見出し画像

竹美映画評69 大人なんだから大丈夫よ!!!『Everything, Everywhere, all at once』(2022年、アメリカ)

本作は、昨年アメリカで公開されて高い評価を受け、オスカーの賞レースにまで食い込んで来た作品。インドでも映画館によっては、オスカー候補作品祭りみたいなのをやってくれるところもあるのねえ。ありがたや。というわけで、オスカーに11部門でノミネートされた本作、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観て来た。

これもやっぱり、日本語字幕で観たらもっと感動の渦に巻き込まれたんじゃないかしらああああと思う、ファミリーもののあはれSF作品だった。ファミリーもののあはれSF(略して「ファもS」←意味伝達に失敗)という意味で、『メッセージ』や『レゴムービー』とも近い感じがしたので同作が好きな皆さんにはお勧めできる。お笑いアクションでありながら、中華系移民家族のすれ違いと和解の糸口を描いている。何かこう、クリスマスとかに上映されていたようなファもSなのに、結構過激な描写もあり、ぼかしの入るシーン(ジェイミー・リー・カーチスの横に置いてあるブツは後で活躍するので要注目w)まであるのでお子様向けとは言えまい。

尚キャストはミシェル・ヨー中心にみんな面白かった。やっぱりねえアジア人をアメリカ映画で観ると気持ちの入り方がちょっと違う。勝手に親近感湧いちゃうの。

お話

アメリカでコインランドリーを夫婦で営むエブリン(ミシェル・ヨー中華圏において志穂美悦子的表象は最終形態に)とウェイモンド(キー・ホイ・クワンこうなったか!)。経営はちっともうまくいかず、夫は頼りない。祖国から彼女を頼ってやってきた父の世話もしなきゃなんない。娘ジョイ(ステファニー・スー。アメリカの渡辺直美)とは関係がうまくいっていない。税務署では怖い職員(ジェイミー・リー・カーチスの快挙。ハロウィンで40年位鍛えただけのことはある)に詰められる。が、突然別人格が憑依したかのような夫に突如、装置を耳に装着して、言う通りにして、全宇宙を救ってくれ云々と言われ混乱するエブリン。別宇宙での彼女「たち」は、それぞれの宇宙で特殊能力を持ったスーパー女たちであり、エブリンが装置を起動させると、そのどれかの意識にぶっ飛ぶ仕組みなのだ!そこへ彼女らを狙う邪悪な存在が迫るゴゴゴゴゴ

ミシェル・ヨー万歳

ミシェル・ヨーがとにかく面白い。しんどいだけのすれっからしな日常に、思わぬ角度から刺激的な非日常が介入してくることで自分を見つめ直す初老の女を活き活きと演じている。自分の主観的に体験する時間というのは一つしかないのだが、他宇宙の自分にアクセスする度、記憶と身体能力も引き継ぐ。独りで何人分もの「あり得たかもしれない自分」を生きられるなんて夢みたいね。しかもなぜかみんな、今の自分よりも能力が高いときた。今日の夕方までに領収書集めてまた役所に来なきゃいけないってのに、色んな宇宙を行ったり来たりしては、能力を獲得し、どんどん強くなっていく上、別の人生にも心が揺れて、その上そのジャンプも自己管理するようになると…もう怖いものは無くなってしまう。はて、そうなったとき、我々は「明日」というものを生きたいと願うのだろうか。

しかし沢山の人生を引き継いだとしても、「自意識」は元のまま、洗濯屋をやる、しがない中華系アメリカ人のおばちゃんなのだ。別世界のウェイモンドから「君はすべてにおいて何もできない。何も試したことがないから可能性があるんだ」と激賞されて微妙な顔をするエブリン。あたし、褒められてないよね今…。どんなスキルがどう自分の人生に生きて来るのか、ってのも面白くて、他の運命の中で得た別にすごくないスキルが自分の宇宙で大いに役立ったりするのだ!捨てるとこなんかないのよ!お願い他宇宙の竹美さん、中途半端なこの竹美も何かの役に立てるかもしれないわあああああ(ただ今自信喪失中)。

Z世代よ、大人を見習え!

娘との関係はマルチバースの戦いと比例している。娘ジョイは必殺、Z世代だ!!彼らはSNSを通じて常に他人からジャッジされ続けることに一喜一憂している傷つきやすい世代だとされている。ポスト・レディーガガ時代にはビリー・アイリッシュが来るわけね。環境問題や差別問題に酷く敏感で、物おじせず政治的発言をすることがよしとされている。一方で勇気が称賛され、他方ではひどく傷つきやすい。結局のところ、アメリカ的同調圧力の中で、見た目とか才能とか勇気を称賛されるか、自分の人生は愛するに足るか?で他人と自分を比べて汲々としているのである。変わってないの人間は。テーマが入れ替わるだけ!そこにある矛盾に目を向けずにひたすらマーケティングに向けて突っ走った一つの到達点が、『ボーンズ・アンド・オール』のような、十代向けの小説(私は読んだよ)を大人たちが質の高い映画に仕上げて大人たちが称賛するという状況だと私は思う。同作は同作で、いつか観た後で考えてみたい。

さて、2015年辺り以降のアメリカ映画では、上記のような特徴を持つ若者たちは親のことをATMくらいに思っているか、反対に悩みを相談できず、トラブルに巻き込まれる存在として描かれて来た。親は物分かりが良すぎて却って頼りにならない。『へレディタリー』のアニーは、また別の極、「恩知らずのガキなんかいらんわ!」とZ世代に向かって鬼の形相で逆走してくるわけだけど、彼女とて子供世代同様に不安で自信が無いのであり、頼りにならない親選手権においてアニーはぶっちぎりのトップで優勝(アリ・アスターって意地悪いよね)。

今回のエブリンは、自分が過去に捨てた、選ばなかった道の先で手に入れたスキルの断片をかき集めて最強のエブリンになっていく。何ともポジティブではないか!「今の自分」は全てをあきらめ捨てた結果の成れの果てバージョンの自分なのだから、あとは上がるだけという。現実はそうはならないわけなんだけどね。

本作は、全宇宙を駆け巡らなくても、最高級スペックの自分じゃなくても、本当の願いに素直になれたらいいのだ、と生活と世相に疲れ果てた大人を励ましている。そして、大人になった世代から見れば、SNSやネットに過剰に反応しているように見える若いZ世代に対し、彼らがどんな「ファクト」を持って自分の殻に閉じこもろうとしても、大人として自信をもって自分の体験を話し、しっかりと若者に耳を傾けることが今の時代の大人としてやるべきことなんだと言っていると思う。どうせ、若者はどんどん変わっちゃうんだからね(劇中にもそんなセリフあった)。

昨年の話題作『パワー・オブ・ザ・ドッグ』のオーメン君とかもジョイの仲間だろう。オーメン君みたいに若い時にゃあ全方位に偽の自分を作り出して防衛に励んでいたとしても…年をとって色々なことを経験すれば、人は変わるのだ。オーメン君も自分の罪を償うことになるのかもしれない。でもそれを経験的に知っていて推測できるのは生き残った大人たちだけ。何かができたら素晴らしいけど、やっぱりそこに立って、若造の文句をすべて受け止めることが、大人の責務なのだと思わされたわよ。

…本作が本当にそういうことを言っているのかは私も分からないんだけど、今の、自信も無く、何やってもちゃんとできない、不具合のデパート人生の大人、竹美さんはそう思ったわ。

※誤記訂正:「オスカーの作品賞に11部門で…」←「オスカーに11部門で」オスカーの作品賞は1部門だけよバカッ!!ほんとに中途半端竹美

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,776件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?