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映画から眺めるインド社会⑥ インフォーマルセクターの夢、任侠映画

最近、住んでるアパートで住人の男に因縁をつけられた

手には金の指輪や金の時計がギラギラ光り、車は大きな四輪駆動。その人が車でアパートに入るとき、手こずっていたので、私が手を横に広げて困ったねというような仕草をしたのが気に食わなかったらしい。

彼氏やその時一緒にいた友達が猛烈な勢いで言い返してくれたので、私は却って冷静になってしまった。こんな金もありいい暮らししてるやつほど威張りたがる。私を手で小突きやがったのも何か感慨深くもあり、怖いよりも、なんだコイツ、怒ってる小鳥みたいだなと呆れた。

しかしそれよりもっと感銘を受けたのはその後。

友達が、「仲間を呼ぶ。今度なんかあったら言ってくれ」と言い、夜遅かったのに誰かを呼び出した。

私は地元のギャングでも呼んで来るのかと怯えていたが、そうではなくて、普通の若い男子たち2名がやって来たのだった。そこではたと気がついた。そうだ、金持ちや権力者は横暴をはたらくことがある。それに対抗するには徒党を組むしかないではないか。例えそれが普通の男の子たちだったとしても、一人でいるよりは心強い。ギャングを虚構しているとも感じられたが、ちっとも嗤う気にはなれない。

先日こんなこともあった。私と彼氏が乗っていたオート三輪に後ろから起亜の高そうなSUVが追突し、オート三輪の後ろのバンパーが取れてしまった。その場でSUVを運転していた男はオート運転手と電話番号を交換して後で修理代を払うと言って去って行った。

ところが翌日以降、運転手が彼氏に電話をかけて来て曰く「修理代を払ってくれない。あなたから何とか言ってやってくれないか」ということだった。なぜそれが彼氏なのか、ロジックが全く分からないが、納得してしまった。

なぜ警察に行かないのかと言えば、警察は動いてくれないと思っているからだ。また警察沙汰にしたことで、相手方がどう出て来るか全く予想もつかない。虚勢であっても、SUVに乗ってる金持ちだどんな権力を持っているかもわからない…。ならば、味方になってくれそうな人に頼んでみようと思うだろう。

これがインドのインフォーマルセクター的な発想だと思う。あまりに脆弱で守られていないが故の反応。猜疑心が強い割に、仲間を頭から信じやすくはったりに弱い。池亀彩『インド残酷物語』もそこを突いていると思う。

このどうにもならん社会において頼れるのは腕力の強い者だけ。そうでなければ徒党を組んで自分たちを守るのだ。

南インドの映画はそうした庶民の心に寄り添った作品を作って来た。
前置き長いが、そういう体験を経て南インド任侠映画を見直すと、納得感が生まれる。今回はそういう映画を紹介したい。

被差別者のギャング化 『Kaala』(2018年)

本作はタミルのスーパースター、ラジニカーント主演の社会派アクションである。海外でも一定の評価がある模様で、私も面白く観た。

最下層グループの人々が暮らすムンバイの貧しい住宅街を守る男、カリカーランは、どの宗教でも分け隔てなく愛を以て接する。そこへ町の再開発計画が持ち上がり、立ち退かない住民達への嫌がらせが始まった。これに猛然と立ち向かうカリカーランたち。戦いの結末は?

ラストの祝祭のシーンが強烈。社会的不正を糾弾していることもあってちょっとぐったりする内容だった。ラジニカーントは、使用人やこうしたインフォーマルセクターの男がヒーローとして活躍する姿も演じて来た。彼が来ればもう安心、何とかなる…。

周囲が強い依頼心を持たざるを得ない。個人として立つことが困難な中、それを一手に引き受けてやってくれるのがヒーローだ。たった一人そこに立って皆を守る。

そして、現実的にはそうした守る人はえてしてギャング化してしまうことだろう。果たして外敵がやって来ないときの最強の守り人がそうならないでいられるだろうか。周りに人が寄って来る、頼られる、そうなるともう、彼の身体はパブリックドメインの暴力装置となるほかあるまい。

色々な調停に駆り出され、兄貴兄貴と慕われて、その実消費されていく。南インドのヒーロー映画が任侠映画じみて来るのも仕方あるまい。

最近逮捕されたカルナータカ州の人気俳優Darshanのニュースを読んでると、彼はまさに、庶民のヒーローとして支持され、愛され、そして消費され、取り巻きに対するコントロールを失い、取り巻きの暴走を許してしまったのではないかと思う。もはやギャングと区別が難しい。

普通のお父さんが強すぎる 『Maharaja』(2024年)

先週観たタミル映画『Maharaja』も面白かった。タミル映画を代表する俳優Vijay Sethupati(略してVJS)主演50作目のタミルノワール作品だ。

娘と二人暮らしの父親マハラジャ。娘が不在中、家を荒らされ、「ラクシュミー」と名付けられた、彼ら親子にとっての宝物であるごみバケツを盗まれたと警察に訴え出る。皆が取り合おうとしない中、粘り強く警察署にやって来るマハラジャの真意は?

