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「怒り」という娯楽の流行

こんばんは、私です。ゴールデンウィークですな。しかしながら、月曜日が一旦挟まるので授業があったりして、大型連休感は個人的にはあまりありません。まあ、それでもこの期間は山積みの本、ゲーム、映画、ドラマをどんどんみていく期間にしたいと考えています。

娯楽

皆さん、ゴールデンウィークはなにをするつもりでしょうか?前述したような読書であったり、ゲーム、映画鑑賞、外に出るなら旅行なんてのもあります。寝るだけでも十分に有意義でしょう。仕事、バイトの人は、まあ頑張って。

世の中にはたくさんの娯楽があります。休みなんてのは時間があるので娯楽をするにはもってこいの期間です。ですから今回は娯楽をテーマにお話しましょう。
最近SNSを見ていると、とある娯楽が流行しているように感じます。それは「怒り」です。

娯楽としての「怒り」

怒り?感情のどこが娯楽になりうるのか?ましてや怒りなんてのは楽しいものとは正反対ではないか、そう考えるかもしれません。ご説明しましょう。

ニュースを見ていると、様々な人の不祥事が報じられています。芸能人のゴシップネタ、取締役の問題発言、企業のやらかしなどなど、、。
最近のニュース、例えばYahooニュースなんかでは各記事にコメントすることが出来るようになっています。Twitterでは自分自身でツイートすることで意見を発信することが出来ます。一旦これらの不祥事に対するコメントやツイートを見てきてください。

どうでしょうか?多くの人がめちゃくちゃ怒っています。謝罪を要求し、これでもかと罵詈雑言を浴びせています。まさに、「怒り」です。

利害関係者なら、理解できます。その人、その企業の行動によって自分自身に不利益が発生しているのならば、怒り、意見する権利はもちろんあります。
しかし、ほとんどの場合この不祥事に怒っている人は、全く関係の無い第三者です。その芸能人に何かをされたわけでもないですし、その不祥事自体不倫などの、完全に当事者同士の問題であることが多いです。つまり、怒りの動機がその不祥事自体に存在していないのです。

では、動機は一体何なのでしょうか。
それが娯楽なんです。人間日々過ごしていると、嫌な事、思い通りにならない事が沢山あります。ストレスメーターのゲージは溜まり続け、どこかしらで発散したくなるのは当然の流れです。
そこで不祥事を利用しているわけです。正義という言葉は非常に便利で、自分自身を絶対的に正しい立場にそれは導いてくれます。それと同時に、社会的制裁を相手に与える快楽をもたらします。SNSは無料で、しかも誰でも利用できます。指先ひとつでストレスを、正義の名のもとに発散することが出来るのです。

つまり、不祥事が何であるかは関係なく、不祥事であることがここでは大事なんです。正義を利用できるかが重要なんです。本当に怒っているのならば、より社会を、自分自身を良い方向に持っていけるように反面教師にすればいいだけです。罵詈雑言を浴びせ、謝罪を要求して生まれるのものは何一つありません。ただ無関係な本人のストレス発散の役割を担うだけです。

この「怒り」という娯楽が本当に最近流行しています。自分自身にとって無関係の話題であっても正義の名のもとに制裁をくらわせる。本当に、これでいいんでしょうか?正義を娯楽に利用して、いいんでしょうか?そもそも、どの視点での正義なんでしょうか?

疑問は尽きません。少なくとも私はこんなものは娯楽でもなんでもないと考えています。これこそ、反面教師にしなければならない事案でしょう。
前述した通り、SNSでは誰もが簡単に自分自身の意見を世の中に発信することが出来ます(もちろんこのnoteもね)。だからこそ責任を持って発言する必要があるのではないでしょうか?
正義を盾にして、自分自身の発言が独善的なものになっていないか、今一度注意しなければならないと思います。私自身も注意しなければと、日々「怒り」を観測しながら考えます。


今回はちゃんと予定通りの日時に公開できました。良かった。それにしても本当に世の中常に誰かが怒り続けてるよね、恐ろしい。いつ自分が標的にされるか分からないこの行き過ぎた正義を、誰か止めてくれ。

娯楽。文字通り誰にとっても楽しいものでないとね。それではまた来週。

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