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いまだくすぶる亡霊──『真説日本左翼史──戦後左派の源流1945―1960』

玉城武生

池上彰、佐藤優『真説日本左翼史──戦後左派の源流1945―1960』(講談社現代新書)、講談社、2021年

リベラル(liberal)とはその名のとおり自由主義、すなわち自由を尊重する思想のことであり、したがって個人主義、また小さな政府や市場経済の承認といった、統制排除の価値観などを重視するものである。

ところが、日本でリベラルといえば、一般に左翼と呼ばれる社会主義、はたまた共産主義までが含まれるという、奇妙な現象が起こっている。もっとも、ヨーロッパでも市場原理主義への反省から、国家の介入を肯定する思想もリベラルに含めることはあるが、暴力革命を志向する共産主義がリベラルと看做されることはまずあり得ない。

日本左翼の二大勢力

なぜリベラルと左翼とが同一視されるという特異な事態が生じているのか。それには、日本における左翼が、講座派と労農派というマルクス主義者の二大勢力に端を発していることが関係している。

講座派とは、1930年代に岩波書店から出版された『日本社会主義発達史講座』の執筆者を中心とするマルクス経済学者らのこと。対する労農派とは、同時期に政治雑誌『労農』に寄稿していたマルクス経済学者や社会主義者の一派。前者の思想は日本共産党の、後者の思想は日本社会党の理論的支柱として、それぞれ引き継がれることになる。

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両者の違いは、当時の日本の体制を唯物史観のどの段階に位置づけるかという認識である。唯物史観では、原始社会、奴隷制、封建社会、資本主義、社会主義の順で文明が発達すると考える。講座派は天皇制を封建社会と捉え、一旦資本主義への脱皮を図った後に社会主義革命を起こす「二段階革命論」を唱えた。一方労農派は、明治維新後の日本は資本主義国家の体を成していると考え、社会主義革命は即座に可能だと主張した。

「共産党は暴力革命を志向していない」は本当か

戦後に合法化された共産党は、GHQを解放軍として祭り上げるが、占領政策の「逆コース」で梯子を外された。特に1947年、GHQの圧力に屈して二・一ゼネストを中止したことで、共産党は労働者らの信用を失ってしまう。

1950年にコミンフォルムから「平和革命論」を批判された共産党は、これに反撥する所感派と容認する国際派とに分裂する。当時主流だった所感派は、中国共産党から批判されたこともあって反論を撤回をしたが、マッカーサーのレッド・パージによって地下潜行を余儀なくされると、51年綱領で武装闘争路線を打ち出して、各地で殺人や破壊活動を行った。

結局、所感派は輿論の支持を失って国際派と和解、1955年に武装闘争路線を抛棄した共産党は、以後国際派が主導権を握って現在に至る。

この件について、共産党の前委員長である不破哲三(本名は上田健次郎)は、武装闘争は「北京に拠点をかまえた徳田・野坂分派〔所感派〕が、党の決定にそむいてやったこと」で、党の正規の機関が暴力革命の方針を採ったことはないとしているが……。

しかしこれは分裂に至るまでの経緯を見れば完全な作り話であることがわかります。武装闘争を命じたコミンフォルムの指導に抵抗したならばともかく、むしろ、コミンフォルムや中国共産党の批判を所感派より先に受け入れたからこその「国際派」なのですから。

本書126頁。以下同様

ところで、共産党はこの間も、同党の「暴力革命の方針に変更はない」との政府見解を「デマ」だと反撥していた。

公安調査庁が共産党を破壊活動防止法に基づく監視対象にしている根拠である「敵の出方」論は、共産党が61年綱領を採択する過程で、国際派の宮本顕治が打ち出したものである。

革命への移行が平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方によることは、マルクス・レーニン主義の重要な原則である。

──宮本顕治『日本革命の展望』

このような暴力の使用を留保するという趣旨の記述は、党の刊行物で他にいくらでもあるが、その主張を「撤回する代わりに〔……〕本を絶版や品切れにし、人目に触れないように」する「ところに、暴力革命政党としての『しっぽ』が現れてしまってい」る(138頁)。

巧妙な二枚舌

共産党のこういった隠蔽体質の根源は、実はマルクスの理論それ自体にある。マルクスの唯物史観の根柢には、歴史は絶えず良い方向に進んでいるとするヘーゲルの「時代精神」の哲学がある。その理窟を支えているのが辨証法である。

辨証法とは、ある命題(テーゼ)及びそれと矛盾する反対命題(アンチテーゼ)があり、両者を高次の段階に統一する止揚(アウフヘーベン)にまで至る過程のこと。ヘーゲルはこれを基に、歴史は止揚の連続によって発展するものだとした。

これだけでも相当いかがわしい代物であるが、問題は命題と反対命題とが常に念頭にあるという点である。ここから、自らを善、相手を悪とするルサンチマンがマルクス主義者の態度として出来することになる。

