹山病院に続き、老健、訪問看護、特養、地域包括ケアセンター等を開設、平成26年には、地域包括ケア病棟への転換を神奈川県でいち早く導入した。高齢者に多い肺炎や単純骨折など急性期における受け皿になれると考えたからだ。病院長として、地域医療への貢献を考えた上での決断だったが、べテラン看護師の大量辞職を招くこととなる。介護療養病床を主軸にゆったりとした医療を行っていた病院が、急性期患者の受け入れを視野に入れた地域包括ケア病棟に転換するとなれば、職員に主旨を説明していく必要があった。「最も大きなしくじりは自身の先導能力のなさを認識できていなかった点」と大矢氏は振り返る。「経営面だけでなく精神面でもダメージではあったが、必要なステップ」と前を向く。
そんな竹山病院の地域活性化への取り組みが『竹山未来先取り倶楽部』だ。自治体と連携したオリジナル健康診断の普及、認知症やフレイルの検査の充実、健康診断後の多職種によるフォロー、抽選層にも充実した予防医療、オンライン診断など様々な活動を展開していく予定だが、「本当に地域のことを思っていなければ手を出すべき活動ではない」と大矢氏は強調する。「地域活動は望まない住民にとっても土足で踏み込む活動。竹山は団地を中心に元々自治会活動が盛んだが、活動が盛んな地域ほど、既に縦横斜めの関係があり、尊敬と、忍耐が求められる。」
続いて、大矢氏と共に『竹山未来先取り倶楽部』の取り組みを進める横山医院院長の横山太郎氏が登壇。昭和28年の開設以来、3代目となる横山医院を継ぎ、在宅・緩和クリニックを開院する等の取り組みを行いつつ、竹山病院にも勤務する。院長が別の病院でも働く。白い巨塔の世界にもじわじわと変革の波が押し寄せていることを実感する。
▲ 写真右:横山太郎先生(横山医院 院長)
院長就任以前、大学病院の腫瘍内科や地域の中核病院の緩和ケア内科で医師として働く中で、意思決定支援の大切さを痛感した横山氏は、医療者だけでなく、市民を巻き込んで、一緒に取り組んでいくことの重要性に気付き、社会活動もスタートする。しかしながら、「自治会館で公民館をつくろう」活動始め、しくじり談には事欠かない。トライ&エラーが続いた。
「やりたいが前面に出てしまうと、今のまちがよいと思っている人たちを無視することになる。自分と考えの違う人たちとの擦り合わせが大事。地域活動でのしくじりは、クリニックの経営にマイナスに響くこともあるので、小さなクリニックの医師が地域活動に手を出す時には注意が必要」との横山氏の実体験に基づく言葉は重い。横山医院では、「病気ではない人のニーズに対応できるのは医師ではないのでは?」と、コミュニティナースも雇用した。
「自分のまちでうまくできなかったのは自分の欲望でしかなかったから。大矢院長がいて、私がいて、コミュニティナースがいて、行政の人がいてと仲間が増えてきて、竹山では欲望が大医へ変わってきた。小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒すという中国の言葉。医師が病だけでなく、人や国を癒していこうとするならば、医師だけでなくまちの人を巻き込む必要がある。竹山病院は令和型の医学部ではないけれど、中医や大医を育てるまちの医学部になっていったらと考えている。医者でなくても、中医、大医、医師になれる。」
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■授業その2. 「究極の地域医療」をデザイン
講師:梶原崇弘先生(弘仁会 理事長)
授業その2に登壇したのは、バリバリの癌の専門医だったという梶原崇弘氏。大矢氏、横山氏同様2世として法人を継いだが、赤字の病院を立て直すために大学病院を辞めることに未練はなかった。「‛2世だからうまくやれたのでしょう?’と言われるが、2世3世だからうまくいくわけではない。5合目から登山させられたと想像してほしい。山の途中から始まって、周囲は前を知っている。いいところもあるけれど悪いところもある。決して2世だからよいとは言えない」との言葉を聞くまでもなく、これまでの登壇者たちの「しくじり」談からも、2世3世が決してラクでないことは容易に想像できる。
▲ 梶原崇弘(弘仁会 理事長)
そもそも「医療は儲かる」という誤解があるが、病院の利益率は1.8%。ちなみにラーメン屋の利益率は14%。つまり儲からない。地域に根差してきた歴史、信頼・尊敬、やりがい。経済的なリッチさではなく、心のリッチさを目指すのでなければ、病院経営者というのは、とても担える役割ではないという点は予め押さえておきたい。
さて、板倉病院は、船橋南部地域14万人の医療圏にたった1つの総合病院であり、救急、地域医療、予防を3本柱に地域に密着した高機動都市型病院として、地域に特化した医療を目指す。
地域包括支援センターも含め、老健や特養なども手がけ、法人が自前で揃えていたが、「自分のところで箱をつくってやっていく時代は終わった。うまく周囲の先生たちと連携して、仲間になって一緒にやっていったほうがよい」と、画像連携システムを導入した。クリニックからオンラインで板倉病院の検査予約ができ、クリニックは、結果をオンラインで即時確認できる。クリニックはMRIやCTなどの設備投資が不要になる上、一人で読影すると見逃してしまうかもしれないが、板倉病院側から読影を付けるため、訴訟リスクの回避ができる。患者さんも板倉病院まで行かなくてもかかりつけのクリニックで検査結果を聞くことができ、顧客満足度が上がる。
板倉病院のメリットとしては、MRIの休眠期間がないのでどんどん減価償却ができ、また患者の中にはいずれ入院が必要になる患者もおり、入院供給路の確保にもつながる。しかしながら、クリニック負担ゼロ、読影レポートの読影依頼料も当院負担、困った時は当院SEが出張対応、訴訟リスクの軽減など個人開業医の不安に寄り添う…と、ここまで徹底する理由は、将来の連携パートナーの選択という意味合いが大きい。連携できる仲間を増やすことは、同時に悪口を言わなくなる、つまり病院のファンをつくる仕組みでもある。
