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マルクス主義への免疫薄れる日本社会

写真 カール・マルクス(1818―1883年)

この記事は、イギリスの経済紙『ファイナンシャル・タイムズ』に掲載された投書の和訳です。

私は35歳であり、レオ・ルイスのコラムによれば「世界の先進国における初めての成長未経験世代」に属するらしい。だが、「脱成長」の哲学が日本で本当に理解されているかどうか、かなり疑わしい(11月7日付「『脱成長』──マルクス主義が現代に蘇る」)。

日本は、資本主義国かつ先進国でありながら、共産主義政党が活潑に活動している稀有な国である。今年は、その日本共産党が成立してからちょうど100年になる。

だが、党が開いた100周年の記念講演において、1950年代に自ら惹き起こした殺人やテロ行為への反省は一切なかった。代わりに、犯罪行為は分派が起こしたことで自分たちには関係ないという詭辯を弄し、平和やジェンダーなどの無難な話題で体制顚覆という党本来の意図を隠蔽している。

そのため、かつての左翼の生々しい記憶も薄れた今となっては、政府や与党に批判的な人々も、共産党を他の野党と同類くらいにしか考えておらず、マルクス主義に興味があるわけでもない、というのが実情である。一般読者は、古典を論じた新刊書は読むけれども、肝心の古典そのものは読まないものだ。なにしろ、今時の共産党は、国会議員でさえ『資本論』はおろか『共産党宣言』すら読んだことのない者がいたくらいなのだから。いわんや、市井の人々をや。

何より問題なのは、現在の潮流がマルクスへの盲従に終始しており、その理論に対する批判的な検討が欠如していることである。古典派経済学者だった小泉信三は、マルクス主義が受容されたのは、その理論が優れているからではなく、他人の富貴を羨むよう人々を煽動したからだと喝破した。マルクスの亡霊が現れたのは、目下の「ウォーキズム」とポピュリズムとの尖鋭的な対立と決して無関係ではないのである。

この投書の原文は、11月11日付『ファイナンシャル・タイムズ』に掲載されています。

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