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弟子入りした憧れの『宮大工』を辞めた話


私は、建築の4年制大学卒業後、
夢だった『宮大工』に弟子入りをし、棟梁を目指して修行していました。

大学では、設計を中心に学び、二級建築士の資格を取得。
設計と施工の二刀流で活躍するんだと勢いよく「弟子にして下さい!!」と宮大工の世界に飛び込んでいきました。

地獄の世界だと知らずに。。。




宮大工での生活


宮大工になってからは共同生活が始まります。
工場作業の時は工場敷地内のプレハブで共同生活。
現場が始まると現場近くの会社事務所(プレハブ)で共同生活です。

当時、5人一組で1つの現場を任されるチーム編成で、
兵庫県の新築の現場を経験させてもらうことになりました!
※この業界は20~30代の職人がほぼ辞めてしまう為、
20代1人(自分)+40代1人+50代2人+60代1人というメンバー構成です。

新築の現場は数が少ない(ほぼ改修)のでめちゃめちゃ嬉しかったのを覚えています!


一日のスケジュール


弟子入りした宮大工の一日は以下のスケジュールです。
かなり規則正しい生活をしていました。道具の手入れは休憩時間や早起きして行います。

また、職人同士で飲みに行ったりラーメン屋巡りすることも多かったみたいですが、当時コロナ禍だったため、職人以外と関わるのはスーパーの買い出しのみという閉ざされた環境でした。

5:00 起床
     掃除
     朝食作り
6:00 朝食
     食器洗い
7:00 作業所まで送迎(移動がある場合)
     仕事の準備
8:00~18:00 仕事
※休憩は2時間(10:00~10:30, 12:00~13:00, 15:00~15:30)
18:00 仕事の片付け
       送迎
19:00 スーパーへ食材の買い出し
      夜食作り
20:00 夜食
      食器洗い
21:00 お風呂
      掃除
22:00 就寝


ここまでは、どの宮大工も同じ流れだと思います。
他人との共同生活も慣れていたため、ある程度の環境は対応できると自負しておりましたが、想像を絶する世界でした。

それでは次から私が宮大工を辞めた理由になります。


宮大工を辞めた理由


振り返ると理由はたくさんあります。
大きく分けると6つあるので順番に説明していきます。
勤める会社や関わる人による点がほとんどかと思いますが、宮大工を目指すすべての方は注意した方が良いです。

①自由な時間がほとんどない
元々出張が多い職業なので自由な時間が少ないことは想像していました。
ただ、想像を絶するほど自由がありませんでした。。(笑)

・もちろん共同生活なので、朝起きてから寝るまで常に誰かと一緒
・寝る場所は、親方の隣(21時に寝てしまうため音を立てられない)
・休みは2ヶ月に1日(年末年始、お盆などの長期休暇は有)
・仕事の時間以外は、道具のお手入れ、全員分の食事の準備、掃除
・勝手なことができないため、携帯を見たり、本を読むことはほぼNG

職人はそういうものだと言えばそうですが、宮大工の技術以外の面(設計や資格勉強)をしたかった自分には他に何もできないという環境に厳しさを感じました。もちろん彼女とデート・友達と遊んだりも簡単にはできません。

②大卒や資格持ちを受け入れない環境
ベテランのお堅い職人が多い世界。中卒や高卒で「宮大工」一本で生活をしてきた先輩たち。そんな中で大卒で二級建築士の資格を持ってから弟子入りという選択は特例中の特例でした。
「若いのに凄い!」「期待しているよ」と応援してくれる職人もいる中で、「修行を始めるのが遅すぎる」「普通は中学卒業したら修行するもんだ」「資格を持っているなんて職人一筋じゃない。半端者」という見られ方をされてしまいます。
これは仕事の量や、仕事時間外の過ごし方でカバーして認めてもらうしかありません。
ただ当時尊敬していた40代の二級建築士持ち宮大工さんは今もそのことで仕事をもらえるかもらえないかが決まることがあると言っており、資格や学歴がマイナスに働いてしまうことに驚きを感じました。
もちろん、共同生活中は資格勉強などできません。バレたら恐ろしいので(笑)色んな世界を知りたい私には窮屈な環境でした。

