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竹美映画評85 神経衰弱ぎりぎりの弱者たち『Bhoothakaalam』(2022年、インド(マラヤーラム語))

(2023年6月23日:タイトル追記。観て直ぐ書いたので、何度か読み直すうちに、本作に出て来ていることが見えて来た。本作は母と息子の関係を描いているというよりは、「弱者」の弱者たる所以をよく捉えていると思う。どうしようもなく弱い人…その人達の人生の中に、実は当該社会の未来が隠れているんじゃないかな。強者はほっといても大丈夫だけど弱者は、暴力や収奪のみならず、オルグされて別のものに利用されることにも晒されやすいのであり、その意味で社会の最先端を見せているという気もするのだ。)

ネットニュースでマラヤーラム映画の『Bhoothakaalam』がすこぶるよろしいと読み、探してみた。Sony LIVでのみ配信していると知り、マラヤーラムホラーはもっと研究する必要があると前から思っていたので、思い切って加入した。そして早速同作を観たが、いやーさすがマラヤーラムホラーだと思った。

お話:

老母を看取った母アシャと息子のヴィヌはぎくしゃくする関係を続けていた。父親は早くに他界、ヴィヌは就職が決まらず鬱屈して酒やたばこに溺れている。真夜中に母と二人しかいないはずの家で何者かの存在を感じ、生前の老母の部屋に閉じ込められたヴィヌは錯乱してしまい、親戚にカウンセリングを勧められる。カウンセラーのジョージは最初ヴィヌの話を本気に取らないが、やがて二人の住む家の過去が明らかになっていく…。

マラヤーラム式幽霊映画=怪異を極力見せない!

マラヤーラム映画は、何気ない生活描写の繰り返しを丹念に重ねていく中で、普段思ってもみないような感情や心象風景をじんわりと見せるのが上手い。『ジャパン・ロボット』は、SFコメディでありつつも、ロボットの存在が家族の中に隠れていた本音を引き出していき、遂には人を別人に変えてしまうという意味では、今考えればホラー的である。マラヤーラム映画のホラーとの相性のよさはそういうところにあると思う。

少し前に見た『Romancham』と同様、本作も、特殊効果にはほとんどお金をかけていないにも関わらず、優れた演技と演出で陰鬱な家と母と息子の少々捻じれた関係を二重写しにしていて、ラストシーンまで不穏である。そこが上手い。何となく家が薄暗いのである。そして、おうちホラーと言えば大きめの家と相場が決まっているところ、やはりね、日本とマラヤーラムホラーは小さい薄暗い普通の家をしっかり映しているところは独特なんだなと思う。

母親と息子の捻じれ

本作、私の好きな家族関係の捻じれホラーなので、前半は特に堪能した。厭ったらしい応酬についついわくわくしてしまうの…本当に趣味悪いなって思うけど、YouTubeで毎晩、犯罪実録のゆっくり解説動画を延々聴きながら寝ているからね、こういう話ってなんか好きなんだろうね。きっと、私の家はそこまで闇が無かったという事実の輪郭をこうして他人の家のトラブルを見ながら形作りたいんだろうね。下世話だなあ…

母親のアシャはうつ病を患っていたこともある、人生に疲れた女性として描かれている。老母の介護にしても、それを苦痛に思いながらもどこか、自分の存在意義を感じているように見えたし、息子ヴィヌがせっかく遠い町で仕事を見つけても断るように仕向けて来た過去がある。また、早くに亡くなった父親のことは恨んでいるようで、息子に父親に似た徴候を認めることが恐ろしくてならない。愛しながら同時にきびしく監視しているのである。ヴィヌは大学時代に不登校になったりして色々と過去に問題があった模様。彼のどこか線の細い不安定で気弱なところが、母にとっては頭が痛いことでもありつつ、実際は自分の支配下に置けて満足していたのではなかろうか。母は外で仕事もしていて、シングルマザーとして立派に生き抜いてきた結果、親子関係はちっともうまく行っていないことにうんざりしている。でも何が問題だって言うのだろう…。

この母親と息子の、べったりなのに刺々しい捻じれた関係が嫌なのよー。客観的に見れば、ヴィヌは家を出て外の世界で頑張ってみるのがいいのではないだろうか。恋人プリヤ―と一緒にいるシーンでの楽し気な様子と、家にいるときの焦点の合ってない瞳の落差がすごい。髪の毛もぐちゃぐちゃ。社会性がないっていうことも、冒頭の会社の面接のシーンで分かる。彼は家を出る準備ができていないように見える。母親は彼の煮え切らない様子やだらしない様子を見て、怒りながらもある意味自分の思ったとおりのダメ息子なので、快楽を得ているように見える。泣き落とし作戦を何度も使って来た様子も感じられるのだ。彼女はああやって息子の口をふさぎ、コントロールしながらも、自分の否を認めることができない。

絵に描いたような、家庭内犯罪が起きそうな二人だったわ…ある意味、怪異が家庭内の不穏な空気を煽りつつも、偶発的に、彼らに新しいチャンスを与えたようにも見えて不思議な匙加減だ。

家族主義が強いインドにおいて、特に母親と息子の関係に着目したホラー。この二人が劇中反目を乗り越えて手を取り合ったところで二人にとってよい人生が訪れるのかどうか?と考えると、私の目にはよく分からない。

弱者は過去に縛られてしまう…

本作のタイトルの意味は「過去」だそうな。彼らを互いに縛り付け閉じ込めているのは、家族としての過去の記憶(=檻)である。そして、家という空間もまた、それ相応の過去の記憶を抱えているものなのだ(つまり、どんな家だって事故物件の可能性があるってことよ)。故に、その家を二人手に手を取って脱するということは、一つ前に進むという意味でもあるのだが、家族としての過去の記憶という檻からはなかなか離れられまい。結局次行ったところでも同じことを繰り返すんじゃないかなあ。そもそもこの息子と母は過去という檻から出たいと思っているのだろうか…外に出て自分を変えるためには、きっかけが無ければすごい力が必要で、既に人生の中でたくさんダメージを負って来た弱者の二人には難しそうだ…弱者は不安に弱く、客観的に考えることは難しいし、要領だって悪いし、頑張りどころを間違えてしまうのだ。二人の頼りなく弱い姿がリアルだった。引きこもりの中年を高齢者の親が支える、という日本でも起きていることと重なったしね。

世界大国の夢をぶち上げているインドの足元では、寿命の延びを反映してゆっくりと老父母の介護の問題が顕在化しつつあること、そして若者世代の高い失業率家族主義の強さが招く問題段々、家族の事情やコネが就職の役に立たなくなってきている様子などもじんわり感じさせてくれた。マラヤーラムホラーはやっぱりいいな。

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