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リカバリー(回復)についての一考察

この会を始めるにあたって、自分なりのリカバリー(回復)についての考えをまとめておきたい。である調の文体であるのは容赦願いたい。

最近はというか、10年ほど前からリカバリー(回復)がブームになってきている。リカバリーというのは心の病を抱えながら、つまりは病気の症状や不都合な部分もありながら、自分の目指す目標(ゴール)に向かって道のりを歩いていくイメージが強い。いわゆる旅路のイメージだ。

最近はストレングスモデルといって、リカバリーにさらに理論が加わった考え方が出てきた。患者の得意なこと(ストレングス)を活かして社会で活躍していきましょう、社会参画していきましょうという考え方になってきている。

僕はこの考え方も理解できるのであるが、いかにもアメリカ発の考え方というか、病気を抱えてもアメリカン・ドリームを目指せ的な考え方で違和感を覚える。しかも本を読んでみると看護師や精神保健福祉士の援助付きだ。

僕の人生経験上「これは違うな」と思うのである。

僕の考えるリカバリーというのは、今の自分の状態から一歩二歩歩み出そうとする態度から始まる状態のことで、その後の歩みは人それぞれだ。調子良く働く人もいれば、療養生活を長く過ごす人も多いことと思う。

しかし人は人自分は自分である。その人の身の丈にあった暮らしや仕事につながっていけば良いのであって、一歩一歩の歩みの果てに結果が見えてくるようなものだと思う。決して結果ありきではない。

僕の場合もいまはアラフィフで、デイ・ケアに通いながら週に一回、近所の公民館で水彩画を習い始めて一年が経つ。数年前に調子を崩してリハビリ中なのだが、やれることはやろうという気持ちで昔からやってきているので、めげることはない。

つまり、リカバリーも医療側、福祉側にあてがわれたやり方ではなくて、自分の調子や病気の回復具合に合わせたセルフメイドのリカバリーで十分じゃないかな?と思うのだ。実際、僕は数年前に調子を崩した後にスーパーで買い物する品数を選びやすくなるくらい調子が戻ったのは嬉しかったもんな。

色んな人それぞれに合わせたリカバリーが有って良いわけで、極論を言えば療養しながらのんびり暮らしたい人がいても良いのである。それはその人なりの選択で誰も非難するべきではない。

また、若くて調子もよく、病気も軽い人もいるだろう。そういう人は社会人としての人生を選びたいと努力を重ねていることだろうと思う。

主婦のお母さんは病気を抱えながら家事や生活に頑張っておられることと思う。

いわゆるゴールを目指すリカバリーではなくて、それぞれの人生観や暮らしに合わせたセルフメイドのリカバリー、それを僕は提案してみたいのである。


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