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言葉の覚え書き

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2020年9月の記事一覧

「児童は、人として『尊』ばれる」

質問 児童憲章にある「児童は、人として尊ばれる」の「尊ぶ」は、「とうとぶ」と読むのか、「たっとぶ」と読むのか教えてください。 こちらをご参照ください。

「芸」と「藝」

「芸術」の「芸」は、旧字体の「藝」から間の部分「埶」を取り除いたものですが、「芸」は元来ウンと読むもので、「藝」とは別の字です。 「芸(ウン)」は、書物の防虫に使われる香草のことで、書物や書斎に関する語に用いられます。

「ひとだんらく」

「ひとだんらく」ではなく、「いちだんらく(一段落)」です。 「一(ひと)安心」「一(ひと)苦労」などの「ひと」が「すこしの」「ちょっとした」という意味を表すのに対して、「一段落」の「一」は文章の一つの段落という明確な数量を表すので、漢語である「段落」の前では音読みのイチと読みます。

「豊」

「豊」は、もとレイの音を示し、旧字体の「豐」とは別のものです。 「禮(礼)」の旁は、「豊」を音符として用いたものです。「體(体)」のタイの音も、レイから変化したものです。 中国漢字音は、声母、韻母、声調からなりますが、「禮」と「體」は韻母と声調が共通しています。古代中国語の発音では、「禮」が[læi]、「體」が[t‘æi]であったと推定され、韻母がともに[-æi]となっています。声調は両者とも、高い平らな調子で発音される上声(じょうしょう)です。

「予」と「豫」

「余」「餘」と同じく、新字体の制定により意味の異なる字どうしが衝突してしまった例の一つです。 「豫」は「予」の旧字体とされていますが、「予」と「豫」は元々別の字です。 「予」には、一人称としての用法の他、「授ける」「与える」という意味があります。 「前もって」「あらかじめ」を意味するのは「豫」の方です。「予定」「予告」は、かつては「豫定」「豫告」と書いていました。

詩をアンショウする

「暗唱」は同音の漢字による書きかえ。元は「暗誦」または「諳誦」。 「暗」「諳」「誦」はいずれも、そらで覚える、暗記するという意味です。

コロナ「渦」

最近の感染症をめぐる情勢により、よく見かけるようになった誤字です。新聞の見出しでもよく間違えていて、「note」では「#コロナ渦」というタグまでできている始末です。 水部(さんずい)の「渦」ではなく、示部(しめすへん)の「禍」が正解。 「禍」は訓読みで「わざわい」です。「禍(わざわい)転じて福となす」でお馴染みですね。 音読みではカとなります。「再び戦争の惨禍(さんか)が起ることのないやうにすることを決意し、……」という日本国憲法の前文を連想する人も少なくないのではない

やぶさかでない

「やぶさか(吝か)」は物惜しみする様子という意味なので、「やぶさかでない」と言うと「仕方なくする」と思われがちですが、実は「喜んで……する」が本来の意味です。 「嫌いではない」が「わりと好きである」、「悪くはない」が「ある程度良い」を意味する類のものです。このような、否定を用いて肯定を控えめに言う修辞技法は緩叙法(litotes)と呼ばれます。

「好意」と「厚意」

「好意」は、他人を好ましいと思う気持ちのこと。好感。 相手に好意を抱く。 「厚意」は、相手が自分に示す親切心、思いやりのことです。 ご厚意に感謝いたします。

「アルファベット」とは

今年はハリケーンが多く発生したため、予め用意していた「アルファベット」順の名前が涸渇してしまったそうです。「アルファベット」の後はギリシャ文字を使うことが決められており、「アルファ」「ベータ」という名前のハリケーンが続けて誕生したとのこと。 英語などで使われるAからZまでの26文字は確かに「アルファベット」ですが、正確に言うとギリシャ文字も「アルファベット」です。今回は、その「アルファベット」の定義について。 アルファベットは音素文字の一類型世界中に数多ある文字体系は大き

片仮名を使う場面

日本語を学ぶ外国人が戸惑うことの一つが、漢字、平仮名、片仮名の使い分けなのだそうです。なかでもよくわからないと言われるのが、どういった場面で片仮名を使うのか、ということ。 日本語の先生が「外国語を書くときに片仮名を使うのですよ」と説明すると、「じゃあ、『ゴミ』は外国語ですか?」と問われて答えに窮した、という話を聞いたことがあります。 主に漢字と平仮名との交ぜ書きが標準的な表記体系として確立している日本語において、片仮名の用法はいささか特殊といえます。「外来語に使う」という

「隣か内側の字で読め」?

中国語に「有邊讀邊、沒邊讀中間」という言葉があります。読み方がわからない漢字への対処法を言ったもので、「隣に字があればそれで読め。そうでなければ内側の字で読め」という意味です。例えば、「滌(デキ)」を旁(つくり)の「條」でジョウ、「遵(ジュン)」を「尊」のソンと読む類のものです。 日本語で言えばさしずめ百姓読みに相当するものなので、これを真に受けるわけにはいきません。とはいえ、読めない漢字への窮策は本家でも変わらないようです。

「十分」をジップンと読む理由

「十分」をジュップンと読むのが一般化していますが、これは本来ジップンと読むべきものです。その理由は、歴史的仮名遣で考えると理解できます。 「十」は現代仮名遣いではジュウですが、歴史的仮名遣ではジフと書きます。末尾の-フは、日本漢字音の元となった中古音で[-p]となることを示しています。これを入声(にっしょう)といいます。 撥音([ン]の音)を除き、日本語は全て母音で終わるので、入声音[-p]はそのままでは馴染みません。そのため、[ウ]の音を挿入して-フと記されてきました。

ユ「ヴェ」ナリス

「パンとサーカス」や、曲解されて今日に伝わっている「健全な精神は健全な肉体に宿る」などの言葉を残した古代ローマの詩人です。 ラテン語での綴りはJuvenalis。vはワ行の音なので、表記は「ユウェナリス」が正解です。より原語に忠実に記すと「ユウェナーリス」となります。