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楽しいが全力を出してない、になるの?

 最初に読んだ立花さんの記事を見て・・・

”指導”の仕方がタイトルのことと直結してると思いました。

 このテーマって、日本人の労働観とかと絡んでいてイマイチちゃんとした結論というか、考え方になってないと思う。

 まず、私は

楽しいという気持ちの方が集中力が高い

と考える方。というか、自分のパフォーマンスがヤル気でかなり変わるんです。だから余計に、やりたい気持ちを持つ重要性って理解できる。

 そもそも、歴史的に見てもなぜ今のような考え方になってしまうかというと…

日本の社会は、流動性が低いから本人の好みで選択させることが難しかった

という背景があると思う。

 これはどういうことかというと、人の移動が少ない(もしくは動けない)ので個人よりその地域=コミュニティの維持という事が優先事項として高くなる。今の日本社会が現状維持といった考え方に陥りがちなのも、こういう日本社会の歴史という事が絡んでいると思う。

 それはともかく、こうした点から透けてみるのは

やりたいことをやらせようとしてたら、穴が開く

という観点。だから

ヤル気と関係なく、最低限のパフォーマンスを出せる

様な考え方を植え付ける必要が出てくる。それが、

滅私奉公

といった考え方を生み出す要因となったと解釈してます。

 この点については、チーム作りでもこれまで腐るほど見てきてます。例えば野球で、コンバートする際にも当人の意思よりも

空いてるポジションだから、そこを埋めてほしい

だとか。当人がレギュラーとりたい!空いてるトコはどこか?と主体的に考えるのと全然違う訳です。

 アメリカなどでは、

人材というパイを増やして

その中で競争させ

勝ち抜いてきた人材を抜擢する

というロジックのもとで人材登用の道筋がはっきりしている。近年プロスペクトとその他大勢との乖離が段々と顕在化しつつあると感じているので、この辺りはNPBも巻き込んで(スチュワートのケース)変化していくでしょうね。

 で、サッカーでもこういう価値観がベースにある。だから

なるべく多くの競技参加者を増やす

という考えの下、脱落されない様な工夫をする。それと、

パフォーマンスと本人のメンタル(考え方)の相関関係

という部分の研究も進んでいると思う。この点が、日本の野球界では独自に進化してきたこともあり、必要な措置がほとんどとられてないんだと思います。

 ジャーナリストではないので裏は取ってないのですが、色んなスポーツ雑誌や記事を読む限り、明らかにサッカーより変化に乏しい。とにかく未だに

登板間隔や投球制限

で根性論みたいな根も葉もないことで選手自身の競技人生への思いが全くない議論って、どうかしてる。そのせいでどれだけの有望な選手(投手)がプロというこれからの世界に行く前に壊されていったか…。

 よって私は、パフォーマンスを最大化させることと楽しむこととの関係性ってすごく高いと思いますね。子供のころ、私だって好きなことしてる時って雑念がない位ひたすら熱中してた。今こうして歴史に知識を持てるのだって、

知りたい

という動機と、

ナルホド!と発見がある楽しさ・ヨロコビ

があってこそです。これがサッカーなら

自分のしたいパフォーマンスを出して勝った時

でしょうし、野球なら

投手なら抑えて、打者なら打ってチームが勝った

ことでしょう。

 であるならば、楽しいと思う事とベストプレイを引き出すことは矛盾しない。やりたいこと、そうなりたいと思う気持ちの先に

満足感=楽しさ

というゴールが待っているのだからね。個人差はあっても、最終的にそこに収束されていくと思うんだけどな…。

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元図書館ギョーカイの人。元職として図書館関連、歴史や経営・組織論、興味の沸いた分野中心に書いてゆきます。現在離職して通教で大学生やってます。
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