このVJS演じる父親が異常なまでに力が強い!娘のためならギャングでも誰でもぼこぼこにしてぶっ殺してしまう。普通の父親がこんなに戦闘能力高いなんて理由説明があるのかなって思いながら観ていたが、強い理由は特になく、タミルの宝、VJSだから強くて当たり前ですという強引さがたまらなく魅力的だ。

共演のAnurag Kashapも負けてはいない。厭ったらしさ満点の犯罪者の顔と、よき父親・夫としての顔を使い分ける。強盗殺人でもしなきゃ、娘や妻にいいものを買ってやれないというのも背景としては理解できてしまう。そのむちゃくちゃさ=インフォーマルセクターっぷりがインドらしい。

マハラジャが最後見せる顔に震えた。伏線も何でこんな分かりやすいんだろうと思う位あからさまで、どうしたのかなと思っていたが、ラスト15分でのどんでん返し。そして、マハラジャは最後、徹底的に破滅した敵を憐れむような、突き放したような目で相手を一瞥した後、さっと身をひるがえして去って行く。

お前はそこで乾いていけ」という『うしおととら』のセリフが頭をよぎった。

VJSが皆に愛される理由のよく分かる作品でもあり、こうした泥臭い男がばっしばし戦って復讐してくれたら…インフォーマルセクターの夢である。

ギャングの孤独と純情 『Aavesham』(2024年)

最後に、最近ヒット作が続くマラヤーラム語映画からは『Aavesham』を。

大学1年生になった弱っちい男子三人。上級生グループは、新入生を虐め屈服させて支配する(大学が任侠のミニチュア版なのだ)。三人は町のギャングと仲良くなってやり返してやろうと画策(この依頼心!)、偶然町で最も恐れられるギャング、Rangaと仲良くなる。Rangaたちに付き合って豪遊、上級生を皆の前でぼこぼこにしてもらってすっかりいい気になる三人だったが、遊びが過ぎて学業が疎かに。また、恐ろしいギャングの本性を知ってしまったことで、三人はRangaから離れようと身を隠す。血相変えて三人を探すRanga。そこへ過去に因縁のある別のギャングが三人に「Rangaが一人になったときに連絡をくれ」と取引を持ち掛ける。

ここまで任侠映画に肩入れするとは思わなかったのだが、本作すごく面白かった。Rangaは最強のギャングとして恐れられているが、たまたま接近して来た三人が可愛くて仕方ない。お茶目な人だがギャングという生き方は変えられず、やくざとして生きていく他ない運命の奴隷の哀しさよ。

また、三人のことを本当の友達だと思って喜ぶRangaは子供のように無邪気な顔をするが、全体的に様子がおかしく、ちょっと双極性障害とか、発達障害を感じさせる。

https://www.youtube.com/shorts/JZQ8pfdJYX8

(上記はRangaのインスタ。全く意味不明なのだが、本人はインスタやっても誰もいいねなんかしてくれない!と傷ついている)

Rangaの絶望、怒り、悲しみ、そしてその後与えられる小さな愛…思い出せば思い出すほど目頭が熱くなってくる。子分たちが本当にボス思いで、ボスが傷ついたと知るや全員が涙する。孤独と寂しさを背負い、愛を知り、それを失っても愛を返そうとするRangaがとてもいとおしく思えて来る。

このRangaがギャング化するきっかけも、結局はジューススタンドをやっていたときにギャングが邪魔しに来たため、防衛のために戦い始めたことだった。痛ましい。それを武勇伝として部下は語るが、本当はどうだったのか…ということを想像させる作品だった。

マラヤーラム映画はやっぱり、普段はあんまり考えないことを考えさせてくれる奇想映画の佳作が多い。

同作監督Jithu Madhavanは、これが監督二作目。デビュー作は傑作ホラーコメディ『Romanchan』。次回作も期待される。Rangaを演じたFahadh Faasilはマラヤーラム映画の名優。数多くの作品に出ているが同じ人とは思えない変身ぶりにいつも驚かされる。

(ヒンディー語リメイクが作られているらしいが、本家に勝てるかどうか)


南インド任侠映画は、今なお不公平で理不尽な社会の厳しさを一時忘れさせてくれる魔法だ。インドで経済成長が続き、インフォーマルセクターが縮小していけば、いつか魔法はその役目を終えるのかもしれないが…しばらくは愛され、必要とされることだろう。

任侠映画、結局のところ、ギョロ目の髭男が出ていれば2時間は映画を観ていられる私にはちょうどいいみたい。これから観るようにしよう。

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