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詩375 車を持たない訳

私は車を持っていない。
移動することは
未知の老化現象に花を添える。
悲しい振りをしたヒビ割れは
家の庭の鉢植えに
今朝
刻まれたもの

車を持っていないということは
車の鍵もまた持っていないということ。
人の脂はクランクシャフトによる回転のための燃料には使えないから
身体の酸化は神が温存するプログラムにおいて
まさに
動機と同意である

心が人にあって機械にないものだとしたら
どうしてとぼけたヒビは悲しい振りをするのだろう。
ひょっとしたら
庭の鉢植えは
その問いの犠牲になったのかも知れない

私は林道を走る車の助手席が好き。
運転してくれるのはいつも友。
五十音順に並んだ文字たちは決まって乙に澄まし
後ろの方で両腕を伸ばしたくらいの巨大なナンバープレートが頗る勇ましい

フロントガラスを擦り抜け
上半身に降り注ぐ日光の粒子を一つずつ手に取り
もしもそれらの感触を味わえたなら
生活に要する一切の労力をば
私は自然へ振り向けるだろう。
昨日はそのことを夢見て
飽きずにホームセンターで鉢植えを眺めつづけた

魂のカツラを被って何年も過ぎて気付いたが
6月の夕刻は
程好く涼しい。また、素肌に適切な刺激をくれる。
最近はボオッとしていたら
何故か
昼間に自失しているようだ

苦し紛れに眼球の滑車を回してみたり
毛髪の根で凱旋門を通り抜けたブーツを転がしてみたり
廊下の奥で車の鍵を落としたペンギンを撮ってみたり
タイルにこびりついた人の脂を掬う神の手をさすってみたり………

買い物に出たっきり
私の家族は帰ってこない。
時間を潰すといったら
ホームセンターに鉢植えを眺めに行くことしか私にはないけれども
この涼しさだと胸の筋肉が風邪を引きそう

私は車を持っていない。
だから
ホームセンターへは徒歩で行く。
車の鍵が落ちたときの音は
赤ん坊の泣き盛りに似つかわしいだろうと
稼業として渋々始めた
工場こうばでの単純作業の合間に想像するのが癖

車の免許は持っているが
今の私には持ち腐れだ。
時を選んでも疲れたらいつだって無条件に癒してくれるので
自然は優しい。
それだのに「ありがとう」と感謝することを決して求めない。
日が暮れて
私は一服のため縁側で
一人きり

生命は呼吸を日々繰り返している。
しかし
自然にそのような意識はなく
というより寧ろ
常にどこかに変化を起こそうとする。
車を造れない代わりに〈奇跡〉を鼓動とする

電球が私たちの生活を上から見ているような………
そういう視点が平時に欲しい。
鏡に映る虚像の私が
球形の岩石を伝う蟻を
軽くつまんですぐ放す。
空気の流れに漂っていれば
怪我をすることはない

ただ存在していることに「ありがとう」、そう伝えることが赦されている。
自由にしていて一向に善い。
友も家族も私の周りにいて
自然はありのままで
私を癒す

生まれて間もない頃は
身体は柔軟すぎて猫の目のようだった。
しかし
明日あすを迎えれば
若さを失うことができる。
すべてを抱きしめることを誓う私には
車など
やはり要らない。
庭の草木の呼吸に意識を向け、今日も無分別な眠りに就く

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