③パワハラ環境
閉鎖的な環境でのパワハラには逃げ場がありません。
労働基準法なんてものはありません!あるのは職人のルールのみ!
新卒で無知な私は『殴る。蹴る。悪口。人格否定』は社会人なら仕方ないと思っていましたが、このことを知人に話せば話すほど徐々にやばいことがわかってきました。。パワハラがなくならず自由な時間もない点が若い宮大工が育たず辞めていく一番の理由だと思っています。

④給料が低い
最初は「給料高い!」と思っていました。
毎日「出張手当」が付くし、休みはないけれど「休日手当」も出ます。宮大工1年目の中ではかなり貰えていた方だと思います。(年収350万円くらい)
しかも共同生活なので食費は会社持ち、自由時間がないので無駄遣いができず貯金が溜まり続けます。嬉しいことだらけです。

ただ、50代の職人の年収を聞いてしまったとき衝撃が走りました。
「400万円だよ」と。。本当なのか嘘かはわかりませんが、
憧れの。伝説の。伝統ある職業の「宮大工」の年収は1000万円は軽く越えてくるだろうという希望が打ち砕かれました。※1000万円超えるケースもあります。
そこそこ有名な会社だったし、年収を教えてくれた職人もめちゃめちゃ良い人・仕事できる人だったので衝撃でした。何十年一筋で頑張っても50万しか上がらないのかと絶望した瞬間でもあります。

⑤家族との時間を取れない
何度も書いていますが、宮大工はほとんど職人同士で共同生活です。休みもほとんどありません。家族がいる職人さんも年に数回しか家族と会えないという方も多くいます。子供の成長を直接見守ることはできません。。
入社当時は私自身、独身で彼女もいなかったためむしろ楽しいくらいだったのですが、彼女ができ、結婚が視野に入ると考えが180度変わります。
「今後人生のほとんどをおじさん達との共同生活に費やす」という選択は私にはできませんでした(笑)

⑥肉体労働がしんどい
これは完全に私の問題です。
小さい頃に運動のしすぎで股関節を怪我し、今も激しい運動をすると痛みが走ります。
大工は普段重い木材を持ちますし、狭い場所での作業があるため辛い体勢で長時間作業することも多いです。どちらも股関節に深刻なダメージを与え、仕事中動けなくなってしまうこともありました。
運動や肉体労働が好きで、手先の器用さでも自信がありましたが、仕事をすればするほど痛みが蓄積する状態が続き、肉体労働を続けるのは身体的に難しいと判断しました。



正直嫌な理由は、細かい点をあげると他にもたくさん出てきます。
「ケガする人が多く、みんな指一本ない(電ノコで切り落としてしまう)」
「職人の理不尽に付き合わなければならない」
「夏は暑い。冬は寒すぎる」
「とにかく汚い」

逆に、非常に学びの多い期間でもありました。
伝統建築物に触れることができる、社寺を建てる流れを知ることができる、年配の方の考えを聞くことができる、家事のスキルが身に付く、手先がより器用になる、ストレス耐性が付く、早寝早起きができる、貯金が溜まる。

私は20代前半で宮大工を辞めた身になりますが、宮大工の20,30代の少なさは異常です。20年後に宮大工はいなくなってしまうんじゃないかと私でも心配になります。

宮大工の世界に飛び込むも、環境に馴染めず辞めていく人は多いです。
めちゃめちゃもったいないなと思います。

少しでも早く宮大工の働く環境が良くなり、
日本の誇れる「宮大工」が後世に受け継がれていけばいいなと思っています。

見てくれてありがとうございました!

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