地域住民に病院のファンをつくる取り組みとしては、住民参加の災害訓練、夏の子ども病院体験、腎臓病・糖尿病教室など一般的なイベントと同時に、病院利き酒体験やスマホの写真講座といった、インパクトがあってつい話題にしたくなるイベントも企画する。病院での子ども食堂も開催するが、「貧困の子どものため」というイメージを払拭し、認知症カフェや障害者、寺子屋と、みんなをつなげる場所にしたいとの思いを込めて、「ごはんLABO」と名付けた。
健康な時から病院を知ってもらい、地域にファンをつくる。「楽しい病院・また来てねと言える病院」がコンセプトだ。「病院が地域を作り、地域が病院を作る」。新しい地域のコミュニティの場としての病院の使命を担えるか否か。今後の病院経営において、欠かせない視点だろう。
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■授業その3. 「入院しない地域」をデザイン
講師:廣瀬憲一先生(守成会 理事長)
「躁鬱なので」を免罪符にする医師も珍しい。「広瀬病院の廣瀬憲一から緑区の廣瀬憲一になります」と4月に院長を辞め、法人の理事長として「理念を伝える」ことのみに特化することを決めた廣瀬憲一氏。2世として赤字の病院を立て直すために病院に戻り、院長を演じてきた。
▲ 廣瀬憲一先生(守成会 理事長)
実は、「院長辞めます」は今回で2度目。前回も躁鬱になり、一度は大学病院に戻ったが、「両親が創った病院は素晴らしい病院であることを自分自身で証明して見せる」と、2度目の院長を引き受けた。
基幹病院へ行く前のゲートキーパーとして、しっかり話を聞いて、適切な医療やアドバイスを提供するゲートキーパー構想をもとに、24時間のかかりつけ医として、スマートフォンの院内導入、心不全の再入院抑制、終末期在宅カテコラミン投与と、矢継ぎ早に進めた。
「もっともっと」とやればやるほど、現場は委縮し、自身のイライラは募る。職場のストレスは家族にも波及した。
様々な取り組みにも関わらず、収益は下がっていく。2018年冬季賞与、2019年夏季賞与、予算を10%カットという、経営者が最もやってはならない職員の給与カットを実施したことで、職員の離職が相次いだ。しかも、理念に共鳴し、中核を担ってくれていた大切な職員たちが辞めていく。設立以来の危機を抱いた瞬間だった。
どうせ潰れるならばといったん立ち止まり、一般病床を一部閉じ、新規患者の受け入れも中止し、月間1000万円の赤字を出しながらも、考える時間に充てた。そして、2度目の院長辞めます宣言。
「人に任せることができず、自分が一番よくできると思っているタイプ。自分でやってみなくては気が済まない。せっかくいい意見を持った職員がいても自分の言葉をかぶせてしまって、その意見をつぶしてしまうことがある。自分自身が最大の抵抗勢力になっているということで、院長を辞めました」と語るが、自分主導型のリーダーであるにも関わらず、両親から受け継いだ思い入れの深い病院の院長を他人に受け渡せた廣瀬氏だからこそ、「入院しない地域」デザイン構想が現実味を帯びる。
今後、独居高齢者は増える一方、労働人口は減り、ケアスタッフは激減する。入院させない地域作りは不可欠と言っていい。その仕組みづくりとして、まず、ACP、Advanced Care PlanningではなくてAdvanced Life Planningを考えることを提唱する。
「病気ごとにこれからの見通しをまずお話し、先を知ってもらった上で、起きてくることを予測し、起こりうることに対する対策もお話する。どんな人生を送りたいのか、最終ラインに立った時どうしたいかを尋ね、電子カルテ、スマートフォンで共有し、いざその人が最終ラインに立った時にみんなで支えていく準備をしている。自分たちで全部を抱えるのではなく、持っているノウハウ、コンテンツを一部クリニックに提供して、一緒にやっていく。大きな大学病院がなくても地域でやっていける仕組みづくり。そのために、地域に理念を広めていくのが私の使命。どんな化学変化が起きるのか、これからが楽しみ。」
院長を辞めた元院長の真の快進撃はこれからだ。
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■授業その4. 対談「病院から地域をデザイン」
2世3世という共通点を持つ院長・元院長たちによる講演に続き、最後は、登壇者によるクロストークが行われた。
少子高齢化が進み、財源も人材もより深刻さが増す中、これまでの病院経営では成り立たないことは自明の理。「政策以上のことをやれない病院は潰れていく」時代の到来にあたり、「ほぼ在宅時々病院」を既定路線に、地域のゲートキーパーとして、在宅と地域の医療資源を役割分担しながら、いかにつないでいくのか。いかに地域に愛され、必要とされる病院になるのか。
前横須賀市長の吉田雄人氏の「医師がここまで赤裸々に語ってくださったということが素晴らしい」の言葉に激しく同意するが、自分の法人の利益や生き残りといった狭い視野ではなく、自らの失敗もシェアし、広い視野で語る病院経営者の存在に、「私たちは日本全国に素晴らしい病院をつくることができる」という本イベントのテーマを絵空事ではなく、実感できた参加者は少なくないだろう。
レポート:今村美都(医療福祉ライター)
当日のグラレコ(グラフィックレコーディング)
協力・関連リンク
Writer : Mito Imamura
Graphic Recording : Mie Namimura
・医療法人社団恵生会 竹山病院
・横山医院 在宅・緩和クリニック
・医療法人弘仁会 板倉病院
・医療法人社団守成会 広瀬病院
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