一人ひとりの学びの深化のために


①グループ学習は、何のためにするのか?

この問いに対して、私、他者と学び合う中で、子どもたちが、ともに考えを聴き合い、深まっていく心地よさ、自分自身の学びが変わっていく、広がっていく、一人では辿り着けないところへいくことができる喜びを実感することが必要なのではないかと考えます。
いつでも気軽にかかわることができるようにくっつけておくことは大切ですが、それだけでは、建設的相互作用は引き起こりません。

建設的相互作用は、教室という異質な空間では引き起こりにくいです。授業者は、より引き起こる可能性が高い学習環境や装置を探し求めていかなければならないのだと思う。

そして、子どもたちが何を考えたくて、何を求めていて、何に戸惑っていて、何に困っているのか…
教師は可能な限り、その想定の範囲を広げること、そして、子どもたちの学びに合わせて、思考を揺さぶる問いを投げかけていくことが必要なのだと思います。

②一つの解に収束するのか、一人ひとりの学びを深めるのか

子どもたちの分かり方は十人十色で、学び方も多様だとすると、やっぱり、解をまとめることは難しいんだと思う。学びは最終的に個に還る…と私は考えています。
そもそもみんな考え方も価値観も経験則も異なります。全てが違う者たちが集まって、学び合うから、それぞれの経験則レベルの知識が修正されて、原理原則レベルの知識とつながる…
教師の教え込みの授業では、経験則レベルと原理原則レベルのつながりは浅くなると思います。
学校、学級は、一つにまとめがちになります。しかし、本当はまとまるわけがありません。きっと多くの教師はそう感じているのではないかなと思います。でも、一つにまとめて、同じ方向を向かせて方が子どもたちを動かしやすいから、そうしているのかもしれません。

教材研究をしている教師は、その教材で何を学んでほしいかを知っているから、どうしてもそこに近づけようとしてしまいます。
その学んでほしいこと、獲得してほしいことが、子どもたちの学びの流れに沿っていれば、子どもたちも違和感なく入っていけると思うのですが、どうしても、教師が、子どもを引っ張ってしまいます。
そして、教師は、学級で一つの解を共有することで、安心します。教えたぞという安心感です。「まとめ」ってその代名詞だと思います。

#教育 #授業 #子ども #小学校 #学習科学

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