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竹美映画評66 父親たちの変異世界『ザ・ヴォイド 変異世界』("The Void"、2017年、カナダ)

前々から好き好き言っていたわりには本作のどういうところが好きなのか、長らく分からなかった。最初に観たのが英語字幕付き英語音声だったので、やっぱりどうしてもね、キーとなる設定を見落としたり聞き逃してしまったのだろう。他の人の感想を読むと、ふむふむと思うところがたくさんあり、それによって肉付けされたところが大きい。

ストーリーは、何とも言えず中二病的でもあり、男性(父親)ならではの病み方も感じられて興味深い。

警官ダニエルは田舎道に飛び出してきた若造を保護し、近くの病院に運び込む。そこには別れた妻アリソンがおり、気まずい空気。ところがある看護師が突如患者を殺害し、ダニエルに射殺されてしまうという事件が起こる。動揺の中で殺気立った父と若い息子が乱入、と同時に死んだ看護師がモンスター化して襲い掛かって来る。病院の周りは謎の白装束集団(超仲良し)に包囲され、逃げ場がなくなった人々は、次第に正気を削られながら、恐怖と混乱の中で病院の地下に蠢く秘密に触れることに…ゴゴゴゴゴゴ

作中ダニエルは幻覚を見るのだが、それがゴゴゴゴゴ…な巨大建物とか銀河とか、気持ち悪い(80年代万歳)生命体の一部(多分ビニールとかで作った何かなんだが)だったりするので、80年代ぐちゃぐちゃホラーへの回顧趣味だけで見ても満足する作品。最初はそういう興味で観ていた。何と言っても80年代が終わってない人達が、2015年付近からの80年代ホラー回帰ブームに乗って作り出された夢の作品だからね。でも、そういう興味だけで観ているとやがて物足りなくなる。結局は私はストーリーが大事なんだろうな。

本作のメインテーマは、近親者の喪失の苦痛から逃れたい男たちの欲望である。それは男性が絶対に分からない領域である生殖の神秘と、それへの恐怖のない交ぜになったどうしようもない好奇心として映像化されている。そこにはぶっちゃけ女性というものは人間としては全く必要とされていない。あるシーンで残酷なまでに出ているとおり、女性、いや女体は、男に愛の夢を囁く器官なのである。そこの描写から逃げていないところが悪趣味でもあり、非常に誠実な作り手だと思った。そういう風にまなざす欲望が引き起こす気持ち悪さを誤魔化していないからである。

男性は、生殖という場面の機能について言うなら精子提供したらぶっちゃけ必要無い。外敵がいないなら死んでも構わん。外敵とはぶっちゃけ他の男性なのであるからして、精子提供した後男性が全部死んじゃっても命は繋がっていくのだ。ジェームズ・キャメロンは最初からそういう映画ばかり作っている。『ターミネーター』のカイル・リースとサラ・コナーが結ばれれば、むろんサラ・コナーが上になって精子を男から搾り取り(何となくそういう演技に見える)、望んで未来のリーダーを生むのであるし、カイルはサラを守る途中で死ぬ。キャメロンの世界では父性は存在感が弱い。母親が全てを備えているのだし、サラは父親代わりを探してさすらうことにもなるがパート2で「生身の男にジョンの父親役は不可能」と悟り、それは破られない。

さて、生殖への欲望を惹起するのは、男性の体験する喪失の哀しみだ。もう一度産まれてくれたらその哀しさを埋め合わせてくれるんじゃないか…(女性でもこの欲望を持つし、そういうホラーもあると思うが)それを男性目線から描いている。ダニエルの幻覚にも出ているとおり、生殖とは主に男性にとってぐちゃぐちゃの赤いものの塊が飛び出してくる、気持ち悪いボディーホラーでもあることが示唆されている。なんせ、何が生まれて来るのか出て来るまで全く予想がつかない。自分の中で違う命が育つなんて、ホラーだ(それは女性にとってもそうだということは『チタン』も示唆しているが)。男は、生殖して子孫残したくてたまんないのに、自分ではできないから、他人のお腹を借りるという形をどうしてもとってしまう。その無力さに恐ろしさと滑稽さが絡まって蠢いている。

本作では、娘(これがまた息子じゃなく女ってのがクる)を喪失した結果マッド・サイエンティストとなって、外宇宙から命を持ってきて別の女に自分の娘を産ませるという計画を実行する(もう書いてて意味わかんないわ)。それは外宇宙の原理に則れば通常の手続きと現象なのかもしれないし、或いは単純に外宇宙さんに遊ばれているだけなのかもしれない。そこが狂っていて、ちょっぴりコメディへの扉も半開きになっており、非常に趣味が悪い(激賞)。サイエンティストじじぃは最後変なカッコに変わっちゃうんだけど、その辺は確信犯なのだろう。『サイコ・ゴアマン』だの『ファーザーズ・デイ』だの、未見だが魅力的なちょっと変わった映画を作っている人達の作品なんだもんねえ。それに、病院に銃を持った父息子乱入のシーンはそもそもコメディだった。本作では、その辺をうまいことシリアスな家族メロドラマに仕上げてくれたので私の琴線に触れたってわけよ!

ところでマッドサイエンティストが「わが娘」を産ませたということになっている(彼の頭の中では)娘の子の本当の父親は誰なのだろうか。映画の設定を一旦無視すると、一緒に病院についてきた父親が怪しい。何故母親が一緒に来ていないのだろうか。本作ではここの部分がぶっちゃけ一番怖い。本作は父親→子供への溢れすぎ煮えたぎる思いを気持ち悪く、ときに滑稽に表現しているのが面白いと思う。複数の父親像を出して、ヒーローであるべき父親像をぼやけさせている。

最後、変異世界とこの世界の間の扉は閉じてしまい、二つの世界はまた関わることが無くなってしまう。私はラストは結構好きなんだな。変異世界の方に放り出された男女がしっかり手を握って、背中を見せて終わっている。そこも厨二的だ!!あんなおっかない巨大建造物を前にして正気でいられようがないのに、彼ら二人はあまりに辛いことを乗り越えてきたために、もう怖いものなんかないのだ。そこも「そんな単純じゃねえだろう」というツッコミの余地があり、『ターボキッド』と併せ、カナダの80年代終わってない系クリエイターたちのセンスが光っている。

私もこの人生の中で、知らないうちに、何度か変異世界に飛び込んだかもしれない。思想転向とは変異世界に飛び込み、未知なる新しい秩序の前に自分を放り出してみることだ。勝手にあちら側(世界)の方から私の心にある虚構(結解)をぶち破って現実を見せてくれることもある。本作のラストシーンのように勇気とも恐怖ともつかない気持ちで立ちつくすことになる。そして、もしかしたら既にそちら側の呼び声に頭を狂わされているのかもしれないし、宇宙からの光に魅入られているのかもしれない。いつ正気を失うとも分からない。でも我々はやっぱり、いつも前に進んでいきたいと願っているのだ。

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