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伝道者かソフィストか──『反日種族主義──日韓危機の根源』

韓国人の癪に障るのに、韓国で飛ぶように売れているというこの不思議な本が以前から気になっていた。この度、予約していた邦訳版を入手したので、早速読んでみた。

李栄薫編著『反日種族主義──日韓危機の根源』、文藝春秋、2019年

『反日種族主義』の編者で経済史が専門の李栄薫は、ソウル大学校教授を退職した後、李承晩学堂を設立し、現在その代表として活動している。本書は、李承晩学堂の「YouTube」チャンネル『李承晩TV』において、李栄薫を含む6名の講師が担当した講義動画の内容を再構成してまとめたものである。

日本統治下の朝鮮の歴史を検証した本書の内容は決して派手ではなく、データに基づく実証的な記述がその大部分を占める。例えば、韓国の歴史教科書にもある「食糧収奪説」に対しては、統計資料や当時の新聞記事を基に、実際には日本の米価を圧迫するほど朝鮮の米が本土に輸出、すなわち買い取られていた事実を指摘する。また、所謂「慰安婦問題」と呼ばれる軍娼制度に関しては、実際の郵便貯金の帳簿写真も呈示しながら、朝鮮の婦女が報酬もなしに性暴力を受けたとの見方を否定している。目下最大の懸案事項である「徴用工」をめぐる事例でも、ある炭鉱の賃金台帳を例にとり、日本人と朝鮮人との間に賃金待遇の差はなかったことが示されている。

翻って、醜聞の渦中にある曹国を筆頭に、否定派は有効な反論を打ち出せず、「どうしようもない頑固な先入観」(269頁)に基づく態度に終始している。彼らの固陋さを形づくるものは一体何か。それこそが、書名にもある「反日種族主義」なのだという。その内容を要約すると、土着の土地信仰と儒教とによって鞏固(きょうこ)となった祖先崇拝が、広汎な共同幻想の基底となった、というものである。フィクションによる共同体が形成されたのは西洋も同様だが、朝鮮では未開の種族観念がそのまま拡張されたという点で、西洋の民族主義とは決定的に異なる。ゆえに、自立した個人は存在せず、唯物的であり、他集団を排斥する閉鎖性を必然的に帯びるという。この考えに従えば、自国軍の慰安婦らには一顧だにせず、日本軍慰安婦の問題にだけ憤怒の声を上げるさまは、まさしく種族主義の集団心性と排他性がなせる業、ということになる。

では、本書はどのようなアンチテーゼを提示しているのだろうか。ここで、彼らの運営する学堂に冠せられた李承晩の名が登場する。本書の冒頭で、李承晩は「近世の西ヨーロッパで発生した自由という理念を体系的に理解した最初の韓国人」であると紹介されている。通商によって学問と技術が発達し、健全な競争が育まれることで、世界中の多様な人種が統合される、というのがその自由論の内容である。

ここで、我々は彼らの信奉する自由の真贋を見極めなければならない。例えば、執筆陣の一人、朱益鍾が担当した第15章「親日清算という詐欺劇」の中に、次のような記述がある。

まず、はっきりさせておくべきことがあります。我々は建国直後、親日清算ができなかったのではなく、反民族行為者の処罰ができなかったのです。そしてそこには、そうせざるを得ない事情があったのです。(178頁)

「反民族行為者の処罰」とは、1948年9月の李承晩政権下で制定された反民族行為処罰法を指す。この法律は、日韓併合に荷担した者や日本統治下で爵位や高官の身分にあった者など、「反民族的」と目された人物に死刑や財産没収などの刑罰を科するというものであった。朱は、単に日帝に協力しただけの「親日派」ではなく、悪辣に害をもたらした「反民族行為者」こそ問題にすべきだ、と述べているのである。

この点に関して、朱が今なお何の疑問も差し挟んでいないとしたら致命的である。というのも、ここでの問題は「親日派」と「反民族行為者」との混同にあるのではなく、反民族行為処罰法そのものが遡及処罰の禁止という近代法の一般原則に真っ向から反する点にあることを理解していないからである。遡及処罰の禁止は、犯罪行為の定義を予め明確に定め、その定義に該当しない行為の自由を保障するというもので、まさに自由主義の原理による要請に外ならない。ところが、朱はこのことには一切触れず、処罰の対象を広げた左派政権を非難しているだけだ。これでは、左派を痛罵する一方、李承晩政権を自由という言葉で化粧していると見られても仕方あるまい。

いくら李承晩の立派な自由論を褒め称えても、戒厳令を敷き、「共匪」と看做した民衆を虐殺した白色テロの記録が消えるものではない。政治抗争に明け暮れていた李承晩政権の不寛容な実態を省みれば、それは自由人の共和国どころか、むしろ別種の種族主義ではないかとさえ思えてくる。

一次資料を読み込んで丁寧に積み重ねた執筆陣の検証作業に、学術的な価値が十分認められるのは間違いない。だが、彼らの根本思想には、左派と同じく、対抗勢力を打ち負かそうとするソフィスト的発想が横たわっているのではないかという疑念を、私はどうしても拭い去ることができないのである。

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