竹美映画評42 あなたの巨人は元気ですか? 『バーバラと心の巨人』("I KILL GIANTS"、2017年、アメリカ)
観る時に、『怪物はささやく』を真っ先に思い出したが、同じようなテーマを全く違う角度から描いていると感じた。強いて言うなら、『バーバラ』の方が、社会の中の私という観点が強く意識されるラストになっていたと思う。
↓『バーバラと心の巨人』
海辺の町に住む少女バーバラは、人間界を脅かす巨人たちの来襲に備え、近所の森や海岸、操車場等に仕掛けを作り、警戒と準備を怠らない毎日を過ごしていた。しかし彼女の言動は周囲に全く理解されず、家でも学校でもうまく行っていなかった。そこへイギリス人の少女ソフィーが転校して来る。気が合った二人は仲良くなるが、学校のイジメっ子グループがソフィーをそそのかし、バーバラの作った巨人対策のための仕掛けを壊してしまう…。
ちなみに『怪物はささやく』はこれ。
どちらも小学生位、思春期前の子供が主人公。異形の者が立ちはだかり、その子が自分なりの道筋でゴールに行き着く物語。でも、『バーバラ』は社会と「変な子」の相克に触れている気がした。そしてまた、そのような状況に陥った人を解放してくれる映画のようなラストが存在しえない現実世界について思いをはせた。
うさ耳帽子を被ったバーバラは、「どうせ皆信じてないが、私は独りで街を守る」と意固地に信じているが、巨人を観たことがない周囲の人には理解されない。バーバラの巨人が事実かどうかを一旦置いておいて、周囲の側から彼女を観てみると、「周囲に理解されない」ことが、本人の中に育ちつつあった「物語」にエネルギーを与え、大きく育てたことは想像に難くない。
ファンタジー世界に入り込む程に、現実からは遠のいていく。何せ別の秩序が支配する世界に自ら溶け込んでいくわけだから、社会からの消滅こそが正解なんだろう。でも、逆に言えば我々は、何かの原因無くしてはファンタジー世界に没入しないと硬く信じて生きていることになる。
学校のスクールカウンセラーのモル先生は、「巨人が見えない人」としての道を辿り、バーバラのもう一つの真実にたどり着く。バーバラは、もう一つの真実=「現実」が彼女の前に突き出されそうになるたび、モル先生を叩いたり、同級生に喧嘩をしかけたり、姉と口論して家を飛び出し、学校をさぼったり、深夜徘徊する。
「どうせ私のことなんか分からないくせに!」
バーバラにとっての「物語」は一時避難所でもあるから、あってもいいものだが、それを周囲に認めよと迫るバーバラは現実世界から制裁を受けてしまう…そのうまく行かない状況が何とも歯がゆい。バーバラがさっさと現実を認めちゃえばいいのにと思ってしまうが…。
でも、そんな風に思っちゃう私だって…「自分は会社空間で生きていく人間として欠陥があるのでは」という長年の不安と疑念…つまり現実に近い認識を覆い隠し、「遠回りしたけど会社というものに適応しつつある強い自分」という「物語」を信じていた。そして、「それは勘違いよ!目を覚まして!」と遠回しに、現実に近い認識が私の前に立ち現われるたび…つまり「こんなこともできないのだ」という「本当の自分」を突きつけられるたび、バーバラのように、感情的になってしまったり、人をブロックしたりしていたではないか。
バーバラは最終的に「物語」を捨てたんだろうか。誰しも危機に陥ると、合理的思考に至るまでの間、大なり小なりの「心の巨人」がやってきてそして去っていく。それの繰り返しとどう付き合っていくか。人生って…そういうもののような気がする。
ところで、ツイッターという場所は、皆がファンタジー世界のアバターとして存在している空間だと思う。そこで「物語」の覇権を巡って必死になって戦っている者たちは例えば「このような差別構造を無くしていかねばならない。そのためにまずこの言葉を使うのを禁止しなければならない」という物語や、「日本は不当に攻撃を受けているのであるから反日勢力を排除しなければならない」という物語を生きる勇者である。彼らは、彼らなりに「悪の巨人」を見出して突っ込んでいく。でも「物語」を共有しない傍観者には何が何やら分からない。
現実世界に不満を持ち、現実を変えなければならないと義憤に燃えるタイプの「正しい」バーバラたちは、現実を当たり前のように受け入れて過ごしている人々に内心我慢がならない。しかし、正しいバーバラたちもまた、現実世界に首まで浸かって日々生きているという事実は何だか据わりが悪い。競争相手を押しのけて現実の生活を手に入れ、二酸化炭素を過剰に放出し、ごみを排出し、日々社会の構造的搾取に加担している自分をひりひりと意識しているはずだ。そのギャップを考えたくないがために、「巨人」を見出しては突撃することを止められないのかもしれない。
ラストシーンのバーバラは、周囲を拒絶するかのようなうさ耳ファッションとは全く違う表情と出で立ちで、キラキラ輝いている。ジャンパーを着ているのはメインストリーム文化への迎合のように見える。全くの堕落だ。現実世界に疑問を抱き、抵抗するバーバラに感情移入するファンへの裏切りですらある。でも、その方がバーバラにとって生きやすいのなら、そのように生きたらいいと私は思う。
余談。日本版ポスターは、ツイッターの皆が文句をつけていた。
以下が海外版に近い方(だったと記憶)。
私は、この映画のテーマとラストを考えると、日本版ポスターも侮れないような気がした。そう、確かに、バーバラの精神世界を尊重するならDVD版(海外版)の方がいい。だが、本作には、バーバラの物語を更に超えたところにある解放と、それを痛みを持って受け止める作り手の愛があると思う。
してみるに、ツイッター世界のバーバラたちにも、彼ら(男女その他)を解放し、痛みを持って歓迎するメタ世界の誰かが必要なんだろうか…結局ファンタジー…びゅおおおお…
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