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ホフマニアーナ(著:アンドレイ・タルコフスキー)読書感想文

ホフマニアーナ(著:アンドレイ・タルコフスキー・訳:前田和泉・挿画:山下陽子、エクリ、2015)




映画監督タルコフスキーの死により幻になった8作目の映画のシナリオであり小説である。

自分にとっては難解な物語だった。
しかし印象に残った場面がいくつかあったのも確かである。

モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を観るため劇場のボックス席に入ったホフマンが壁にかけられた鏡を見ると舞台に登場しているドンナ・アンナの顔が映っている。
ホフマンは勇気を振り絞って尋ねる。

「いったいどうしてここに?」
「ここにですって?それが一番簡単で自然なことですもの。あなたも経験あるでしょうーー少なくとも夢の中ではーーどんなことも起こり得るし、何を望んでも、すべてはきっと実現するはずだという確信を感じる経験が。その感覚が本当かどうか確かめようと決心すれば、それは本当に実現するのよ」
「夢の中でならね」
「夢だって現実と同じぐらい現実ではないかしら」と彼女は微笑む。そして、彼が見ているのは彼女自身ではなく、鏡に映った姿だと気づいて、こう付け加えた。「夜に鏡を見てはいけないわ」
(中略)
「音楽はあなたに何を与えてくれるのかしら?音楽はあなたを幸せにしてくれる?」
「さあどうだろう……。音楽は、完全なるもの、永遠なるものを表現する可能性を証明してくれる。そういうものに触れることができるのは、芸術だけだ」
「恐くないの?どうしてそんなことをする必要が?」
「何でもいいからどこか動物とは違うところを持っていたいからかもしれない……」


すばらしい芸術論であり、同時にどこか情けなくも感じる。
「夢だって現実と同じぐらい現実ではないかしら」←夢と現実の境界線が曖昧である。夢想家としてのタルコフスキー自身がだぶる。
「恐くないの?どうしてそんなことをする必要が?」←こういうふうに聞くのがとても良いと思った。
「何でもいいからどこか動物とは違うところを持っていたいからかもしれない……」←どことなく頼りなく、しかし真理を突いているようにも思える。

この難しい物語を訳者の前田和泉氏が解題でわかりやすく説明されていてとても助かった。
例えばタルコフスキーは幻視する人であり、

『ホフマニアーナ』の終盤近くで、「私は日曜日に生まれた子供に似ているんだ」とホフマンが呟く場面は、この作品のすべてを物語っている。「日曜日に生まれた子供」は、「他の人たちには見えないものを見ることができる」のだという。それは、ホフマンでもあると同時に、タルコフスキー自身のことでもあった。



なぜなら執筆時のタルコフスキーもホフマンと同様の身体の不調を抱き、ホフマンの最期の姿はタルコフスキー自身の最期の姿を暗示しているかのようでもあり、タルコフスキーの「もう一人の私」であると言えるからである。
そして、「タルコフスキーの映画では、あるはずのない奇跡のような情景が描かれ、それが主人公に一種の救いをもたらすことがままある」。だから、ラストシーンの、色とりどりの気球が上空を舞い上がっていき気球に乗ったホフマンが家の窓から最愛の女性ユリア・マルクの後ろ姿を見、彼女が振り向いた時に暗闇が訪れる、というシーンが非常に切なく美しく印象的である。

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