聖夜に魏武の詩を吟じる
メリークリスマス。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
わたしめは仕事終わりにコーヒーを飲みながら、なぜだか急に読みたくなった曹操の詩を読んでいます。
三國志に出てくるあの曹操です。
一流の政治家であり、稀代の軍人でもあり、卓越した詩人でもあった曹操。
曹操が詩を読み、文学の地位向上につとめたのは彼自身の趣味だったという理由にとどまりません。
彼が生きた後漢末期という時代は、儒教的な名声ネットワークで得た評価が最強のコネとして機能していました。
渡邉義浩などが「名士」と呼ぶ儒教知識人です。
彼らの協力なくしては勢力の拡大はおろか、維持すらも難しい。
「名士」の協力を得ることに成功した群雄が生き残り、そうではない群雄は衰退し滅亡していきます。
曹操はいち早く彼らの支持を集めることに成功し、一代にして中国の大半を制圧しました。
ところが「名士」たちは気位が非常に高く、曹操の言うことをいつも素直に聞くような連中ではありませんでした。
彼らは儒教という文化の独占者として、「名士」ではない曹操との間に軋轢を産んでいくことになります。
「名士」の基盤たる文化に対抗するために、曹操は新しい文化を育てようと試みます。
それこそが、彼の時代の元号を冠する建安文学だったのです。
残念ながら、儒教という岩盤を穿つには至らず、「名士」たちは逆に曹操死後、彼の子孫たちの政権を見事に利用して「貴族化」します。
以降、貴族たちは宋王朝が確立するまで、歴代王朝を掣肘する実務集団であると同時に最強の利権集団として皇帝たちの目の上のタンコブとして存続。
曹操の文学振興は政治的には敗北したものの、中国文学史上では大きな画期として評価できます。
中国古典文学史上、最高峰に君臨するのは盛唐の詩聖・杜甫です。
杜甫以前、その地位にあったのは曹操の三男であり、一族で最も詩才を発揮した曹植でした。
三國志は読む切り口を変えることで多くの発見を与えてくれます。
今日は最後に曹操の有名な詩を載せておきます。
《書き下し文》《日本語訳》《白文》を載せます。
是非とも《書き下し文》を朗唱してみてください。
気宇壮大。
読んでいてこれぞ英雄が読む詩だと思わせる勇ましい詩です。
※日本語訳はかなり意訳しています。
厳密に訳すと違う部分もあります。
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