鞄の中パウダーシュガーが黒くなる 君のしらない二日目のチョコ


 もう3年前ですが、バレンタインを題に友達と集まって作ったときの歌だったと思います。忙しくしていた訳でもないのに、自分の歌以外は忘れてしまいました。と言うより、暇人が集まって感想を捻り出すような集まりだった気もするので、皆覚えていないのでしょうか。

バレンタインの習慣

 当時は毎年、バレンタインとホワイトデーにお菓子を作っていました。普段はしないことだから、お菓子と言っても簡単なクッキーとかパウンドケーキを焼くだけです。それに小綺麗なラッピングを買ってきて、手間が掛かって見えるように拵えれば完成。見た目にそう汚くはなくて、恩を感じるほど美味しくもない。そういうバランスが取れていたと思います。

 こんなお菓子作りに、前日帰宅してからすぐ、まる一晩かけていました。徹夜の突貫工事です。やれ砂糖を忘れた、デコレーションが足りないと24時間営業のスーパーへ走りもしました。今だって出来なくは無いのでしょうが、とてもやる気は起きません。そもそも一夜漬けするなよ。

 どうにか出来上がったチョコ・ケーキですが、当日急に渡すわけにはいきません。二月初旬のおしゃべりは、二回に一度はバレンタインの話になりますから、そうしたところで上げる人リストが出来上がっていきます。

「今年、なにかする?」

「したいな、貰ってくれる?」

「しようよ!何作ろうかな」

「そっちもどう?」

「決まり。こっそりね!」

「あげても大丈夫?」

 イベント毎にやたら積極的になる人っていますよね、人を巻き込んで。短歌や詩も書いていませんでしたし、今よりだいぶ社交的だったんですね。


なんで作ってたんだ?

 というよりは少し必死だったかも知れません。仲がいいと思っておきたい相手に声をかけて、何かしら品物を贈った実績を作る。配ってもいい?と訊かれてNOとは言いにくいし、理由なく断られることもない。そういう、なんでもない厚意を日々積み重ねられなくて、イベントに頼っていたんだと思います。

 実際、本命チョコは作ったことがありません。このいわゆる友チョコ活動は、多いときで一ダースも作っていましたから、量産品の他に一つ特別製のを用意するなんて考えられなかった、というのも理由の一つです。それに、お菓子一つあげるのにある程度の立場と許可が要るんですから、好意なんて言わずもがなでした。

 世の中、手作りチョコを収受するのが習慣になっている人ばかりではないので、どう受け取ってもらうかというのは毎年課題です。ちょっとした趣味で、交換が楽しいし、非リア充はこれくらいしか楽しみ方が無いから。色々と理由を並べて手作り特有の重みを削ぎつつ、渡すときには「日頃お世話になっております〜」と茶化しながら言っていました。

 ちゃらんぽらんな性格を周りに補ってもらうというか、とばっちりを食らわせてしまうことが多かったので、一応の感謝を伝えると共に一笑い取らせてもらおうという魂胆です。今になって、それも良いことだったかなと思います。


貰ってもらう

 自分に価値を認めるのに一番手っ取り早いのは、周りの人を褒めたり感謝を伝えたりすることだそうです。周りにこんなに良い人たちがいる、目をかけてもらっている、人のご縁に恵まれている、といった自覚が能力の低さや自身のなさを埋めてくれるという仕組みです。

 ただ、適当な賛辞は相手にも分かります。その人にしか当てはまらない言葉というのも難しいものですが、それだけ周りの人に目が向くようになれば、自分勝手に悩みの沼に嵌まり込むことも減るのかもしれません。

 それはそうと、年二回の押し売りに、皆はどうして付き合ってくれていたんでしょうか。あからさまには断れなかったのか、受け取って置こうと思えるくらいのポジションにはいたということか、ただでおやつが出てくるなら貰わない法はないと思ってくれたのか……。

 こんなのは考えすぎで、全員おやつとイベントが好きだっただけですよね。皆そこそこ喜んでくれていた記憶があります。ただあの時分は、周りの人の輪のどれかに確実に属していないと不安でした。お菓子で買える市民権って、安かろう……うーん。とにかく皆温かい人たちでした。


今年は

 こんなに長くなるとは思いませんでしたが、以上のような思い出があって、

鞄の中パウダーシュガーが黒くなる 君のしらない二日目のチョコ

という歌が出来たのです。書き付けてみると思ったより背景がありました。想いを寄せる"君"に渡せなかったままのチョコ……みたいな思い出は捏造ですが。渡しそびれを持って帰って自分で食べたことはたぶんあります。

 この歌をよく覚えていて、今日も思い出した理由はこれだけでもありません。後日大会に出してみたところ、選からは漏れるものの…という枠で講評が頂けたんです。大層喜んで、しばらく短歌を止めました。一区切りついたというか、いよいよちゃんと短歌を詠むようになると思うと億劫でした。

 今年になってまた短歌を始められたのは、noteに誘ってくれた後輩のせいです。お陰で己の心中に目を向けて整理しなきゃいけなくなりました。ありがとうね。

 どうしようどうしよう、と考え込んで何もしないまま何年か、今日もプランだけ立ててお流れになってしまいました。代わりに日記を書いたことにしましょう。動機がポジション取りでも捏造でもなんでも、機会があるごとに気持ちを伝えるのって良いことですよね。

 ホワイトデーは何かしようと思います。




​歌会シタイナァ~~~

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