「どんなものにも良いものと悪いものがある」というロジックは、共産党的弁証法の特徴です。〔……〕/そしてこの延長で、「良いスキャンダリズム」と「悪いスキャンダリズム」という理屈も当然ありえるわけです。権力者のスキャンダルを暴くのはいいことだけど、共産党員のスキャンダルは党内部で処理するべきことであり、これを外部に漏らす行為は反階級的であり反革命的だ、などというダブルスタンダードな言辞を悪びれることなく言えてしまう。

105―106頁(太字原著)

この瞞着の精神は、後述の新左翼が暴力を肯定する口実としても利用された(211頁)。早い話が二枚舌である。

マルクス主義の甘い誘惑

その二枚舌からわかることは、既存の体制を全て破壊した上で、自らが優位に振る舞える体制を構築するのがマルクス主義の狙いだということである。普通、何か世の中の仕組みを変えようとするならば、議論して所定の手続きを経るという手順を踏む──文明社会とは本来そういうものである。だが、マルクス主義は、価値観を顚倒させることで、そういった手順を一切飛び越えてしまう。

しかし、だからこそ、社会の中で不利な立場にある若年層には魅力的に映るのだろう。1950年代、暴力を厭わない共産党に愛想を尽かした国民は社会党になだれ込み、社会党の勢いはいよいよ強まっていった。

特に当時は、マルクス主義的な考え方が今よりもずっと知識人や学生の間で人気がありましたからね。旧帝大や名門私立大学の経済学部ではみんなマル経(マルクス経済学)を学んでいた。

155頁(括弧内原著)

本書の対談者である佐藤優自身、社会党と協力関係を持っていた社青同(日本社会主義青年同盟)に属していたし、池上彰も若い頃社会党の理論家の論文を「貪るように読んでいた」と述懐している(28―29頁)。

社会党と共産党の逆転

元来マルクス主義の政党だったはずの社会党が、1955年以降保守政権と距離を置く層を長らく一手に引き受けたことが、今日リベラルと左翼との区別が稀薄になった背景であった。だが、社会党とて決して穏健な社会主義政党ではない。

1960年の安保闘争をけしかけたのは社会党の左派だし、それに何を隠そう1960年代以降の「内ゲバ」で悪名高い新左翼の後見人も社会党なのである。1956年のスターリン批判、そしてハンガリー動乱に刺戟を受けた学生らが、武装闘争を抛棄した共産党に痺れを切らして同党と袂を分かつ。その若者らを受け入れたのが社会党だった。学生らが「加入戦術」で社会党内部に仲間を増やしていった結果生まれたのが、トロ連(日本トロッキスト聯盟)である。トロ連はその後、革共同(革命的共産主義者同盟)、中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)、革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)などの党派に分裂していく。

社会党は、党内の派閥である社会主義協会が理論的なバックボーンとなって、総評(日本労働組合総評議会)加盟労組出身の元役員が国会議員を務めるという分業体制をとった。佐藤は、社会主義協会の中心人物である向坂逸郎が、政権を掌握した後にソ連の支援を得て革命を起こす──これは外患誘致に当たる重大な犯罪である──計画を立てていたのではないかと推測し、それを裏付けるかのようにソ連共産党から社会党への資金の流れを示す資料を見つけたことがあると、対談の中で語っている(204―205頁)。

マルクス主義は野蛮と暴政の極致

マルクス主義のイデオロギーは、共同体の成員としての、責任ある市民の姿とは程遠い。見出だされるのは、対話の拒否、規則の不在、そして暴力──そこに、スイスの標語「一人は皆のために、皆は一人のために(Unus pro omnibus, omnes pro uno)」を体現するような公共心はない。となると、「われわれの隣人が訴えてゆける規則がないところに文化はない」のであり、「訴えるべき市民法の原則のないところには文化はない」。ただあるのは、「最も厳密な意味での野蛮」(オルテガ)である。

マルクス主義とそれに基づく政体が、あらゆる中間段階を排除し、直接行動によって成立したものである以上、安定した政治など期待できるはずもない。ロバート・ダールが指摘したように、政治への包摂には統治者とその反対勢力との間の相互安全保障が不可欠だからである。

この危険思想は、ソ連の崩壊によって一度は滅びたかに見えた。だが、昨今の風潮には、その再来を思わせるような不気味さが漂う。例えば、今や常軌を逸している淑女崇拝フェミニズム政治的妥当性ポリティカル・コレクトネスなどがそれである。これらは、価値観を顚倒させることによって復讐を果たすマルクス主義者の動機と実によく似通っている。

「誰も左翼のことをよく知らない状況のまま、ふたたび左翼思想が注目されるような時代が来てしまい、人々が無自覚的に時代の波に飲まれてしまう」(29頁)という佐藤の懸念は、もっと世間に共有されなければならないだろう。

マルクスは厄介な熱病をこの世に残してしまったのである。

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