なぜnoteを書くのか
どうも。私が所属しているゼミにおいて、まさかまさかの私がゼミ長に選出されました。先生の勅命というわけです。これから皆さん私の事はゼミ長と呼びましょう。
さてさて今日はそもそも私がなぜnoteを書き始めたのかについて説明しようと思います。そして、どのような内容を中心にnoteをこれから書いていくのか、それについても簡単に話しておこうと思います。
拗らせてません
はじめに言っておきます。変な思想に目覚めてこじらせた訳ではありません。はい。ビジネス系に目覚めていません。自己啓発本は読んだことありません。私がボランティアなんてしているわけありません。
何かしら啓蒙的な発言をして、最終的に丸め込んで情報商材を売るような、よくある馬鹿げたことは一切計画していないことだけは、とりあえずお伝えしておきたいです。もちろんこんな駄文にお金なんてかかりません、かかってもいけません。
では何故こんなことを始めたのか。大きく3つ理由があります。順番に説明していきましょう。
①20歳になってしまった
まず、1つ目の理由ですが20歳、成人になってしまったためです。とてもシンプルですが、これです。来年の4月から成人年齢は18歳からに引き下げられますが、それはこの際置いといてください。とにかく成人したという事実が、私に何か新しい事を始めろと耳元で囁いたわけですね。
思い返せば、ここ20年間全く日記などを書くことも、自分の意見を残した事など(Twitterは戯言なのでノーカウント)もなかったため、私にとってこのプラットフォームは非常に新鮮に、そして魅力的に感じたのです。
②例のパンデミック
そして2つ目は、やはりこれです。不幸中の幸いですが、私は大学1回生の1年間はキャンパスライフを楽しむことが出来ました。しかしここ2年間は、皆さんと同じように過去に思い描いていた未来にはなっていません。例のアレのせいです。(あの単語を出すと、謎に記事の前に注釈を入れられるので避けている。)
自分自身、まさかここまで長引くとは考えていませんでした。しかしただただ現状を嘆くだけでは明日の太陽は拝めませんので、切り替えて今出来ること、楽しめることを模索することとしました。
その結果、読書・漫画・映画鑑賞・訳分からん資格の取得などの新たな趣味が生まれ、そしてそこにnoteが組み込まれることになった、というわけです。
③発言に責任を持ちたい
そして最後にして最も大きな理由に、自分自身の発言に責任を持ちたいと考えたから、というものがあります。1つ目の理由とも絡んでくるのですが、20歳という節目を迎えるにあたって、自分自身の生き方や行動について改めて考えました。
その中で、むしろどのような人間になりたくないかについて考えることがありました。そこで出た結論は、その時その時の都合の良い行動ばかりをとり、自分の芯がないような人間、つまり筋を通せない人間でした。
行き当たりばったり。その場しのぎ。場当たり的。自分の意見が無ければ流されるだけの毎日です。何とかしてそれは避けたい。そしてそのためにはどうすれば良いのだろうか。
そしてそれを避けるために思いついた策は、考えている事を書き残すことでした。そしてそれをネットの海に放り投げることでした。これをする事によって、自分の考えを言語化することで整理することができ、また私がこういう考えを持っている人間であるということを責任をもって示せるのです。
色々な記事を書きましたが、それぞれ賛成反対、あると思います。批判も受け付けます。それが自分が社会に対して示せるひとつの筋だと思っています。
こんな誰も知らない私の記事なんて読んでいる人はほとんど居ないことも分かっていますが、それでも続けていこうと思います。気が向いたらまた読んでください。
これから
長くなってしまいましたので、簡潔に今後の方針を話していきたいと思います。まず基本的に私の趣味である音楽・読書・マンガ・映画鑑賞についての話を軸に据えながら、私が普段考えているくだらないこと、近況報告、そして今回のような独自の論理についての記事を織り交ぜていく予定です。基本軸はあくまで趣味です!よろしく!
別にないとは思いますが、なにか私に書いて欲しい内容などがあればいつでも言ってください。以上です。
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